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映画評「ROMA/ローマ」【ネタバレ注意】:ポストフェミニズムと過去の運動と

 最近はあまり映画を観に行けてませんが、そんななかたまたま「ROMA/ローマ」を観に行きました。1970年代のメキシコが舞台の映画で、アカデミー賞で3部門受賞したようです。
 ほとんど前知識なく観たのですが、なんとポストフェミニズムの特徴が色濃く映し出されていて、観た後もやもやしました。Wikipediaには「フェミニズム映画」と書かれています。

 医者の家庭で住み込みのメイドとして働くクレオが主人公です。クレオは田舎から出てきたようですが出身についてはあまり詳しく描かれません。クレオとその雇い主の家族、夫婦と子ども4人、夫婦(たぶん妻の方)の母親、および同じメイドの女性との日常が綴られます。背景には当時のメキシコの政治的不安定、多発する抗議行動、デモ等の不穏な街の様子がしばしば出てきます。
 どういう映画なのかよくわからないまま進みますが、だんだんと、主人公が付き合った男性に妊娠を告げると逃げられ、追いかけたら乱暴に突き放されることとなり、どうにも哀れな状況となります。それに追いかぶせるように、雇い主の女性ソフィアは、医者の夫との関係がうまくいかなくなり、なんと夫は若い愛人と旅行に行き家に帰って来なくなります。映画は、この二人の女性、クレオとソフィアをクローズアップし、女性の苦悩、悲しみを観客に伝えたいかのようです。そんななか、酔っ払って車をガレージにバンバンぶつけながら帰ったソフィアがクレオに言うセリフ、「女はいつも孤独なのよ」はトドメを刺します。
 ソフィアに協力され、クレオは出産の準備をしますが、買い物に行った街中で、学生のデモ行動が乱闘を生み、クレオのお腹の子の父親が銃をもち何者かを射殺する場面に遭遇してしまいます。破水したクレオは渋滞の中病院にたどり着きますが、医者たちの必死のかいもなく、子どもは息をしませんでした。
 その後、傷心のクレオはソフィアに誘われて旅に出ますが、最後、海で溺れかけた子どもたちを救出し、みなで泣き合う中、「子どもに生まれて欲しくなかった」と語ります。そんなクレオをソフィアと子ども達は抱きしめ、元気になったクレオは(ソフィアの)家に戻ります。

 この映画がフェミニズム映画とされるゆえんは、ともに男性に苦しめられた女性ふたりが、助け合って仕事によって自立しようとするところでしょう。おそらく貧困地域出身のクレオは、妊娠によって職を失うかと怯えましたが、ソフィアは温かく見守りました。傷ついたクレオを癒したのは雇い主とその子どもたちでした。またソフィアは夫と離婚して収入を失うと、「雑誌社の正社員として働きに出る」と子どもたちに宣言します。ソフィアは実は生化学者でもあることがこのとき分かります。かなりの社会的地位の高い女性です。

 ここだけ見ると、確かにフェミニズム映画です。男はほんとひどいよね、女性同士の連帯を描いていて良いのかなとわたしも一瞬思いかけました。ですが、クレオとソフィアの関係は、本当に「連帯」とみなせるのでしょうか。ソフィアがいかに知性と優しさがあってクレオも彼女を信頼していようと、ふたりは雇い雇われている関係性です。当時土地問題で揺れていたメキシコで、クレオの親の土地も奪われたことが知らされ、クレオはとても家に帰れないと友人に告げています。クレオにとってメイドの仕事は必死で守らなければならない生存手段でしょう。ソフィアが優しければ優しいほど、決して逃してはいけない職となります。そんな二人の関係性を、「フェミニズム」として手放しで称揚できるのでしょうか。
 映画では、ソフィアがクレオを頭ごなしに叱りつけるシーンも見せていて、単純に二人の関係を美化しているわけではありません。そういう意味では、観る側の解釈が試されているとも言えます。

 わたしがこのように疑問を持つのは、この映画を「フェミニズム」として評価することで、失われる視点があるからです。それはまさにフェミニズムの視点だからです。90年代以降、グローバル化のなかで貧困国の女性が海外に出稼ぎに行き、先進国の家庭でメイドとして働くことが恒常化しました。クレオが20〜30年後に生まれていたら、おそらくアメリカに出稼ぎに行き、そこでメイドとして働いていることでしょう。移民とジェンダー研究は、この外国籍メイドの女性たちの視点から、グローバル化を問いただしてきました。彼女たちが祖国にいる家族とも会えず、先進国の出稼ぎ先家庭で寂しい思いをしている一方で、彼女たちを雇った女性たちはキャリアを追求するのです、ソフィアのように。この2層の女性たちの関係性は、対等なのでしょうか?

 さらに、女性を苦しめるものとして位置付けられているのは、クレオの元彼氏、ソフィアの元夫など個々の男性だけではありません。クレオの元彼氏は、反政府軍として活動していることが示唆されています。彼はなぜか日本式の武術を習い、刀を振り回します。1970年代は世界的に社会運動が高揚していた時代です。メキシコですので、学生や労働者だけでなく、先住民の運動も激しかったでしょう。元彼氏はこれらの運動の一端に位置付けられます。
 しかし、この映画では、街の抗議行動がどのような内容なのか詳しくは語られないまま、暴力的な場面のみ取り上げられ、しかもそれはクレオの出産の妨害をしたように見えるのです。この映画において当時の社会運動は男性的な暴力と一体のものとされ、否定的な意味づけを与えられています。
 それに対して印象的なのが、一人で生きると決意したソフィア、そしてそれを支えるクレオという女性たちの「頑張り」です。そこには子どもたちも連なります。

 わたしは当時の運動一般を全肯定したいわけではありません。多くの場合、この時代の社会運動は男性が中心でした。そしてそれを変えようとした女性たちがフェミニズムを生み出したのです。これは日本ではリブ運動であり、当時世界的にそれぞれの国で地域で起きたことです。ですから、クレオを捨てて、何らかの運動体に従事していった元彼氏は、それらの運動の男性中心性を象徴しています。
 だからと言って、簡単に社会運動全般を否定できるのでしょうか。運動はそれぞれの歴史において文脈において評価されるべきです。ですが、現在、社会運動全般が「終わったもの」として、「無駄なもの」として見なされる風潮があります。私が恐れるのは、過去の運動全体が、男性中心的なものとして否定され、それに対して女性の「頑張り」が対置される構図をこの映画が許していないか、ということです。

 このような構図は実はポストフェミニズムの特徴として英米のフェミニズム研究でよく指摘されています。私が思い出したのは2017年日本公開の「ドリーム」でした。60年代、NASAの宇宙開発を支えた黒人女性科学者を取り上げた伝記映画です。こちらもアカデミー賞ノミネート。ここでも、当時の黒人解放運動に邁進する黒人男性に距離をおくくだりが一瞬描かれていました。
 このような映画が評価されるのは、アメリカのハリウッド映画界の気分として、女性差別/移民差別的な大統領へのアンチテーゼも影響しているでしょう。

 映画の前半から後半にかけて、クレオも他の登場人物も顔をアップにされることは少ないのですが、ラスト近くでクレオとソフィアの表情がまざまざと映されることが出てきます。この手法も意味深ですね。

 最後に、簡単に言えば、女性の活躍が讃えられる裏側では、知らない間に過去の運動が否定されていくのです。このポストフェミニズム的特徴は個々の作品によって多様なバージョンがあります。
 女性の自立は当然ながら必要なことですが、それが語られる際のポリティクスにも注目しないと、とんでもないところに連れて行かれるかもしれません。

























# by anti-phallus | 2019-05-13 19:59 | シネマレビュー | Comments(0)

講談社現代ビジネスに

  講談社のサイト現代ビジネスに書かせていただきました。




# by anti-phallus | 2019-05-13 18:12 | 仕事 | Comments(0)

絲山秋子『夢も見ずに眠った。』

 ずっと読んでいる作家、絲山さんの新作を読んだ。少し前に読んだ『離陸』は不思議な作風で、重さの残る読後感だった。それに比べるとこちらは不思議さもなく、軽く、でも絲山らしい鋭さをたたえていて、一気に読んだ。2作とも、読んだ後になんともいえない感動がある。読んだことで自分の中の何かが形になった感覚がある。こういう本はそんなに多くない。

 『夢も見ずに眠った。』は、「夫婦の物語」とされているが、それは少し間違っているだろう。この作品はあくまで名前を持った個人と個人の物語であり、人との関係性を「夫婦」という典型的な枠組みに回収することに抵抗するために書かれたと言っていいくらいだ。
 そもそも高之と沙和子は「婿養子」という世間からは色々言われる形で結婚した。高之はそういう世間には距離を置いている。沙和子は実の母親との関係性にしんどさを感じている。仕事を頑張っている沙和子は北海道に転勤になり、単身赴任生活になる。自分のペースを守って生きている高之は仕事も不安定で、新しい仕事についた途端鬱病でやめざるを得なくなる。休職という選択肢がなかったのは非正規の仕事だったから。
 このあたりの男女のジェンダーの逆転が面白い。ふたりはわたしとだいたい同世代で、なんとなく気分的に共感してしまう。大学入試も激しく、バブルの後で、就職も氷河期、女性も総合職になりだした時代だけど決して平等ではない。じっさい、沙和子は高之と別れた後、「不倫」をして罰されるように仕事を失う。「不倫」相手の男性は何も失わない。私たちの世代は、価値観としては90年代の自由な空気の中で自己形成したのでそれぞれの自由を尊重しようという気分があるけれど、世の中自体は決してそれほど自由にはなっていない。

 二人は様々な場所に住み、旅もして、それぞれの場所と絡む様が描かれる。どこの場所に行っても、そのときのそこにしかない固有性を繰り出すように言葉が紡がれる。

 ラストシーンで、ふたりは並走するが、おそらくひとりの男性と女性が今の日本で、最大限誠実に、お互いを尊重して関わるためには、これくらいの距離感が必要なのではないかと私は思った。「夫婦」として暮らしていても、それはお互いの信頼関係も、愛情関係も保証はしない。むしろそういう枠組みが関係性を蝕むこともあるだろう。ふたりがどういう関係性に変わったのか、作者は明示はしていない。だが少なくとも、お互いがとても大事な存在であり、何らかの形で関わり続けていくという意思を共有できていることを確認はしたのだと思う。
 それが、そういうひとがいると思えることが誰にとっても一番大事なことだから。





# by anti-phallus | 2019-05-06 19:59 | 小説 | Comments(0)

優生保護法強制不妊手術問題

 昨日4/24、表記に関する救済法案が可決、成立、施行されました。支援団体が沢山の問題点を指摘しながらも逃げ切られてしまった格好です。
 この法律の主な問題点は下記です。

○前文で「旧優生保護法の下、多くの方々が、生殖を不能にする手術・放射線の照射を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けてきたことに対して、我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、心から深くおわびする」としていて、責任の主体が明確でない。優生保護法という法律に基づいて、また法を拡大解釈して実施されてきた人権侵害なのだから、救済法としては国の責任を明記して反省すべきである

○一時金の金額が低い。320万円というのは、交通事故で生殖機能を喪失した場合の慰謝料が1000万円以上ということや、水俣病・ハンセン氏病等の場合と比べてもあまりに低い。

○調査が不十分。過去の記録について国は医療福祉機関に問い合わせをしたが半数しか回答せず、記録があると答えたのは0.3%のみという状態。本腰を入れて厳密に調査すればもっと分かってくる実態があるはず。

 昨年1月に宮城の被害者が提訴して以来、裁判は異例のスピードで進んでいる。原告もどんどん増えている。来月に最初の判決が出る見込み。救済法の国会審議はその前にとにかく終わらせたかったのでしょう。
 法律は一度不十分なものが出きてしまうとその後改善していくのがなかなか大変。一般的には「法律ができたんだから解決したもの」と思われてしまう。

 というようなことを昨日毎日新聞の記者さんから電話取材を受けたので急いで答えたのですが、今日見た紙面ではなんだか違うことが・・。



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 私は決して「一歩前進」とは評価していないのでお間違えなきようお願いします。

**********************

「強制不妊救済法、成立で終わりじゃない」被害者や家族ら

毎日新聞 4月25日

「歴史的な一歩だ」「国は責任を認めて謝罪して」「一人も取り残さない救済を」――。旧優生保護法下で不妊手術を強いられた障害者らに一時金320万円を支給する議員立法の救済法が24日、参院本会議で可決・成立し、施行された。終戦直後の1948年に施行され、強制不妊などの条文を削除した96年の母体保護法への改定も経て、70年余。放置されてきた全国の被害者や家族、支援者らが万感の思いを込めて語った。

「尊厳奪われた…」「人権侵害を十分に反省せず」

 法案の審議は午前10時50分すぎに始まり、数分で採決された。直後、傍聴席で見守っていた被害者や家族ら10人が複雑な表情を見せた。

 昨年1月に初の国賠訴訟を起こした宮城県の60代女性を支え続ける義姉は「初提訴から1年余りでここまで進むなんて……」と語り、続けた。「救済法成立で終わりじゃない。国は法的な責任を認めていないし、正式な謝罪もない。裁判で闘うしかありません」

 「優生手術に対する謝罪を求める会」の米津知子さん(70)は旧法改定時も国会で傍聴した。23年前と同様に車椅子で訪れ、「今回は多くの議員や当事者ら前よりもずっと多くの人がかかわれた」と喜ぶ一方、「これだけの人が束になっても納得いく補償を勝ち取るのは難しいのでしょうか」と問いかける。

 救済法成立への思いは全国で聞かれた。

 手術を受けたという山形県の女性(67)の姉(71)は「声を上げて良かった」と思う半面、「人の人生の尊厳を奪ったのに一時金は安い。国の謝罪がないのは、うがった見方をすれば金で解決しようと受け取れます」。

 強制不妊の被害者が少なくとも364人いることが分かっている福岡県。だが、これまでに国賠訴訟の提起はなく、被害弁護団への相談も少ない。弁護団事務局長の国府朋江弁護士は、早期成立を評価しつつ「手術記録があっても情報が本人に届かず救済に結びつかない可能性が高い」と個別通知が盛り込まれなかったことを批判。さらに「被害者が子供を持つ選択肢を奪われた上、存在をも否定された重大な人権侵害を十分に反省する内容になっていません」と訴えた。

 東海地方でも評価と批判の声が交錯。「優生手術被害者とともに歩むあいちの会」共同代表の木全和巳・日本福祉大教授は「仙台地裁の判決が出る前に決着をつけたかったという意図が見え見えだ」と指摘。もう1人の共同代表の名古屋市立大の菊地夏野准教授は「少しは前進」としつつ、「責任の主体を明確にして調査を尽くすよう国に訴えたい」。

 障害者の自立生活を支援する三重県のNPO法人「ピアサポートみえ」の杉田宏理事は「国の責任は明記されるべきだ」と注文。一時金も「被害者の権利を低く評価することになる」と疑問を呈す。

 神戸地裁で係争中の原告5人も不満を示した。聴覚障害者夫婦の小林宝二(たかじ)さん(87)と妻喜美子さん(86)は「夫婦でつらい思いをしたのに手術を受けた本人(妻)しか補償されないのはおかしい」と憤る。兵庫弁護団の藤原精吾団長は「一時金を受け取るかは今後判断する。受け取ったから損害賠償の必要はないと国に主張されないよう、気をつける必要がある」と話した。

 救済法は個別通知をしないとしているが、厚生労働省は都道府県の独自判断は拘束しないという。「国の責任逃れ」との見方があり、鳥取県の平井伸治知事は取材に「法成立は通過点だ」と改めて個別通知など独自策に意欲を示した。全国に先駆けて救済策に取り組み、22日に退任した北海道の高橋はるみ前知事は「金額が不十分との当事者の声は重い。一時金を上回る司法判断が確定した場合は(一時金を増やす)法改正を検討しなければならないと強く思います」。【上東麻子、二村祐士朗、野村阿悠子、望月靖祥、平川昌範】
 




# by anti-phallus | 2019-04-25 14:55 | その他 | Comments(0)

『日本のポストフェミニズム 「女子力」とネオリベラリズム』

 いろいろ書きたいことはありながら(もともと怠け者のため)時間がどんどん過ぎていきます。
 書かなくちゃいけないことの第1位は、やっと本を出せたことです。


〈目次〉
第1章 ネオリベラリズムとジェンダーの理論的視座
第2章 日本におけるネオリベラル・ジェンダー秩序
第3章 ポストフェミニズムと日本社会――女子力・婚活・男女共同参画
第4章 「女子力」とポストフェミニズム――大学生アンケート調査から
第5章 脱原発女子デモから見る日本社会の(ポスト)フェミニズム――ストリートとアンダーグラウンドの政治
第6章 「慰安婦」問題を覆うネオリベラル・ジェンダー秩序――「愛国女子」とポストフェミニズム

いちおうamazonはこちら。



書き下ろしと加筆修正したものとから成っています。
大月書店さんはジェンダー関係で重要な本をたくさん出されているのでそういう意味でも嬉しいです(憲法と同じ年、ってコピーがすごい・・)。
ここ数年かかりっきりでした(キャパ少な・・)。
今読み返すと恥ずかしくて、後悔してばかりですが、とにかくこういうことを誰かが言わないと、というもどかしさとあせりからやっていたような気がします。

なんというか、ジェンダーとセクシュアリティについて捉え方の形と方法を変えないと、何も見えてこない、ということを言いたかったのかな。今までのフェミニズムだけではどうにも立ち行かないでしょ、ということ。

今は大変だった作業が終わってほっとしています。ですが、ポストフェミニズム論、フレイザー、ネオリベ批判、これらをどう活かしていくのかが問われるので、もっと考えていきたいとも感じています。

ご批判、ご講評お待ちしています。

ついでに、(というと怒られますが)下記もぜひご覧ください。この本の延長上にあるものです。


 キリスト教関係の雑誌ですがフェミニズム特集に書かせてもらいました。

〈目次〉
特集 生きるためのフェミニズム

ポストフェミニズムとネオリベラリズム――フェミニズムは終わったのか......菊地夏野
ほどほどに女性が生きていくために......栗田隆子
生き残るための神学――批判的フェミニスト神学の聖書解釈について......渡邊さゆり
共に在るためのフェミニズム――クィアとのつながりに目を向けて......飯野由里子
セックスワークを通して考える当事者論 ――個人的なことは政治的なことかつ個人的なこと......要 友紀子
〈インタビュー〉リベラルなモスクを建てた女性弁護士――セイラン・アテシュさんに聞く










# by anti-phallus | 2019-03-25 14:18 | 仕事 | Comments(0)

3/17優生保護法イベント大橋由香子さん障害とジェンダー

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# by anti-phallus | 2019-02-19 11:22 | イベントの案内 | Comments(0)

#MeTooへの誤解

 色々な人と話をしてて、#MeTooへの誤解というか反発というかが存在しているように感じる。それはフェミへの誤解や反発とも通じているようだ。
 元ネタとしてよく触れられるのが下記。

 社会学者その他を肩書きにしている鈴木涼美さんという方だが、これは、かなり言いかたを選びながら書いているような、なかなか分かりにくい文章ではある。おそらくその主張(のようなもの)は下記から分かるかな。


オンナだって一枚岩ではないのだ。男並みに実力とロイヤルティーで働きたい女性、女なりに活躍したい女性、女ならではの活躍をしたい女性。そんな中、女の武器などなかったことにして、勉学や労働に勤しみ、あたかも乳も足の付け根もついていないかのように振る舞い、かといって女性らしい美しさを失わない、きれいで清廉潔白な女性はどんどん発言の場が広がり、汚いものが駆除されて働きやすい時代が間近に迫っているのかもしれない。

 しかし、清廉潔白でもきれいでもない女たちは、つるし上げられるバブルおやじたちを横目に、ちょっと本音でも漏らせば、おじさんに向けられている矛先がすぐにでも自分の眉間を目指しそうな、嫌な緊張感のもとにいる。


 鈴木さんは、「女性活躍社会」のもとでこういうタイプの女性は生きづらくなっているということと、だからといって女性差別がなくなることを望んでいないわけではない、ということを言っている。
 どうもこの文章が、#MeToo運動を批判する文脈で紹介されることが多い。それで「え?」と思ったのと、それからもしかしたらこういう受け止めかたって実は多いんじゃないかと思うのである。例えば学生たちの中で、#MeTooやフェミをどう受け止めたらいいのか分からず、ついこういう言い方で否定的に考えてしまう子がそれなりの割合でいる気がする。

 この視点が決して#MeTooやフェミなどの性暴力反対の運動と矛盾するものではないことを理解してもらわないといけないと私は思う。
 男性中心社会に対して、女性は色んなスタンス、色んな方法で生き延びようとしているわけで、それは鈴木さんの書いている通り。公的なルールに則り、学校では成績を上げて、職場では成果や評価を上げてがんばるタイプもいれば、女性性を利用して生き延びようとする人もいる。また両方の方法を使おうとする人もいるし、あるいは全く違う道を選ぶ人もいるだろう。ちなみにわたしなどは、ジェンダー論とかフェミなどどいうある意味女性にやりやすい道を歩んできたから、ある意味女性性を利用したといわれるかもしれない(それほど楽な道でもないが笑)。ジェンダーから無縁に生きられる人はほとんどいないので、それが現実です。良いとか悪いとか言われることではない。

 それが、まるでフェミは真面目な優等生タイプの女性以外は認めていないように思っている人がいるが、それは違います。逆に、田中美津さんのリブ宣言などは、好きな男性に媚びてしまう自分も受け止めようとするところから始まっている(『いのちの女たちへ』参照)。あまり知られていないですよね、こういうこと。私はフェミのこういうところが本当に素晴らしいと思うのだけど。

 そもそも、セクハラという概念は、自分が嫌なことは嫌と言っていい、という発想から生まれているので、女性が女性性を利用する行為は本人が納得しているなら悪いことでもなんでもなく、セクハラとは次元が違う。#MeTooがそういう女性のあり方を否定しているというのは誤解だろう。そういう傾向があるとしたら、それはむしろ#MeTooを受け止める社会のほうが、被害者に「清廉な被害者モデル」を期待する問題だろう。
 フェミニズムは決してそういうものではない、はず。そういうフェミニストがいるかもしれないと不安だが・・・。

※ついでに、鈴木さんのブログの冒頭の「未開地の部族」とか「原始人」という言葉はひどすぎるので、社会学者を名乗るのならばちょっとまずいのではないかなと一応思ったことを付け加えておきます。













# by anti-phallus | 2018-12-08 20:38 | フェミニズム | Comments(0)

日程変更!【イベント】セックスワーカーに連帯するフェミニズムへ

台風のため日程変更になりました!


【日本女性学研究会11月例会】
「セックスワーカーに連帯するフェミニズムへ」

・日時:11月23日(金・祝)13:30(13:00開場)〜16:30
・場所:ドーンセンタードーンセンター 大会議室3(4階)

・日時:9月30日(日) 14:00(13:30開場)~16:40
・場所:「エル・おおさか」会議室・南101(南館10階)

・趣旨説明:菊地夏野
・お話:要友紀子
・参加費:800円(日本女性学研究会会員は無料)
 当日お支払いください。申し込みは不要です。

《今、セックスワークについてどのように考えるべきか》
 売買春/セックスワークをめぐる状況は、近年多様化しています。当事者の声や運動も可視化されるようになりました。フェミニズムや女性運動ではこれまで様々な議論がありましたが、現状を受けて改めて今、セックスワークについてどのように捉えるべきか考え、対話する時間を設けたいと思います。ぜひご参加ください。

★プロフィール★
☆要友紀子(かなめ・ゆきこ)
 セックスワーカーとして働く人たちが安全・健康に働けることを目指して活動しているグループSWASH(Sex Work and Sexual Health)の代表として長年活動を継続。著書に『風俗嬢意識調査 126人の職業意識』(共著、ポット出版、2005)、9月発売『当事者視点で考えるセックスワーク・スタディーズ』(SWASH編、日本評論社)など。

☆菊地夏野(きくち・なつの)
 第3波フェミニズムの視点からセックスワークを含めジェンダー・セクシュアリティについて研究。ネット公開論文に「セックス・ワーク概念の理論的射程」あり。名古屋市立大学教員。

主催:日本女性学研究会
http://www.jca.apc.org/wssj/





# by anti-phallus | 2018-09-29 06:41 | イベントの案内 | Comments(0)

粉(と液体)ミルクを奨励するのが男女共同参画?

 下記のような声明をNOW(アメリカで最大の女性団体の一つ)が出していました。代表の方はこんな感じ。

f0210120_11334192.jpg

 内容は「ドナルド・トランプが母乳育児を脅かしている そして母親の健康を企業の利権に売り飛ばそうとしている」というものです。面白かったので訳してみました。

********************************

ドナルド・トランプが母乳育児を脅かしている そして母親の健康を企業の利権に売り飛ばそうとしている

NOW代表トニ・ヴァン・ペルトによる声明

ドナルド・トランプが世界の舞台に登場した時、世界は震え上がった。今年の早い時期にトランプ政権が、母乳育児を奨励し、代用品の誤った商品化を縮小しようとする決議を弱体化、あるいは破棄するようWHOに圧力をかけているというニュースが報じられ、トランプ大統領のヨーロッパ周遊は不安を持って迎えられた。

何人かの担当者によればWHOで、トランプ代表団は、母乳育児への支援を肯定する言葉を削除することに失敗して以来、その表現を導入しようと考えている他国を脅し、圧力を与えるようになったという。『ニューヨーク・タイムズ』によれば下記の通りである。

露骨なアメリカ人:エクアドルが主導権を手放さなければ、ワシントンは貿易制裁を発動させ、必要な軍事援助を撤回するだろう。エクアドル政府はやむなく直ちに従った。

イギリスの健康政策担当者は会議で、「ゆすりに近いことが起きた。アメリカは、世界を人質にとり、子どもと若者の健康を守る最善の方法のために40年近くにわたって形成された合意をひっくり返そうとしている」と語った。

だがそれがドナルド・トランプのやり方である。彼は人質グループのリーダーのようなものだ。

それが国境上にいる子どもであれ母親の胸に抱かれる子どもであれ、ドナルド・トランプは外交政策を、自らのビジネスの利益を拡大し、より多くの富を彼の友人と財政的投資者につぎ込むための手段と見ている。強力な粉ミルク産業はドナルド・トランプをつかまえた−−−合衆国の多数の政治家と官庁に影響を与えることができるように。

ドナルド・トランプは粉ミルク産業と談合した疑いがある。彼らはまた、女性と子どもを傷つける人種的不平等のシステムを永続化させている。有色の女性はこの国において最も脆弱な集団のひとつだから、彼女たちが実際に母乳で育てることを不可能にする要素の標的とされやすい。

WHOと米国小児科学会は、幼児には生後6週間は母乳以外のものを与えないことを奨励している。ドナルド・トランプは科学を尊重せず、公衆衛生に価値をおいていないのかもしれないが、我々は違う。NOWは、合衆国政府が母乳が子どもにとって最善であることを証明した長年の調査研究を無視するのをやめるよう要求することを女性たちに呼びかけたい。

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 母乳育児をフェミニズム団体が守ろうとしているなんて奇妙に思われるかもしれませんが、保守系が「子どもは母乳で育てるべきだ!」と言っているのとは違うレベルで、母親にとっても子どもにとってもナチュラルな食生活(?)がいちばんいいのです。
 日本は食の安全性についてあまりに意識が低いですが、添加物や化学調味料、農薬等の危険性は知れば知るほど怖いものです(探せば文献はたくさんあります)。きちんと規制すべき厚生労働省が全くの無知怠慢ですからわたしたちは世界レベルで見ても非常にやばい状態に置かれています。私はフェミニズムも食の問題にもっと取り組むべきだと考えています。
 この声明はトランプの粉ミルク産業とのつながりを批判していますが、これをみて、なるほどネオリベ政治家はこういうふうに見えにくいやり方で女性やこどもの体を危険にさらしていくのかとすごく感じ入りました。
 粉ミルクは、一見忙しい女性にとって便利なものに思えますが、長い目で見れば決して体に優しいものではありません。もちろん私は絶対母乳で育てるべきだなんて思いませんから、母乳か粉ミルクか選ぶのはまずその母親に権利がありますし多様な方法が提供されるべきですが、トランプは、母乳育児は自分にとって何の儲けももたらさないので、粉ミルク育児を増やして儲けようとしているだけですね。
 ヒラリーだったらどうかと考えれば‥まあトランプほど業界利権のために直進はしないかも知れませんね。

 とこういうふうに考えていたところ、日本の男女共同参画局のメルマガに、こんな文が‥

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《内閣府 男女共同参画局から》

●「乳児用液体ミルクについて」ウェブサイトページを開設しました

 乳児用液体ミルクは、液状の人工乳を容器に密封したものであり、常温で長期間の保存が可能な製品です。そのまま飲むことができ授乳時の調乳の手間を省くことができることから、乳児用粉ミルクに比べ、授乳者の負担軽減や安全面で、利点があると考えられています。
 平成30年8月8日、乳児用液体ミルクを国内で製造・販売するための安全基準や表示許可基準が定められ、事業者がこれらの基準に適合した乳児用液体ミルクを国内で製造・販売することが可能となりました。
 
※内閣府男女局HP「乳児用液体ミルクについて」 はこちらからご覧ください
 http://www.gender.go.jp/policy/saigai/milk.html

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 該当ページは「乳児用液体ミルクの普及に向けた取組」として忙しい家庭や災害時に便利だから許可したみたいに書いてあります。液体ミルクなんて本当に安全かちゃんと調べているのか疑問だし、何よりこれって「男女共同参画政策」になるのか?という問題です。
 忙しい母親や災害時のために行政がすべきなのは、子どもがいても安心して働ける環境や法の整備と災害対策ではないでしょうか。
 まあこんなのは些事としてするっと見逃されていくのでしょうが、何の議論もなく「ミルクって便利!」という気分だけ押し流すって違うのではないでしょうか。今の日本の女性政策は女性も男性同様ギリギリまで働かせて、子育て介護もやってもらう、ということになってしまっていて、母乳でゆっくり子どもを育てるよりも、粉ミルクでさっと授乳は済ませてもらってすぐ仕事に戻ってもらった方が経済界的にはいいのかもしれませんね。
 トランプの場合のように業界との癒着はないのでしょうか。
 日本ではほとんど議論されていないようですが下記の記事がありました。


 上記の最後にあったように、第3世界への影響が心配です。相変わらずトランプの尻馬に乗る日本政府。男女共同参画もバカにされたものです。











































# by anti-phallus | 2018-09-16 12:06 | フェミニズム | Comments(0)

#MeTooとウィメンズ・マーチをどう理解するか

 アメリカのフェミニズムについてしばらく考えていて、#MeTooとウィメンズ・マーチについてネット上の文章をいくつか読んでみました。
 どちらの運動もともに、近年のこれまでの運動にない広がりとインパクトをもっています。2011年のオキュパイ運動(「ウォール街を占拠せよ」)なども新鮮でしたが、それ以上の規模を持っているように見えます。いくつか紹介しながら考えていきたいと思います。
 まずはウイメンズ・マーチの共同代表のタミカ・マロリーさんのインタビューです。



 このインタビューが面白いのは、活動家ならではの現実的な観察力とポジティブな希望が感じられるところでした。1月21日のマーチを成功させた第一人者はドナルド・トランプだと言っています(笑)。全米の人々が、トランプが大統領となったことにショックを受け、驚いて集まってきたと。そしてタミカはリーダーとして、ひとびとに、トランプの登場によって初めて抑圧が始まったわけではないことを理解してもらう必要があると言っています。トランプを歴史的コンテクストに位置付けて理解する必要があると。また、ヒラリーが落選したことに衝撃を受けてマーチに参加した人々も多いと言っています。
 おそらく、この点、ヒラリーではなくトランプが当選してしまったことをどう考えるか、というのが、#MeTooとマーチの関係を考える上でも一番重要な論点のひとつとなりそうです。

 そして、その論点とも関連して、タミカが強調しているのが「intersectionality 交差性」です。この運動の中で「交差性」が常に議論されたのでこの言葉は「sexy word」になったそう。例えば、「リプロダクティブ・ジャスティス(性と生殖の公正)の問題に関心をもっているひとには、この日には気候変動の問題や人種的公正の問題にも関心を持つように働きかけられました。ウィメンズ・マーチと言っても、当然ながら簡単に参加者全てが一致できるわけではない。トランプの当選に危機感を持って参加したという点は共通しても、トランプのどのような政策に問題を感じたのかというところで違いが生じたりする。とはいえそれでも、女性を掲げる行動に、あれだけの大人数が集まったということ、この時代に、そこにわたしは大きな渦のようなものを感じます。女性間の差異が言われ、交差性がキーワードになっている中でもやはり、わたしたちは「女性」の置かれた立場に問題を感じ、フェミニズムに希望をもたずにはいられないのではないでしょうか。

 タミカは運動におけるアカデミズムとしてのフェミニズムの役割について尋ねられ、下記のように言っています(拙訳)。


アカデミズムができることを理解するためには、フェミニズムがコミュニティにとって何を意味しているかを理解できなければいけません。黒人の女性は主流のフェミニズム運動の中で、必ずしも安心感を得られません。白人の女性のフェミニズムのなかで、有色の人々、有色の女性の問題が中心に置かれていると感じることは決してありません。賃金の平等の問題、職場における性差別などの問題に戻れば、わたしたちはそれよりも、自分の子どもたちが警察に撃たれて殺されないかということに不安を感じます。・・・てすから、黒人の女性はウイメンズ・マーチに必ずしもいるべきであるとは感じられないのです。・・・アカデミックなコミュニティの役割は、フェミニズムの意味を、とりわけ中部等地域の高齢の白人女性に教えることです。


 フェミニズムをめぐって、コミュニティが断絶していること、人種や世代、地域によって断絶していることが指摘されています。そしてそれをつなぐ役割がフェミニズムに期待されています。
 これは、単にウィメンズ・マーチの内部あるいはフェミニズムの内部の問題であるだけではなく、アメリカ全体の問題として理解することが重要です。ヒラリー・クリントンが当選できなかった理由は色々指摘されているものの、トランプの人種差別性に対して白人が向き合うことができなかったこと、女性差別性に対して男性のみならず女性も十分に批判できなかった、その批判の受け皿にヒラリーが十分になりきれなかったことでしょう。
 人種差別と性差別に対して、最も弱い立場に置かれるのが有色の女性です。
 黒人女性が#MeTooに参加しない理由をとてもわかりやすく書いているのが下記です。


 このように、白人女性と黒人女性の間にズレがあるからといって、マーチや#MeTooが白人女性の運動に過ぎないとは言い切れないわけで、タミカも非白人ですし、よく言われているように#MeTooの提唱者はタラナ・バーク(Tarana Burke)という黒人の女性です。
 問題は、社会の断絶を、トランプのような差別主義者が利用していることです。そして、それに対抗できる選択肢が十分に形成されていないことです。
 下記は、ヒラリーについて書かれた本の書評のようなエッセイですが、面白かったのは、アメリカのフェミニズムが「母殺し」を続けている、と嘆いている点で、その結果若い女性たちからヒラリーが支持されなかったとしています。



 投票率を調査した報道を見ると、確かに、若い世代のトランプ支持率は低く、またヒラリー支持率も高くなく、若い世代の一定層はサンダース支持に回ったのです。若い世代がフェミニズムを支持していないわけではないことは、#MeTooとウィメンズ・マーチを見ていればわかるわけで、トランプの性差別に怒っている若い世代がヒラリーを支持しきれなかったことがトランプ勝利の大きな一因となっているわけです。
 ここで、ナンシー・フレイザーが提起しているフェミニズムとネオリベラリズムの結びつきを考える必要が出てきます。ネオリベラリズムでひどい目に遭っているのは中高年層よりは若年僧です(一部のセレブは別として)。ヒラリーは、マイノリティを含んだ全ての女性の利益を代表するというよりは、一部のエリート層の女性(および男性)を代表していると見られているのです。

 こう考えてくるとどんどんこんがらかってくるのですが、結局、#MeTooとウィメンズ・マーチの盛り上がりにもかかわらず、トランプを批判する人々の適切な受け皿がないという、今の日本の政治にもつながる壁にぶつかって動けなくなるのです。安倍一強政治に飽きて、嫌になっている人々は多いにもかかわらず、それを打破するに足る適切な政党や政治家が見当たらない、という悪循環。
 二つの大きな運動に大勢の女性が関わる基盤がありながら、その基盤はトランプを撃退できなかった。二つの大きな運動をつなぐ現実の政治的選択肢が存在しない。サンダースといえども、性差別の問題についてはどれだけ期待できるか不明感があります。
 言い換えれば、女性の利害が政治に反映されていない、ということです。女性が生活の中でぶつかる社会的・経済的問題を汲みあげる政治システムが不在であるということ。

 セクハラはある意味分かりやすい問題なので、「階級や人種を超えた女性の連帯」が実現しやすいテーマであるかのように語られます。下記は、日本でも知られている詩人レベッカ・ソルニットの寄稿です。「マンスプレイニング」という言葉を作った人です。




 このようにソルニットは#MeTooに最大限の賛辞を送っています。

 次に下記は、労働問題に詳しいジャーナリストSarah Jaffe が#MeTooを論じたものですが、慎重に#MeTooを評価し、これが単なる意識改革や個人攻撃にとどまらず、どうしたらシステムを変える力を持てるか考えています。
 このひとは、トリクルダウン・フェミニズムを批判していますが、#MeTooは、有名なハリウッドの女優の関与によってマスコミが注目するようになったものの、無名の女性労働者達も立ち上がっていること、これまで十分セクハラに取り組んでこなかった労働組合も行動していることなどから#MeTooを大きな可能性を秘めているものと期待しています。「有名で権力ある女性達が下からのリーダーシップを受け入れつつある」と。



 少し引用します。


もちろん、「タイムズ・アップ」のサイトは「リーン・イン」を信頼できるパートナーとしてリンクしている。そのようなトップダウンや「働け働け」イデオロギーから離れようとする進歩はまだ不完全だ。
だがこれはフェミニズムの大転換を感じる始まりだ、大統領にもうちょっとで就けそうな裕福な女性からではなく、個人的でもありとても馴染み深くもあるいくつもの理由から女性から女性に広がっている怒りのさざ波から始まるのだ。


 最後に、スーザン・ファルーディの文章を紹介します。ファルーディは『バックラッシュ』の著書で日本でもジェンダー論をかじった人なら誰でも知っているでしょう。私はこれが一番面白かったのですが、マスメディアが#MeTooをもてはやす一方で、トランプ大統領の女性を抑圧するさまざまな政策がどんどん実行されていることに警鐘を鳴らしています。


 ファルーディが女性運動の歴史を紐解いて論じているように、セクハラはある意味「とりあげやすい」問題でもあるので注目されやすいですが、セクハラの背景にある性差別的な社会システムの問題にまで広げて考える必要があります。
 トランプ当選をきっかけに逆説的に、フェミニズムが活性化されたことはとても嬉しいですね。ただ、セクハラを本当になくす、減らすためには、女性の労働環境を何倍も良くしないといけないし、それにはものすごい変化が必要です。Sarah Jaffe が指摘したように、フェミニズム内の変化も必要なわけで、遠い道のりですが、決して手放してはならない目標だと思います。




# by anti-phallus | 2018-08-28 14:05 | フェミニズム | Comments(0)