菊地夏野のブログ。こけしネコ。
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スーザン・ファルーディ「家父長は失脚し、家父長制はかつてより強化されている」
またまた、どうしても訳したくてやってしまいました。スーザン・ファルーディ、『バックラッシュ』の著書で知られている方です。「#MeToo」などフェミニズムの盛り上がりの背後にあるものについて考察しています。
ファルーディが指摘しているフェミニズムの分断の歴史は、女性史(ジェンダー史)ではよく知られていることですが、フェミニズム一般の知識としてはあまり共有されていないように思います。フェミニズムのわかりやすい部分とそうでない部分の分断。「人はわかりやすいほうに流れるからね」というだけでは済まされない質の問題です。セックスワークの問題にも深く関わっています。
こういうフェミニズムの論客がいるというのはほんとうに良いことだなとうらやましくなってしまいます。
日本では、「#MeToo」が流行るや、何でもかんでもそれに含めようというような傾向が見られますが、そういうなりふり構わないやり方って、本当に政治的に有効なのでしょうか。運動を一過性の流行に終わらせないためにより強力な批評が必要なはずです。
ファルーディが取り上げているトランプの税制改革についても、日本の報道では大企業の立場に立って歓迎する向きばかりで、それが女性やマイノリティにどのような影響をもたらすか分析したものはあまりないようです。
日本でも、年金財源がアベノミクスで投資に使われしかも失敗して多額が失われたことなど報じられたでしょうか?(参考:https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_1713526/)年金受給者の多くは女性です。年金も立派に女性にとって(も)大問題です。医療制度も、長期入院を病院に拒否させる政策などは、単に公的支出を減らすため(参考:本田宏『誰が日本の医療を殺すのか』洋泉社新書、堤未果など)。それは結果的に家庭で女性に介護させることになるだけ。電気の民営化を市民自身が望んでいるでしょうか?生活の決定権がどんどん市民の手から離れて、負担ばかり押し付けられるようになっています。これらの動きは、ファルーディ的に「ネオリベラル家父長制」といってもいいでしょう。
→コメントでアドバイスいただきました!ので加筆しました。ありがとうございます。(20200831)
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家父長は失脚し、家父長制はかつてより強化されている
2017/12/28
フェミニズムにとって、どんな苦悩をはらんだものであろうと、少なくともゲームは変更されたという感慨で2017年を締めくくるのは難しいことではない。
「女性の革命はここから」「家父長制を粉砕せよ」ソーシャル・メディアと主流メディアが報じている。「女性と男性の間の主人/奴隷関係の根本命令を告発する」「これは家父長制の終わりだ」(これは雑誌『Forbes』から!)「人間性の男性支配」ツイッターも新聞スタンドも街も一致している。今年はアメリカの性の政治における変化の瞬間を目にしているのだ。
もちろん、「#MeToo」現象の結果は有意義だ。ハーヴェイ・ワインスタインが去り、潜在的なワインスタインはその運を支配している女性たちにハラスメントする前に何度も考えるようになるだろうことは全く喜ばしいことだ。だが「家父長制の終焉」?周りを見渡してみよう。
今月、トランプ大統領は税制改革法案にサインしたが、これは女性に爆弾を投じるものだ。2017年税制改革法は、最も支援を必要とする女性たちを助ける免除を抜き去った。それは個人及び扶養者の課税控除廃止(低所得者、3分の2は女性にとっては大災害)を意味している。育児税額控除の失効と社会保障カードを持たない移民の子どもたちへの控除の廃止など。ACAの個人加入強制条項の停止。そして、民主党の反対によりなんとか避けられたが、学資積立優遇制度(529 plan)の様式における未出生子に「人格性」を認めること、これは合法的中絶に対して手榴弾を投下するものだ。
共和党の議員が莫大な連邦赤字を全額返済しようと計画していることは言うまでもなく、その法案は公的支援を切り縮めることで、再び女性に対して重大な危機を与える。メディケイド(国の出生数のほぼ半分と、家族計画の75%をカバーしている)と、メディケア(65歳以上の受益者の半分以上と、85歳以上の3分の2が女性)など。
そしてそれらすべてのトランプの侮辱的な政策に、以下を加えなければいけない。中絶に関するグローバル・ギャグ・ルールの復活、ジェンダーの賃金格差調査の停止、「公正な賃金と安全な職場環境に関する大統領令」の埋葬などなど。
私は困惑している。一握りのハーヴェイたちを追い払うと同時に、何百万もの女性たちから基本的な権利が失われているとしたら、私たちは本当に勝ったと言えるのだろうか?女性の革命の最中に、この女性の大惨事がどのように起きているのだろうか?その答えは、150年の間女性の抵抗につきまとってきた分裂にあるかもしれない。
アメリカの女性運動は歴史的に二つの形をとってきた。ひとつは、男性個人からの私たちに対する振る舞いや虐待のやり方に直接怒りを表明する。それは、可視的な顔のある明白な敵、私たちの弱さにつけこみ、私たちの屈辱を喜ぶ男性捕食者に対する正しい怒りだ。ワインスタイン氏の顔は現代の悪魔の顔であり、#MeToo運動はこのキャンプにまっすぐはまっている。もう一つの形式は、派手ではないが本質的だ。それは世界が構造的に女性に反して設計されるやり方と闘う。その闘いに結びつくことは、女性が十全に生を送れる財と力を持つ公平なシステムを築く困難で多義的な仕事である。
捕食者男性個人に対してラッパが鳴り響き、より広いジェンダーの平等への力は部分的で分かれているようだ、とくに今は。ドナルド・トランプが機械の名ばかりの頭である時、その機械自体がオレンジ色の髪をしていると想像することは魅惑的だ。またハーヴェイ・ワインスタインを負かすことは勝利であると。しかし家父長制は家父長よりも強大なのだ。
もちろん女性の抵抗の二つの形は交差する。フォード自動車世代の女性労働者たちに聞けば、職場のセクシュアル・ハラスメントが抑圧のシステムを補強していることを知っている。だが、家父長との闘いと家父長制との闘いは異なるところもある。前者は後者より人気を獲得しがちである。あらゆる軍事的扇動者が知っているように悪魔に対して結集させるのは容易である、ポピュリストのデマゴーグに対しても。平和に関する事柄で成し遂げるのは、難しいし興奮を与えない。宣戦布告はスリル満点だが、国家形成はそうではない。
フェミニズムにおいてこれがどのように結末を迎えるかというと19世紀以来明らかである。アメリカの女性たちが売買春と「白人奴隷」の少女に対して「社会浄化」運動を開始した時代である。19世紀における最も広い女性の動員は参政権のためではなかった。それは、禁酒法のため、悪魔のラムを飲み、酒場で給料を使い果たし、家に帰って妻に暴力をふるいレイプする悪魔のような男に対する道徳的改革運動だった。キリスト教婦人矯風会はすぐに米国最大の女性団体となった。素行の悪い男性へのあの戦争は、女性の平等のためのより広い闘いに影響を及ぼしたのだろうか?多くの点でyesだ。スーザン・B・アンソニー自身は禁酒運動活動家として一歩を踏み出した。酒の悪魔を厳しく非難した多くの女性は女性の参政権からは退いた。酔っ払い男と闘うことは、家庭と家族を守るという昔ながらの女性の範囲に収まった。女性の権利を新しい政治領域に広げることはラディカルだがすぐに実現はしない。矯風会の優れた第2代会長であるフランシス・ウイラードは、女性の投票を「家庭の保護」の問題として再定義することによって女性の参政権を支援するようついに組織を変えた。「市民である母」は、道徳的に優れた性として、家庭内と公共領域から社会的堕落を取り除くだろう。だが、ウイラードの道徳的努力を第二の運動の形に結びつける試み、とりわけ週労働時間数の短縮や生活賃金、ヘルスケアや刑務所改革のために「なんでもする」運動は、彼女の死とともに消え去り、会の幹部はより広い社会改革への支持を放棄した。
現代の挑戦は、アンソニーとウィラードが直面したものだ。男性の悪事への怒りを、女性の平等のための広範な運動に関連させるようにどのように持っていくか。あまりにもしばしば、世界の関心は前者にのみ占められるようだ。
数週間前、ピッツバーグの冷えた朝、チェルシー・エンゲルとリンジー・ディスラーは、税制改革法案に抗議するために、上院議員のパット・トゥーミーの地元事務所の建物の入り口に自らを縛り付けた。「状況は絶望的だ」とスカーフで体をドアに縛り付けたディスラーは語った。「何かしなければいけない」彼女は2ダースの見物人と数名の警察官に演説をしたが、8時30分までに、彼女たちは警察に収監された。彼女たちの抗議は2,3の地方誌以外にはほとんど記録されなかったが、その日のメディアは、ハラスメントで告発された最新のセレブ、ニューヨーク・シティ・バレエ団監督のピーター・マーティンスの報道であふれていた。
女性の抗議の二つの形は相互に対立して位置付けられることすらある。1980年代に、「反ポルノグラフィ戦争」キャンペーンが女性運動自体の内部で「セックス・ウォー」にダメージを与え出した。女性の平等に対するバックラッシュが力を蓄え、ロナルド・レーガンの政治が国の半分を不均衡に損なう政策を公式化しようとしていたまさにそのときに。言論の自由の制限を不安に思い、すべてのポルノグラフィ的な素材への非難を問おうとした「セックス・ポジティブ」のフェミニストたちは、反ポルノ派のフェミニストたちによって、その業界のサクラやヒモとラベルを貼られていることに気づいた。現在、男性のハラスメント加害者に立ち向かうさいに、正当な法手続きと均衡の取れた判決を求めてきた姉妹たちに対し、長い剣が突きつけられる状況を我々は目の当たりにしている。
同じ対立が昨年のヒラリー・クリントンの敗北で表面化した。あるフェミニスト志向の女性が、彼女は、女性のより大きな利益のために、国を運営する押し引きの技術を追求するには受け入れられない選択だと考えた。なぜなら彼女はすでにビル・クリントンと共にいて支えることによって妥協しているのだから。
このような分裂の背後にある力が手に負えないのは一つには、非常に心理的な問題だからだ。善と純潔のマントを正しいとすれば、悪魔と戦うのは天使の側に立つことになる。対照的に、政治的アリーナでは、天使の居場所はなく、勝利は遅く、しばしば不完全である。沈黙を破る人の勇気を否定せずに、その裏面に気づくことができる。とりわけ今は、その言葉はすぐにドラマティックな反応を、経済的法的構造に抗議するときよりもっと直接的な満足感を引き出せるということに。
トランプ氏の選挙以来、女性たちは両側との闘いに尽力してきた。「#MeToo」運動とともに、ワシントンのウイメンズ・マーチや、アラバマ民主党員を上院に送るための黒人女性有権者の運動や、驚くべき数の次期選挙の女性立候補者が事務所を探している。もし女性たちが、個人的な怒りの純粋な政治を社会構築の不純な政治に動力化することを妨げていた呪いを解けるなら、そのときは、我らがチェルシー・エンゲルたちとリンジー・ディスラーたちは、次の女優が不快なボス(のハラスメント)を暴露するのと同じくらいの注目を得ることになるだろう。
そのようなパラダイムの転換は、健康保険、賃金の平等、家族計画、性虐待など女性の権利のための次の闘いに勝つために決定的に重要だろう。危険は、女性活動家たちがその分断を乗り越えられないことである。そのような場合、#MeTooは家父長たちを倒し続ける一方で、家父長制は勝利し続けるだろう。
by anti-phallus
| 2019-11-25 15:27
| フェミニズム