菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:つれづれ( 52 )

杉田水脈発言の問題性をどう考えるべきか

 前エントリで書いたBBC番組「Japan's Secret Shame(日本の秘められた真実)」を見ました。伊藤詩織さんの気持ちに寄り添って、かつドキュメンタリーとしての詳細な調査もそなえた良い番組でした。最後のあたりで詩織さんと別の被害に遭われた方が語っているところでは、力をもらいました。
 そのなかで杉田水脈議員が事件について詩織さんを批判している問題の場面ですが、「伊藤さんには女の落ち度がある」と確かに言っていました。「女性が働いていれば嫌な人にも声をかけられる、それをきっちり断るのもスキルのうち」「自分もそういうことは山ほどあるが、それはそういうものかなって」そして、「日本の司法が山口さんを訴えないという判断をしたのだから、それを疑うというのは司法を疑うということ」「司法に対する侮辱」「日本の警察は世界一優秀」「伊藤さんが嘘の主張をしたために、山口さんに抗議が殺到した。男性の方が被害を被っている」と言っていて、この人は本当に権力が好きなんだなと痛感しました。司法が全く間違いを犯さないという信念をどうやってもてるのでしょうか。司法といえども人間のやること。間違いを犯さない人間がどこにいるでしょうか。

 しかし、こうして問題となってニュースにもなって改めて発言を見るとひどさが分かりやすいけれど、何度も考えていると、どうしても、日常的によく出会う発言に見えてきてしまいます。授業で性暴力を取り上げると、受講者からかえってくる反応に必ずこういうものがあるのです。

 新潮45の寄稿でも、「もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません」とあります。杉田議員は、このように自らは「差別していない」というポーズをとりながら、「生産性のないLGBTカップルに社会的支援を行うのはおかしい」としています。そもそも「LGBTカップルへの社会的支援」が具体的に何を意味しているのか不明です。同性パートナーシップを承認する条例等のことを言っているのでしょうか。「LGBTカップルに税金を使う」ことに反対をしていますが、カップルの証明書の発行に要する紙代や印刷代のことでしょうか。だとするとずいぶんセコい話に聞こえますが・・。それともその業務を扱う公務員の人件費のことでしょうか。わざわざ同性カップルの証明書発行にだけ臨時であれ公務員を雇う自治体はあまり想像できませんが・・。それ以前の前提として、同性パートナーシップの条例はあくまで同性のカップル対象のものですから、トランスジェンダーのカテゴリーとは直接関係ない話ですし(戸籍変更してないトランスで、同性愛者の場合は別ですが)。
 政策論だというのなら現状をきちんと把握してからすべきですね。

 それはともかく、杉田議員のようにLGBTと生産性を結びつける議論は、LGBTの権利を擁護しようとする文脈でも使われます。「能力の高い、生産性の高いLGBTを企業は高く評価すべきだ」という言い方ですね。ダイバーシティ(多様性)という言葉と結びつけて語られます。前述のくだりから想像するに、杉田議員はおそらくこの論理には賛成するんじゃないかと思いますが、今回の杉田発言を問題視した人々はどうなのでしょうか。「子どもの生産つまり再生産ができないからLGBT支援は不要」という論理に反対する人でも、「企業等で利益を上げるという意味での生産性」によってLGBTを評価する、という論理には賛成する人も一定程度いますよね。
 そしてこれは女性についてもいえることです。ずっとこのブログで論じてきていることですが、「能力の高い女性を正当に評価すべき」という論理がフェミニズムの内部にある程度根付いているわけですが、その論理では行けるところまでしか行けない。その「能力」を決めているのはそもそも誰なのか、どういう根拠に基づいて決められた「能力」なのかということまで考えないと自由には届きません。


 問題は私たちがいかに杉田的な論理から自由になるか、ということなのだと思います。生産性で人を評価し、処遇に差をつける社会があり、生産性を基準に作られている社会がある。そのことを認めた上で、そうでないものをどうやって作っていくかを考えないと、単に杉田発言を批判してもアリバイにしか見えません。運動内部であっても、当事者に序列がつけられ、生産性を強要されることはあります。杉田的な論理を自分たちの内部にあるものとして批判しないといけないのでしょう。

 そして、この発言をしたのが女性政治家だということにも注意すべき。近年ジェンダー論(海妻径子さんら)で議論されている女性保守政治家の台頭の問題です。保守の男性政治家同様に、さらにはそれ以上に過激な右寄りの攻撃性を表現する女性たち。これがジェンダー秩序の変容の基本的な一要素であり、単なる「男女平等」を示す指標と単純化してはならないこと。再生産を強要される女性という立場に立ってあえて再生産能力によって社会的支援の必要性を決定しようとすることの不気味さと、あるいはそれゆえの訴求力。男性がそれを言うより批判しにくくなります。今回それを言った杉田さんがまだ政治家としての権力がそこまで大きくないからいいようなものの、もっと人気のあるポピュラーな女性政治家が同じことを言ったら世論はどう反応するのでしょうか。


 最後に、前にも触れた優生保護法下の強制不妊手術等について「優生手術に対して謝罪を求める会」らが開催した集会で採択されたアピールが良かったので、掲載しておきます。

**************************************

2018.7.28 優生保護法に私たちはどう向き合うのか? 集会宣言

1. 国は優生保護法の人権侵害に早急な謝罪と補償を
優生保護法は、多くの人々の人権を侵害し、法改正から22年たった現在も、さまざまな影響を及ぼしています。
優生思想に基づく不妊手術(卵管や精管の結紮、切除)と人工妊娠中絶によって、さらに、法が認めた手術に違反して行われた子宮や卵巣、睾丸の摘出等によって、性と生殖に関する自己決定権や尊厳を否定された人々がいます。その当事者たちは、今も大きな苦しみを抱えています。
優生保護法によって、障害をもつ人への差別が正当化され社会に深く浸透しました。「不良な子孫」と決めつけられた人の「性と生殖の健康/権利」は、現在も奪われたままです。障害に対する否定的なイメージが強調され、障害者は不幸、障害は避けなければいけないという圧力は強まってさえいます。
国は優生保護法によって人権を侵害されたすべての人、とりわけ、第3条、第4条、第12条、第14条によって不妊手術や人工妊娠中絶を強制・強要された被害者に対して、心からの謝罪と補償を早急におこなうべきです。
2. 国は優生保護法による人権侵害の全容について調査検証を
20年以上、国が実態調査に取り組まなかったために、すでに多くの資料が捨てられてしまいました。国は直ちに、第三者的な調査・検証委員会を設けるべきです。
優生保護法による人権侵害の全容を明らかにする調査においては、法が定めた手術とともに、子宮摘出など同法の範囲を逸脱した行為も対象としてください。
3. 国は優生保護法への反省にもとづき、差別を解消する施策を
優生保護法による被害を風化させず、二度と繰り返さないために、市民、とくに医療従事者、教育・福祉関係者等が優生保護法の問題点を知り、差別解消に向けて学ぶ必要があります。
障害があってもなくても、誰もが、産むか産まないか、子どもをもつかもたないかを自分で決められること、どんな選択もサポートされ、性的指向やセクシュアリティも尊重されること、生まれる子に障害があってもなくても、育てる上で格差や差別がないこと……これらを実現する施策が求められます。

私たちは以上のことを強く求めます。

2018年7月28日
「優生保護法に私たちはどう向き合うのか?」集会参加者
























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by anti-phallus | 2018-08-07 17:12 | つれづれ | Comments(0)

日本はもう男女平等になったのか?

 最近、ポストフェミニズム論ということで書いている。先日来、逃げ恥というドラマをテーマに分析したものを発表してきている。なぜポストフェミニズム研究をしているかというと、院生時代からやっている「慰安婦」問題や戦争と性暴力の問題では言いにくいものが広がっていると感じたからだ。
 過去の性暴力の問題だと、現在の性差別の存在について直接指摘しづらい。基本的に皆、「昔の差別の問題」に今どう向き合うか、という姿勢で考えている。そして、戦争がらみの問題なら「マクロな政治の問題」だから下手なことを言えない、という感じで、建前的に立派なことを言いたがる。
 だが、性差別や性暴力は本当に昔のことなのだろうか?そんなわけがない。財務省の副次官が典型的なセクハラ発言をしていたことが明らかになっても、政治的に大した影響もなく忘れられようとしているし、男女の賃金格差はいまだ2倍もの大きさだ。
 ところが、逃げ恥批判やポストフェミニズムの発表をしていると、「もう若い世代の男性はセクハラ発言などしない」と言ってくるひとがいる。また、論文にもした「女子力」アンケートを発表したら「これは愛知だけの結果で、東京ではこんな保守的な結果にはならない」と言われたこともある。どれも階層の高い若手男性研究者から言われたことだが、一方で、同席した女性若手研究者は、後でこっそりとわたしに打ち明けてくる。自分が女性であることで抑圧的な発言をされること、バイト先で女性性を強要されること、結婚や子育ての圧力に苦しんでいること・・。
 おそらく、女性差別などない、というテーゼは、年齢や世代を問わず男性の立場にいると信じたい願望なのだろう。その陰で女性たちは我慢している。20代前半の就職したての女性から聞いたのは、普段、同世代も含めた男性を立てるようにとても気を使っていること、そして男性たちは全然それに気づいていないこと。
 現代の特徴は、このような性差別的な状況に対して集合的に異議申し立てしにくいことだ。男性の多くは女性差別はもう終わった、特に若い世代は差別意識はない、と思っているし、また、女性でもそう思っている人も多い。
 先日、結婚や出産でも退職しない女性労働者の割合が増えた、という報道があったが、そういった変化も男女平等の証拠とされる。だが本当にそうだろうか?単に、女性も働かないと経済的に苦しくなったからではないだろうか?女性労働者の正社員率はどんどん減っている。今や過半数は非正規である。どうしてこちらの事実はマスコミはクローズアップしないのだろうか。

 みな女性は自由になったという幻想を信じたがっている。現実の差別に気づくのは精神的につらいことだから。差別はどこか遠いところ、自分とは直接関係ないところにあると思っていた方が楽だから。だが、その幻想の大きさに触れれば触れるほど、私は怖くなる。それだけ現実が厳しいことを示しているから。幻想の大きさの陰で苦しむひとがどんどん増えるから。
 「差別は終わった」と考えている男性にも、目を覚ましてほしい。そう考えている限り、世界の半面、いやごく一部しか見えないのだし、自分の中の何かをも抑圧しているのだから。









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by anti-phallus | 2018-07-08 12:18 | つれづれ | Comments(0)

2017年衆院選挙結果を受けて 小池百合子と山尾志桜里と

今回の選挙にはかなり心を振り回されてしまった。前原誠司氏が民進党を希望の党に合流させたところから、驚いた。民進党はいちおう戦後左翼を代表する大政党だった社会党の後継だったはず。それがこんな簡単に選挙戦略のために解体されていいのか、というのが率直に疑問だった。案の定、結局は希望の党は失速した。前原氏の政治的責任は重い。この政治状況に良い面があるとしたら、政策的にごちゃごちゃだった民進党が一掃され、ある程度路線の明確な立憲民主党ができたことだ。

立憲民主が躍り出て、少し希望が見えるものの、与党の「3分の2」超獲得という結果についてどう考えたらよいだろうか。いくつか気にかかること、けれどもあまり世間では論じられていないように見えることがあるので書いてみたい。

希望の党騒ぎをどう評価したらよいか。希望の党とはほぼ小池百合子を意味しているわけだが、私はこの騒ぎが、今のマスコミ、ひいては日本社会の女性への扱いを象徴しているように感じられて仕方ない。ちょっと目立つと一斉に注目し、ちやほやするが、必ず何かスキャンダルなり事件なりマイナスな出来事が起きて、そうすると手のひらを返したように叩く。山尾志桜里議員、少し前の小保方晴子さん、もっと前の辻元清美、みなそうではないだろうか。最初の頃の、チヤホヤぶりも、その女性の実際の「実力」や「実績」を公正に評価しているようにも感じられない。「女性なのに(すごい)」という男性中心的な視線が感じられる。それが一旦ケチがつくと、同じことを男性がやったときに想定される以上の制裁が行われていないだろうか。

ただ、小池氏はそういうマスコミのバイアスも承知の上で行動しているようにも見える。何らかの政治的駆け引きの結果の行動であろうから、小池氏は単純にマスコミのジェンダーバイアスから損をしたとはいえない。
私は小池氏をもちろん支持していない。きちんとした政治的見識がある政治家とは考えられない。とくに安全保障政策や憲法改正問題への姿勢において評価できない。だが同時に、マスメディアの報道ぶりにも疑問を感じる。そういうアンビバレントな印象を、彼女を見ていると抱いてしまい、居心地が悪い。小池氏の政治的立場をよく理解せずに、彼女の女性という性別ゆえに期待をしている女性有権者や若い人たちの存在を考えると、全く悲しくなる。この社会が女性に対してバイアスを課しているゆえに、多くの女性が「強い女性」に見える小池氏に期待をし、小池氏やその周辺はその期待を利用するが、彼女/彼らの政治がその期待に応えることはおそらく絶対にない。どうしたら多くの人は眼が覚めるのか・・・。

マスコミと政治の男性中心性で最も損失を受けたのが山尾志桜里氏だろう。「不倫疑惑」というが、「不倫」というのは結婚制度への忠誠があるからこそ成立する概念で、わたしの「反婚」の立場からは意味のない概念である(笑)。あるとしたら、当事者を傷つけないようにできるだけ関係性を一つ一つ尊重した方がいいという信念から、どうジャッジできるかということのみである。そう考えると、山尾さんの私的な関係性を問えるのはその当事者たちのみであるから、そのことを国政という政治の場面に持ち出す必要性はゼロである。安倍首相が森友・加計学園問題で批判されてもいまだ無傷でいるのと比べて、山尾氏への制裁はあまりに過剰で異様なほどだ。ただし誤解のないように書いておけば、ハラスメント等は別問題だ。例えばクリントン元大統領のセクハラ問題があったが、あれは被害者の告発があり問題化したものである。ハラスメントとは権力関係のある中での性的な力の行使だから、いわゆる「不倫」というものとは次元が異なる。

歴史的に見れば、男性には婚外の性関係が奨励されるが女性には貞節や夫への忠誠を求める時代が長かった。現在日本では法的にその意味での男女の差が解消されたとはいえ、社会的には男性のそれより女性のそれに対するほうが視線は冷たい。
保育園の問題で注目を集めていた山尾さん。保育園の問題とはすなわち女性の問題である。保育園が不足していて、利用できずにまず困るのは女性である。そのような女性たちのニーズを受けて、注目されていた山尾氏が、「不倫」疑惑という男性中心的な問題化で政治的に追い詰められるとは、なんとも皮肉というか、逆によくできたお話のようにも見える。山尾氏を追い詰めた週刊誌は、常に女性の(半)ヌードグラビアを載せているような媒体だ。男性中心社会からのリベンジのような。

とはいえ選挙では辛勝したことは、本当に「お疲れ様」と言いたい。これからも彼女にはこの疑惑の語りがついてまわるのだろうけど、そういう「傷」を負ってこそ、頑張って欲しい、いろんな「傷」を受けている女性のために。

ちなみに瀬戸内寂聴さんが、この疑惑について「絶対クロ」だとした上で、どうのこうのという論評を新聞で発表していたが、このようになんでもスキャンダル化+(ヘテロ)ロマン化して発言しようとする層にはもういい加減紙面を提供するのを「自粛」して欲しいものである(笑)。(追記:あれは山尾応援論だという説を聞きましたが、だとしても、冒頭、山尾さんの容貌についてどうのこうのと書いていて、政治家を容貌のみで評価している時点でもうアウトでは?なんか女優のことでも書いてるのかと思った・・。飲み屋の談義じゃないんだから。こういうところが日本の新聞のジェンダー意識の低さを示しています)

そして最後に残る問題は、あいかわらずの自民党へのマジョリティの依存である。自民党に投票している人々がいちばん気にしているのは「経済」や「景気」であろう。自民党が「経済」に強いというのは幻想である。自民党が強いのは、「景気」をよくしたと見せかけて、エリート大企業へ利益を誘導するマジック戦略である。自分たちの生活をよくしたいのならば、「人権」や「公正」を優先する政治にしないといけないのに。

世の中が不安定化し縮小していると感じられると、権力のあるマッチョな存在に救いを求めてしまいがちだ。国の軍事力を解禁させようとするのはその象徴である。だがそれでは権力の不均衡が再生産されるだけ。不均衡のあるところ、必ず状況は暴力的になり、社会問題は拡大する。少しでも不均衡を是正させようとする政治が最終的に安定を保証するのである。ああ、もう少し政治リテラシーが向上しないと・・・。































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by anti-phallus | 2017-10-27 13:54 | つれづれ | Comments(0)

選挙結果

 二つの選挙を経て、しみじみと時代を感じている。負けたのは、日本の政治的良心なのだろうか。

 しかし同時に、この結果が意外ではなく、当然だと感じる自分の心もある。日本は今うまくいっていない。日本社会の悪い面が前面に出ている。
 普段相手にしている若い人々から、今の社会の意識が伝わってくる。とくに男性は、「国家」の魅力に惹きつけられている。全員が総動員されて、一つの目的に向かって、敵に向かって戦う世界に憧れている者が多い。その思想内容がいかに単純で軽いものであっても。女性も、一つの枠に入れるように必死になり、遠くを見る余裕が失われている。
 若い人々のこういう意識は、社会の閉塞と自分自身の生き難さと不安を根拠にしているが、運動のイニシアティブを持っている60歳代くらいの活動家層はあまりわかっていないのではないだろうか。世の中がこれだけ不安定化していれば運動など関わる力は出てこないし、支配的な価値観に対抗できない。私の世代ですら、というかこそ、仕事や子育て、介護でいっぱいいっぱいで、政治や社会を考える余裕など残されていない。

 世の中は短い時間にあっという間に変わるんだなあと不思議である。私の学生時代にはまだまだ社会は余裕があった。不景気ではあったが運動はまだ元気で、日本を変える可能性もまだ現実的に感じられていた。それがどんどんきつくなっていった。労働環境は悪化し、社会的連帯のようなものは失われていった。
 とはいえ、日本社会の全員が改憲して「戦争のできる国」にしたがっているとか、拝金主義に染まっているわけではない。多くの人は平和を心から望んでいるし、憲法も変える必要を強く感じてはいない。だがそのような声が政治勢力として結実する仕組みが失われている。

 戦後の左翼運動が政治的に、また思想的にうまく継承されなかった損失は大きい。最近注目される左派的な運動が見事に「左翼」的なものを否定して差異化しているのは悲しい光景だ。
 それからマスコミが政治的圧力によって空洞化されてしまったこと。朝日新聞の「慰安婦」報道バッシングが総仕上げだったろう。今では学生に「新聞を読みましょう」と言いたくても言えない。インターネット上でましな情報を探す方が有益だからである。

 フェミニズムへの市民の共感が、都知事選の小池氏当選に利用されてしまったとすれば、フレイザーの悪夢の日本版である。鳥越氏は戦後左翼を象徴するような存在でもあったから、構図としては分かりやすい。
 日本はどんどん戦前のファシズムに似た状況になってきているが、そのまま昔を繰り返すことはないだろう。新自由主義という新しい意匠を伴っている。
 どちらにしても、しばらく平等や自由を愛する者にとっては苦しい状況が続く。暗闇の中、できることをやるしかないだろう。
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by anti-phallus | 2016-08-01 16:13 | つれづれ | Comments(0)

最近読んだ小説のことなど

 鬱々として追いまくられる(こういう書き方するとよほど暗いひとと思われるからやめなさいと言われたので削除)日々の中、なんとか生き延びていけているのはひとつには小説のおかげ。小説というものがあって、またそれを読める環境があってほんとによかった。

 わたしは漫画や音楽も好き、映画も好きですがそれらは楽しめる条件みたいなものがあって、ある時期には触れられなくなったりする。だけど小説はいつでも読んできた、と思う。比較的安くて、持ち運びしやすくて、体にも負担が少なくて、時間も自由にできて場所も選ばず・・・という様々な条件。
 というわけで最近読んでいたのはひとつには津村記久子という作家。このひと、結構前からよく知られている人みたいで、たまたま読むことになったのだけど面白くて大体全部読んだかな。でも当たり外れも大きい感じで、個性的なひとです。面白いのは「お仕事小説」とかいわれているらしいが、OLやサラリーマンが主人公の、仕事や日々のあれこれをだらだらっと綴った系統でしょう。瑣末なことが神経症的なまでに語られるのだけど、これって私たちの日常そのものだな、となんで今までこういう小説ってなかったんだろうと、確かに新しいジャンルの発見的な喜びがある。

 ただ、1点だけこの人の作風に違和感を感じたのは、たまに出てくる「救いたい欲求」みたいなもの。上記のお仕事系にはあまり出ていないのだけど、リーマンやOLではない若い世代を主人公にした系統のものにあります。毎日いろいろある中で、主人公が友人や誰かの問題を解決する、ということで終わる作品が何個かあるのだけど、少々それには乗れなかった。女が女を救ったり男が男を救ったりもあるのだけど、範型にあるのは男が女を救うヘテロセクシュアルなロマンであるようにも読めるのも悲しい。女性作家がヘテロセクシュアル・ロマンを描くということの意味を考える。

 救いたい願望は誰にでもある。救うというのは確かに絶対的な良いことではある。でも長年生きてくると、その願望の裏には権力への志向もあるよな、とも思わざるをえない。わたしが小説で読みたいのは、その両面を含めた世界なんだろうなと思う。
 まあそういうことを思わせてくれたことも含めてこのひとは嫌いじゃないし、新作が出たら読みたくなると思う。

 で、ツムラはだいたい読み尽くしたので本棚で眠っていたレイモンド・カーヴァーを読む。村上春樹が翻訳、編集したという。春樹にはわたしは微妙な感情を持っているので、まゆつば物で読み始めたけど、なかほどでギブアップ。やっぱりカーヴァーにしても春樹にしても良い作家だよね、と。男性の悲しみ、女性のむなしさをあるぎりぎりのところまで見つめているような。

 そして最近考えたのは、どの小説にしても、それが書かれた時代、場所にどっぷり埋め込まれているな、ということ。ツムラなどは典型だけど、今の日本じゃないとこれはありえない。カーヴァーも、この時代の他のアメリカの作家にも共通する、軽くてソリッドな世界の中で立ち尽くし、たまに立てなくなる瞬間のことを書き続けているようなところを感じる。それでもこのひとびとは立とうとし続けるし、誰かが誰かを救うことはできないのだけど、ほんの些細な小さいことを提供して、それで肩を抱き合っている。知らないもの同士が。そんな世界の悲しさと素敵さが描かれている。
 アメリカは国家としては強大で、ある場面では暴力的になるけれど、こういう作家がいるということはなんともいえない。
 小説が書かれるというのはたいていはごく個人的な欲求から始まるのだろうけど、それが最終的には作家を取り巻いているものの表現に終わっていくというのは不思議な感じ。私たちってどこまで埋め込まれてしまっているのか。。埋め込まれたくないという思いで人は書き出すのだろうに。
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by anti-phallus | 2016-04-30 13:47 | つれづれ | Comments(0)

昨夜の地震

 久しぶりの更新になってしまった。締め切りは重なってるし、新年度だしでバタバタもはなはだしい。
 そんななか昨夜の熊本の地震の報道で、なんだかとてもパニックになってしまった。自分でもびっくりしたが、やっぱり311のトラウマまでいかないにしても何か傷が残っているなあと実感。
 震災後の志津川(今は南三陸町になってる)の海辺を車でまわったときの記憶がよみがえる。こんなところまで波が来たのか、と恐怖を感じたあのときの記憶。去年、愛知のある温泉に泊まった時、海辺の宿だったのだが、夜になったら波が怖くて眠れなかった。バカみたいと自分で思いながら。
 海辺で育ったわけではないし、311のときに宮城にもいなかったが、それでも子どもの頃海水浴に行った志津川の海で起きた津波は、なぜか自分自身が体験したことだったかのように思えてしまう。本当の被害に遭われた方には申し訳ないけれども。
 故郷というのはそういうものなのだろうか。311以来、心のどこかにふたをして生きてきているような気がするときがある。そして5年経って、やっと目を向けられるようになってきたような気もする。今後、何ができるのか、また日本がこれからどうなっていくのか本当に分からない。ただ、原発の問題に背中を向けていってはいけないだろうとは思う。こんなに地震の多い国で、一体どうしようというのか。。。これ以上不安と悲しみを増やしてほしくない。
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by anti-phallus | 2016-04-15 20:58 | つれづれ | Comments(0)

理想のからだ

 ヨガをやってるとインストラクターの方が「理想のからだを目指しましょう」というようなことを言っているのを耳にする。
 改めて考えると、理想のからだって何でしょう。たいていの場合、有名な〇〇さんのスタイル、などが例に挙げられているのですが・・・。しかし、みながそういう誰かのからだを目指してそれに近くなるようにそれぞれのからだを変えていったら怖いことになるのではないでしょうか。どこを見ても同じような体型の人ばかり・・みたいな。

 人間はロボットではないので、それぞれの個性があってあたりまえ。わたしもからだに対して色々思いはありますが、やせようとするにも太ろうとするにもそれにしてもまず大事なのは、自分のからだを愛する、大事にするということではないかと。
 どこをとっても競争の激しい現代社会。とくに女性は顔やからだまで競争の対象になりがち。女を生きるっていうのはけっこうたいへんなことです。
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by anti-phallus | 2015-11-16 14:17 | つれづれ | Comments(0)

理解できていないこと

 この間ずっとイスラム国のことを考えていた。去年からその組織についてはネットで調べ出していて、中田考さんの著書を注文したりしていたところだった。
 最初の後藤さん、湯川さんの動画の公開は1/20だった模様。2週間くらい経つのですね。
 なんと言ったらいいのか分からない状況である。多分、わたしが何も知らないからだろう。イラクやシリアの現状について、とくにひとびとの思いについて知らない。パレスチナ問題についてだいたいの構図は頭に入れていて(つもりで)も、なかなかリアルに身を入れて学ぶことは出来ていなかった。

 しかしこの事件の「リアルさ」は何だろう。湯川さんや後藤さんの人間性や経歴についてある程度のことがネットを見ていれば分かってしまって、本人(と思われる)のツイッターやブログも簡単に出てきて、ふたりの「キャラ」について好き嫌いを述べるひとがいて、さらにふたりが拘束され、「殺害」されたとする動画が世界中に公開されている。
 また、「処刑人」といわれる人物についても情報が飛び交っている。

 わたしは、正直、今のこの状況をまだ理解できていない。

 この、暴力が「さらしもの」になっている世界をどうやって捉えたらいいのだろうか?
 もちろんそういった情報や映像、文章を隠すべきだとは思わない。一部の本当に残虐なものを除いて。例えばネットで情報の流通を禁じて、マスコミのみの報道に頼れば、全くほとんど何も分からない、「無知」の立場におかれるだろう。それで満足できるわけがない。

 そしてそもそもの、このような暴力組織を生んでしまったこの世界を、理解できていないというのがいちばん重要なことだ。
 今回の一連の事件の流れの他方で、イラクやシリアでは空爆や戦闘によって多数の人々が殺されているという。
 さらに日本政府は、ますますこの暴力の応酬に参戦していこうとしているようだ。

 「植民地主義」の恐ろしさを、今回は改めて感じることとなった。近代世界はその発端から侵略、征服という暴力によって成り立っていて、その傷跡はずっと残っている。この矛盾が最も大きく現在でも噴出している地域のひとつが中東だろう。
 現地の人々の絶望、諦め、叫び、 先進国に住むイスラム系住民の苦しみ。

 植民地主義から自由になれる者はいないと言わざるを得ないだろう。現在日本で起きている「慰安婦」バッシング、ヘイトスピーチなどの問題もこの次元から捉えられなければならない。
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by anti-phallus | 2015-02-05 18:05 | つれづれ | Comments(0)

ミソジニーの実例

こんなにもくだらない、女性の身体をあげつらったメディアが普通にあふれているのに、女性が女性の性器を表現したら逮捕、起訴する国って、どれだけ女性をバカにしてるのか。これがミソジニー(女性嫌悪)の実例です。あるコンビニで。


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結局この国は、女性が男の「欲望」みたいなものにしたがって可愛くしたり、たまにちょっと「色っぽく」してたりすれば、ご褒美を上げて「守って」やるよってそういう国だっていうことが今回のろくでなし子さんの事件ではよく分かる。

女性がそういう秩序に従わず、ちょっと自分で自分の身体を自律的にコントロールしようとするととたんに権力発動。
あまりに分かりやすい。

これはその他大勢のわたしたち女性への見せしめです。女はこの国の男性中心的秩序に従っておけ、さもなければ・・・という。みな逮捕されたり責められたり白い目で見られたりするのはごめんだから、おとなしくせざるを得ない。
今の日本は女性にとって恐怖と危険で満ちている。
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by anti-phallus | 2014-12-25 13:24 | つれづれ | Comments(0)

ジェンダーの意味

 最近思うこと。
 ジェンダー論を長年やってると、ジェンダーやフェミニズムの学問的な深化が当然のことになってしまって、そこからしか考えなくなっちゃう危険がある。

 わたしは『ジェンダー・トラブル』のあたりから入っているから、ジェンダーは社会構築物だということが当たり前できちゃってるんだけど、たまに、学問や研究関係でないひととそういう話をすると、改めて、ジェンダー論って全然浸透してないな〜と感じ入る。(注:いやよく考えれば、学問関係の人と話しててもそうだ。単に、ジェンダー論について詳しくない人と話すと、ということですね)

 当たり前なんだけど、でもセクシュアリティ関係の集まりでもそういうことがあると、けっこう愕然としてしまう。セクシュアリティの運動と、ジェンダー論の進展が切れてるのかもしれない。

 世の中のたいていの人は、男女の性差は自然に決まっている生物的なものと考えている。その性差というものの中身は、「女のコはフリルやかわいいものが好き」とか「男はむきむき」とか「男は女が好き」とかジェンダー論的にはかなり第一歩的な内容。

 性同一性障害という「疾患」に関する認識がそういう傾向を後押ししたのかもしれない。そう思うとなんともいえない気持ちになるが。

 ジェンダーの認識は個人によってばらばらでありながら、改めてそれが表に出されることは少ない。みな「男の人は〜よね」とか「女は〜だから」とかぶつぶつ言うだけで、それが本当にそうなのか、どうやったら検証できるのかなどまでは考えない。
 このように身体化された言説だからこそ支配力も大きい。

 ジェンダーは社会的につくられる、内容は恣意的でその時々で変わる、それに縛られる必要はない、ということを何度も何度も言っていかなくてはいけないのだろうか。










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by anti-phallus | 2014-05-29 10:28 | つれづれ | Comments(0)