菊地夏野のブログ。こけしネコ。
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映画の感想
最近、ひさびさに映画を見ました。「福田村事件」と「月」です。どちらも実際に起きた事件をもとに作られた劇映画で、「福田村事件」は1932年関東大震災から5日後に起きた行商人9人への虐殺事件で、「月」は2016年に起きた神奈川県の知的障害者施設での「やまゆり園事件」をモデルにしています。
「福田村事件」の方は、ジェンダー観に問題があるように感じましたが、それ以外はおおむね良い映画だと思いました。ジェンダー観というのは、女性の登場人物が妙に男性に媚びる行動を取るものが多く、また婚姻外の性が多く描かれていたことです。もちろん女性には多様な人がいますので、男性が好きな人、そうでない人がいます。ですが本作中では、自ら女性の「性的魅力」とされるものを用いて男性を「誘う」ような女性が多く、ちょっと気持ち悪くなりました。また、当時の村落ではもちろん結婚外の恋愛、性があったでしょうが、やけにそれだけクローズアップされて、そのことで村落内の人間関係が大きく影響されているような印象を与える構成でした。そしてそのことについて深く考えさせる構成でもないので、作り手がどのような意図でこういう構成をしたのか分からず、単にエンターティメントとして性愛を使っているのかとさえ思わされました。そのような女性キャラクターと一線を画する女性も登場していて、若い女性記者なのですが彼女も元気がいいばかりで内面性には乏しく、空回り感がありました。そこはポストフェミニズム風でした。
以上のことをおいて考えれば、「福田村事件」は難しい歴史的テーマを、現代の人々にも通じるようにわかりやすく提示していて、最後の「朝鮮人なら殺してもいいんか」という叫びは多くの人の心に突き刺さる力を持っていたと思います。
次に「月」を見たのですがこちらは評価がより難しくて、今でもどう考えるべきか悩んでいます。2016年7月にこの事件が起きたときは私は母の介護があり、仕事の合間を縫って実家に帰っていたので余裕が全くない時期でした。事件が起きたのは知っていましたが調べたり深く考えたりすることができませんでした。そのままになってしまっていて、今回この映画を機に改めて考えようとして観に行きました。
この映画は、犯行を行った植松と同僚の若い女性・陽子、主人公である作家の洋子と夫という4人が軸となっています。そのことによって、植松の優生思想、障害者を排除する思想と、作家やクリエイターである他の3人の創作への想いとがクロスして問われる構成です。植松以外の3人はもちろんフィクションで、実在しませんが、この構成を通して監督はこの事件をより広く「わたしたちの問題」として考えさせようとしたようです。そのことによって確かにこの作品は、単なる特殊な差別者の殺人、ではなくより広い現代社会の抱える「闇」から生まれたものとして感じえる余地を広げています。
ただし、わたしがどうしても感じてしまうのは、この関連付けに対する疑問です。植松があのような犯行に至ったことと、洋子ら作家たちが悩んでいる「表現の虚実」はどこまで対比可能なものなのでしょうか。表現についての葛藤は、洋子が植松との対話の際に見せる壮絶な演技からよく伝わりました。あそこは圧巻のシーンです。物を描いたり表現しようとしても、結局編集者や出版社、メディアの都合で歪められ、商品化され、「いいたかったこと」は消えていく。自分自身ですら当初の表現への情熱は薄れ、「人気」「評価」「承認」を得るためにやっているのではないかという欺瞞への疑いに苦しめられる。
洋子はその対話をきっかけに自分を問い直し、創作活動を再開していく。しかし植松の犯行は止められない。
確かに、植松の犯行は洋子らが悩むような「承認欲求」と関連しているのだろう。だがそれだけではもちろん片付けられない。そこの暴力性に真っ直ぐ焦点を当てても良かったのではないだろうか。
あと気になったのは、「福田村事件」同様、「性」の扱いで、植松の恋人である障害女性のシャワーのシーンが短く挿入されていた。前後の文脈と切り離されたシーンでどういう意味なのか分からず戸惑った。それと、施設に収容されている男性が自慰行為らしいことをしているシーンの撮り方が、スキャンダラスというか、あえて奇異に見せる演出のように感じられた。
「障害者の性」は最もタブーとされる領域で、障害者の人権と深く関わっている。その点について十分思考と配慮がなされていないように感じられて残念な点だ。
以上のような疑問は感じたけれども、これだけ考えさせられるというのは十分成功した作品なのだろう。これにとどまらず、さまざまに考えさせるきっかけを増やすことで、このような事件の問題性を共有し、二度と起こさない努力が続けられなければならない。
そして最後に、両作品とも、事件に関するマイノリティ当事者の視点ーーーー前者は朝鮮人、後者は障害者ーーーーーが中心に置かれてはいなかったことをどう考えるべきかも残されている。
by anti-phallus
| 2023-11-07 20:33
| シネマレビュー