菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:フェミニズム( 26 )

上野氏の記事について

 上野千鶴子氏のネット上の記事(インタビュー?)が一部で話題になっているようだ。上野氏がツイッターなどネット上で批判されていることは今までもよくあったが、私はスルーするようにしていた。というのは、上野氏はネットが普及する以前から(文章や発言に対して)毀誉褒貶の大きい人で、また言動自体が極論をあえて言うことで注目を浴び、批判も込みで騒がれることをねらっているようなところがあるから、わたしはあえて言及することでその戦略に乗りたくなかったのだ。10年ほど前に論文上で彼女のスタンスを批判したことはあったし、まあもういいかという気持ちもあった。何よりフェミニズム内部で対立するように見えれば、フェミニズムの戦略上良くないだろうという判断もあった。
 だが、ここ近年のフェミニズムの凋落(?)ぶりを見ると、かえってそういう内部批判による変革の欠如がフェミニズムの後退に一役買ったのだろうかという疑念が強くなってきた。
 改めて、フェミニズムの名の下にされる上野氏のような影響力のあるだろう言説をきちんと公的に評価していくことも必要なのかもしれないと思う。というわけで今回の文章を見てみたい。

 元ネタはコレ↓

「『女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!』上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図」


 何度か読み返して思ったのは、ジェンダー研究者というよりは経営者目線だな、ということ。
 上野氏の文章は大抵そうなのですが、いろんな人の言っていることやデータを器用に切り貼りして分かりやすくまとめちゃいます。その器用さがこのかたの売りで、ある場面では役に立ちますが、じっくりとそのテーマについて理解したり味わったりするには不向きなタイプの文章です。まあじっくり論じるタイプの文章は一般の読者には向かないと考えれば、こういうタイプの文章は別に悪くない。ですが、この記事はインタビュー形式のためか、よりその欠点が目立っていますね。

 ネット上での批判の多くは後半の、「鍋を食べてユニクロ着て100円DVDウンヌン」のあたりに集中しています。前半で女性労働の問題を論じているのに、後半でそういうご提案かよ!と驚いている人が多い。ユニクロがいわゆるブラック企業で、労働者の使い捨ての上に成り立っているという最近の批判を上野氏は知った上でこう言ったとすればかなりの問題だと思いますが、その点や、そういうライフスタイルをパッケージ化して「これも幸せでしょ?」と差し出してしまう姿勢等が批判を浴びています。

 わたしもそれらの批判には同感ですが、その上で前半部分も考えてみたい。ここは、労働とジェンダーについて勉強しているひとならだいたい知っているだろう、一般的な知識です。とくに大きな発見もないし、問題もない。ただ、あれ?と思うところがあります。

引用
「男女雇用機会均等法が成立したのが1985年。女性の雇用・労働問題に取り組む女性ユニオン東京の伊藤みどりさんは、この年を「女の分断元年」と呼んでいます。これ以降、働く女性は「正規雇用か、非正規雇用か」という大きな分断線で2つに分けられてしまったからです。」

 大きく間違ってはいないのですが、85年を問題化する論調が出てきたのはジェンダー論の中でもここしばらくで、多くの場合は均等法というよりは、それと同年にできた派遣労働法のほうを批判します。これまでは均等法はまだしも派遣法の方はあまり注目されてこなかったのですが、99年の派遣先業種拡大以来、どんどん改悪されていき、この10年くらいの間にその問題性が理解されてきました。
 上野氏は85年以降女性労働者が「非正規か正規か」に分断されたと言っていますが、というよりは、均等法はそれまで男女別に労働者を採用・雇用管理していたシステムから総合職と一般職に分ける「コース別雇用」を企業に導入させたことが問題です。実質は男女別に雇用管理しているのに、それを「コース別」という隠れ蓑を持ってきて見えなくしてしまったわけです。いわゆる「間接差別」です。
 女性が「正規か非正規か」で分断されるのは85年以前からあったこと(パートという女性の代表的な働き方は高度成長時代に増加したもの)で、均等法によって発生した問題と言えるかは疑問です。
 上野氏は以前から均等法について批判してきており、それは重要な指摘です。ただ、派遣労働の問題は均等法と別の法律から直接には発生しているわけですし、こんなにおおざっぱにまとめるのは「ジェンダー研究者」の公的発言としてはどうなのかなと思います。わたしもおおざっぱとよく周りから言われるほうなので口幅ったいですが。。。自戒をこめて。

 その後はそれほど専門的な内容でもないですし、とくに批判することもないのですが、ただ特徴として安倍政権の女性活用策を「間違い」だとしているところに違和感がありました。これは実は他のジェンダー研究者にも最近増えているスタンスなのですが、ある政策を誤りや間違いだとするスタンス。わたしは違和感があって、というのはそのスタンスは政権や政治家、あるいは大企業経営者の立場を代弁してしまうのではないかと思うからです。政治家や経営者視点から「女性の活用」とやらを正しいとか間違っているとか言っても、そこから本当に女性や労働者のためになる判断が出てくるとは思えない。
 もちろんいろんな場面で、そういうレトリックを使うことの有益さはあると思います。何しろ世間では労働者目線というより、経営者目線で誰もが世の中を見てしまっていますから。ただわたしは、あえて、そういう目線ではなく、本当に自分の置かれた立場、あるいはより弱い立場から社会を見ていけるようにすることが、ジェンダー論やフェミニズム、あるいは社会科学の役割だと思っています。上野氏と学問観、あるいはフェミニズム観が違うのかもしれません。

 あと、次の部分。

「それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。」

 ここですが、北欧の公共化オプションはともかく、アメリカの「市場化オプション」を並べてしまうのは危険です。「市場化オプション」とやらは、アメリカの収入の高い仕事に就いているカップルの家庭で、移民の女性をメイドとして私的に雇うことを指していると思われますが、これをひとつのオプションとして提示してしまうのは、わたしは怖いです。
 移民の女性は正規の滞在資格を持っていることもあればそうでないこともある、非常に弱い立場です。そのため雇い主からのハラスメントに遭いやすいことがジェンダー研究、移民研究では指摘されている。背景にはアメリカ等富裕国とメキシコや南米などの貧しい国の間の大きな構造的格差があるわけで、そういうことを考えれば、安易にオプションとして提示できるものではありません。
 このあたりが経営者目線だなーと思うゆえんです。

 前半の最後あたりで、多様性を持たない日本企業は沈没するだろう、ということを言っていますが、これもジェンダー論関係で最近多い論調です。日本経済のためには女性を活用しろ、ダイバーシティを推進しろというレトリック。このレトリックを正面から否定する気はありませんが、わたしが言いたいのは、これまで日本経済が「発展」してきたとすれば、それは女性の労働力を酷使してきたからではないか、ということ。
 日本の企業は女性を「一般職」やパート、派遣として安く使ってきました。でも女性たちは社会的発言力が弱いですから、この差別を問題視しにくく、あきらめて働かざるを得なかった。家庭内の家事労働も含めて。そんな女性たちの我慢とあきらめの上に日本経済は安住してきたことにみな気づかなくてはいけないと思っています。そして、「女性活用」というならば、皮肉に言えば、日本企業はこの差別構造を利用してきたのですから、狡猾にやってきたのです。それを間違っていると言って、同じ土俵で争っても仕方ない。
 気づかなくてはいけないのは、女性活用の成功云々ではなく、女性や労働者たちが経営者や政治家目線でものを考えるのをやめて、本当に自分たちのために社会を変える視点を持つことです。

 それから、後半の年収300万円同士で結婚してユニクロで幸せに、というところも大企業の会長が週刊誌等で、あるいは飲み屋でしゃべっていると考えれば納得がいく。上野氏は以前は結婚制度を批判していましたが、その問題意識はどこにいってしまったのか。
 年収300万円で幸せに、というのは、前半で批判していた現状の「女性活用策」にもろに適合しているように思えますが。。。
 「女たちが生き抜く術を聞く」というこの記事のスタイル自体に問題があると思いますが、なんだか迷える女性たちが上野氏に群がって救いを求めているみたいな・・・ツイッターでも書きましたが、フェミニズムというものは女性自身がエンパワーして、社会に働きかけていくためにあると思うので、誰かえらいひとにすがるものではないのではないかと。

 長くなったのでとりあえず筆を置きます。
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by anti-phallus | 2014-03-02 22:00 | フェミニズム | Comments(0)

家事労働の話

 10年近くジェンダー関係で研究し、大学で教えていますが、気づかないうちに「世間」とのギャップが大きくなっているような?いや前から大きいのか?

 世間の人たちは、「女性差別はどんどん解消されている」とものすごーく思っています。ですが、それは一体どういう根拠からなのでしょう???というのがわたしの疑問であります。

 先日、「最近男性が家事をするようになった」という言い方を聞きました。その中の一人の方は保育関係の方で、「だから保育園の子どもが汚れた格好をしていると、母親が何をしているのかと思う」(父親が家事を手伝っているのに母親が子どもの世話くらいしろ、という意味?)とおっしゃっていました。それこそがジェンダー規範なんだって!

 ちなみに、家事分担の調査を見ましょう。

 総務省のサイトからです。

 これを見て、家事分担が進んでいるといえるでしょうか???
 わたしは統計はダメですが、こういうとき、大事なんですよね〜。

 今、恐ろしい勢いで「女性差別は終わった」ようなイメージが老いも若きも大勢の人々に浸透しているように感じます。そうではない現実に気づくところからフェミニズムが始まるんですよね。
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by anti-phallus | 2013-05-13 21:47 | フェミニズム | Comments(0)

フェミニズムの冬

 今、フェミニズムの冬に突入しているように感じます。みんな気づいていないんだけど、社会運動の中でも、とくにフェミニズムは冬期を迎えている。いつ終わるともしれない冬に。
 人間の、自由を最も敏感に感じ取り、受け止め、表現するのがフェミニズムのはずで、だからこそフェミはひとびとの期待を受けています。
 もともと日本社会は「自由」に対しては抑圧的な性質がありましたが、311の後、様々な動乱を経て、ひとびとの叫びを塗り込める形で「危機管理」対応的政治が求められてしまっています。それは、この10年近くの間に、フェミが封じ込められ、制度化され、権威化される過程の総仕上げともなってしまいました。
 現代日本を支配しているのはニヒリズムです。何をやっても無駄、正しいことを言っても損するだけ、そんな気持ちが私たちの「日常」を形作っている。やっぱり人間の幸せは性別役割分業家庭の中に入って、結婚して、子どもを育てて、死を看取ってもらうこと。活動家や学者が何を言ってもそれは売名行為。そういう批判的な気持ちに共感するところは多々あるんですが、それではこの閉塞はどうやったら変えられるのでしょうか。
 表面的な正しさや無垢さを超えて、ニヒリズムではない、何かもっと自由なもの、共有できるものを作らないと、冬はいつまでも明けない、そんな気がします。
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by anti-phallus | 2012-12-25 00:16 | フェミニズム | Comments(0)

国家を歌うのは誰か?+沖縄県知事選

 ここ最近は忙しかったから今週は少しおとなしくしよう。
 バトラーとスピヴァクの『国家を歌うのは誰か?』を読み返している。随所に示唆的な言葉がある。言語のこと、運動のこと。何カ所も書き留めておきたいところを見つける。
 例えば次のところ。

ここで立ち止まって、この発話は、国民のただなかに翻訳という仕事を設定しているのではないかと考えなければなりません。隔絶や裂け目こそが平等の可能性の条件となり、したがって平等は、国民の同質性の拡大や増大にはつながりません。(P44-45 一部省略)

 ここでの隔絶や裂け目は、私が前から使っている分断という言葉に重なる考えによるものだと思う。平等が既にあるものと語ってしまえば、その場の抑圧性はものすごく大きなものになってしまう。だがバトラーにとって、効力のあるエージェンシーは「わたしたち」でしかない。そして、平等でない限り、わたしたちは語り得るものとならない。
 平等と自由は密接につながっている。

 この冒頭で、バトラーはアーレントの公私区分がもつ抑圧性について批判している。そこはアーレントが男性中心主義的思考と訣別できていない側面を象徴的に表しているのだろう。その男性中心主義的思考は人種主義や民族中心主義、階級主義とも連動していることが、古代ギリシアの理想化から見て取れるかもしれない。
 社会領域を公私に分けて、私的世界に暗さや秘匿性をあてがう思考や行動、人間的あり方を、言論だけでなく、実践の中で運動の中で批判するのは相当に難しい。その批判が必然的に関係者の私的領域を他者の目にさらしかねないから。そこまでする必要性を批判者が引き受けられるかどうか。



 沖縄の県知事選結果にがっくりきている人は多い。だが、一つの国家の「国益」とやらをいち地方自治体の首長選で選んでもらうというのはそれ自体暴力的である。
 どうして沖縄の人々ばかりが選択を迫られるのか。自分たちの身近な毎日にとっては迷惑の大きなものが、自分の国家の利権というよりは自分の国家に支配的な影響力を持っている他の国家の利権の拠点となっていて、それを遠くにやるかそのままにするかをなぜか選ばなければならない。本当に選ばなければならない責任をもっているひとびとは遠くから見やるばかり。選択せねばならないことの圧力を「わたしたち」は沖縄に押しつけることをやめなければならない。
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by anti-phallus | 2010-11-30 11:52 | フェミニズム | Comments(0)

ジェンダー研究をすること

 以前あるところで、自分はできるだけジェンダー色が薄いふりをしてきた、という言葉を聞いた。そのひとは社会学関係の研究者だった。
 薄いように見せかけなければいけないくらいにはそのひとの研究はジェンダー視点をそなえたものだったようだ。
 そのひとのなかでは、ジェンダー研究者は損をする、色眼鏡で見られる、就職先が見つからないなどのイメージがあるのだろう。似たような発言は時々聞くし、そういう印象を持っている人も多いかもしれない。
 思い返せばわたしも院に入る前に、井上俊氏に「ジェンダー研究者は不利なんですか」と聞いたことがあった(笑)。今思えばずいぶんとストレート。
 そんなバカな私の質問に井上氏は「研究方法や分野でそのような差別をされることはない」というような感じで答えたと思う。それに対して私は、まあ実際のところは分からないけど、社会学という世界はいちおうはそういう良識的な建前はあるのだなと思った。

 しかし自分の中にジェンダー視点がある人がそれを隠しながら研究活動をするというのはどんな状態なんだろうか。研究活動というのは自分の視点や認識を明るみに出しながら検証していくものだから、自分の頭の中の一部を隠しながら行っていては、検証作業が中途半端にならざるを得ないのではないだろうか。それは、結局のところ自分の研究の質を下げることになってしまうのではないか。

 と、こういうようなことを知人にしゃべっていたら「あなたは特別だから」と言われた。特別というのはこの場合、周りを気にしないとか迎合しないとかの意味だろう。わたしのなかでは、自分の視点を隠して研究をするということに対して批判的意識があるから、「あなたは特別」と言われてしまうと、批判を無効化されるように感じた。

 その知人の発言について考えていたのだけど、こういう反応も仕方ないのかもしれない。「特別だから」という発言にはどこか切り捨てられるような感じがあるけど、もしかしたらそのひとは何かを防衛するために言ったのかもしれない。でもそれはそのひとの問題であり、わたしの問題ではない、はず。

 すべてのひとに同意してもらうのは無理だから、だからこそ自分は自分の言葉を発さなければならないのだろう。それが嫌なら、言葉で何かを伝える仕事をしてもあまり意味がない。そういう覚悟が自然に持てるようになりたい。
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by anti-phallus | 2010-11-08 23:57 | フェミニズム | Comments(0)

上野千鶴子という現象について

 ゆうべふと思いついたことなので書いておきたい。
 実は『おひとりさまの老後』を読んでいなくて、というのは最近の彼女の書くものにあまり興味がないし、たぶん読んだら腹が立つだろうなあという思いで。
 とはいえ最近新刊も出て多少話題にもなっているし、何よりわたしのなかで彼女の存在はとても大きくて、そろそろ口を開かなきゃなあと思うので。
 何を隠そう、わたしが社会学に進んだのは彼女のひとことのため。2回生の頃に集中講義で彼女がやってきて、『家父長制と資本制』の講義をした。それが面白くて、休憩時間に、勇気を出して人生相談。

わたし「ジェンダーをやりたいんですけど哲学か社会学かで迷ってます」
上野氏「哲学なんてマッチョな学問じゃなく社会学で自由にやった方がよろしい」

 わたしは哲学に興味があって某K大学文学部に入ったんだけど、上野氏にそういわれたので社会学に。今考えると主体性ないですね・・・。まあ当時聞いていた哲学関係の講義や読んでいた哲学の本が面白くなかったせいもあるんだけど。
 と、こういうライフヒストリーもあるし、その後、知識が増える中で、フェミについて色々問題点も感じていく中で、結局ぶつかるのは彼女の足跡。フェミに関して、決定的な何かを発言している人って、彼女くらいしかいないんですよね。そしてそれらの発言があまりに問題含みなのでぶつかってしまうという。

 で、『おひとりさま』もまた自分中心的な語りなんだろうなと思い敬遠してたら、やっぱり周りから聞こえてくるのは、「あれはエリートシングル女性の恵まれたお話」などの批判が多い。同時に一部のインテリ男性は意外に評価している、というのもなるほどな感じ。
 彼女はこういうふうに批判されながらなんで注目され続けるんだろうと考えて、腑に落ちたのが、彼女は研究者というよりアイドルなのかもしれない、ということ。
 優れた研究者であれば、自分の経験であったり他人の経験を対象化して、ある程度一般化も行った上でその時代の社会全体のマップを作ることが求められるけど、彼女の場合はあくまでも自分中心。自分の経験がそのままフェミになっちゃうし、自分と異なる立場の存在は必要最低限しか尊重しない。そして恐ろしいことに、そのような彼女の生き方はなぜか時代の一部の趨勢と重なって、今の空気をすくいとってしまう。一部の趨勢というのは、やはり新自由主義的時代の中のエリート女性というイコン。
 こういうふうに時代の一部の趨勢と一体化してしまうのは研究者としてはあまり望ましくないことだと思う。でもアイドルとしてなら許される、むしろ必要な資質。アイドルが東大教授になっちゃうのはどうかという意見はありだけど、それもそういう時代の流れ?

 でも、わたしとしては、フェミはアイドルのものであってはいけないと、あくまでも思うのですよね。
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by anti-phallus | 2010-10-22 22:58 | フェミニズム | Comments(2)