菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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食のオルタナティブ

 おもしろい食事スタイルを知ったので紹介します。
 甲田光雄先生というお医者さんの提唱した甲田療法というもので、1日2食、玄米菜食スタイルです。知人から聞いたときは2食で栄養大丈夫なの?とかお腹減るんじゃと思いましたが、やってみたら案外大丈夫です。
 この理論では、朝ご飯は抜いて、昼と夜のみ。食べるのは理想は玄米ご飯と青汁、豆腐が基本。午前中は排泄の時間なので水分を多めにとる。
 わたしは厳密に守ってはいないですが、できるだけ近い内容にして、2食にしてます。体調は大丈夫です。3食食べないとだめ、というのは栄養学の間違ったイデオロギーということです。わたしもずっとだまされていました。甲田療法は哲学があって面白いのです。

 あとは添加物や化学調味料などは極力減らすこと。こちらはとくに多くの人に勧めたい。今売られている食品は野菜も含め薬づけ。農薬や添加物について情報を得れば得る程げんなりする。肉も動物たちはかわいそうなくらい抗生物質や薬を投与されている。
 コンビニで売られているサラダに乗っている卵は、ゆで卵のスライスではなくて、チューブのような製品を切ったものと聞いてショックでした。

 おすすめ本紹介。

安部 司 『食品の裏側 みんな大好きな食品添加物』 東洋経済新報社
甲田光雄・赤池キョウコ 『マンガでわかる「西式甲田療法」―一番わかりやすい実践入門書』 マキノ出版


今の食品は、食べ物というより工業製品。。残念ながら。
無農薬・無添加の自然食品を食べていると、既成のものとの味の違いに驚く。野菜は味がとっても濃い。生き生きして力があります。肉も深いおいしさ、加熱しても損なわれない。惣菜なども雑味がなくて安心のおいしさ。価格が高いと思われがちだけど、それほど高くないものも多いです。いちど地域の自然食品スーパーや宅配業者などをお試しを。

 食に関してもフェミニズムの大事なテーマと思っています。
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# by anti-phallus | 2015-08-29 13:49 | その他 | Comments(0)

ろくでなし子さんとフェミニズム

 遅ればせなのですが、ろくでなし子さんの活動への応援的なことを書きたいと思います。わたしが彼女の存在を知ったのは警察に逮捕される前後あたりでした。「ま◎こ」をかたどったアート作品を作っているということで、「え?日本にも今でもそんなことしてるひとがいるんだ〜」的な驚きを感じました。
 わたし自身は、アメリカのフェミニストアートのなかでそういう手法があるのは知っていましたし、日本のリブ運動の中でも「女性の健康」などをテーマにしたグループで同じような女性器への取り組みをされてるのに参加したこともありました。ですが今、しかも同世代で真正面から「ま◎こアート」に挑戦しているひとがいるとは!と感動。
 そして、彼女が逮捕されるなんて、フェミニズムへの弾圧!と考えました。
 ですが、あいかわらずの忙しさでほとんど何も支援できず。(余談ですがこの忙しさは本当に腹立たしい。やりたいことがなかなかできず、政治状況は悪化する一方で鬱々するばかり)そのうち無事?釈放され、活動再開されていて本当に良かったです。

 というところで、また問題は、ろくでなし子さんには色んなかたが応援しているようですが、わたしが思うのはフェミニズムからの応援がもっと必要だ!ということです。というのは、ろくでなし子さんの活動は、フェミニズムそのものだと思うからです。

 日本でま◎こはおとしめられています。本来は女性器は女性にとって大事な身体の要素のひとつであり、セクシュアリティを司るものですし、毎日の身体作用の要でもる子宮や卵巣などとつながってもいる。手や足が大事な身体の要素であるように、性器もひとりひとりが快く生きていくために大事にされるべきものです。
 ですが、まず名前を呼べない。マスメディア上では無論、ネット上でもそうだという指摘も見かけました。「ま◎こ」と書くとブログ停止になるとか?どうなんでしょう。。
 この状態は、女性の身体が他者に奪われているに近い状況を象徴しています。名前を呼べなかったら、ともだちとそれについて楽しく会話することもできないし、それについて正しい情報や知識を得ることもできない。PMSという月経困難症で悩む女性は多いですし、女性器に関する不調や病気にかかることも女性にとってそれほど珍しいことではない。婦人科にかかることでさえ恥ずかしいような空気はある。また、セックスについて話すこともしにくくなる。「ま◎こ」と公的な場面で言う女はさげすまれるから。
 何せそのことをろくでなし子さんの逮捕は余すところなく証明してくれました。

しかも!そういうふうに表の世界で口に出しにくい一方で、ポルノの世界、つまりアダルトビデオや官能小説(いまどきこういうジャンルがどれだけあるのかは知らないが)、アダルト動画、男性週刊誌等々では女性器をにおわせる表現があふれています。コンビニや街角の本屋に行けば、女性は目を背けざるを得ないアダルトコーナーがあちこちにあるのが日本の現状。
 これは何を意味しているか。あまりに日常化していて、誰も反対していないように見えるのでもうあえて考えられもしませんが、実はこれはいわゆる、「女性の身体が男性に支配されている」ということにほかなりません。ここでいう「男性」は個々の男性ひとりひとりではありません。男性中心社会と言えばいいでしょうか。
 女性の身体を特別視して、女性アナウンサーやアイドル,モデル等々のヌードを掲載して儲けている出版社・ビデオ会社、それを買って喜ぶ読者。男性中心的な性意識が資本と結びついて、女性の身体を支配しているのが今の現実です。
 女性の身体は何か「いやらしい」もの、オープンにしてはいけないもののように感じさせられてしまっているのです。
 
 女性の身体は「わいせつ」ではない、それがろくでなし子さんの活動から受け取るメッセージ。その活動、ま◎この表現で大事なポイントは、それが「セックス」とは別の文脈で表現されている点です。女性器は、落書きなどに現れているように、「性交」を意味するように使われることが多いです。性器はもちろん性交にも使われますが、女性の日常生活の中ではそれに止まるものではない。例えば生理や排泄など日々の健康に関わる機能で大活躍しています。もちろん妊娠・出産においても大事な部分。それを、セックス、しかも男性視線的なセックス観でばかり意味付けされている現社会での女性器観に、ろくでなし子さんの活動は挑戦している。これがフェミニズムでなくて何がフェミニズムといえるでしょうか。

 ろくでなし子さんへのフェミニズムからの支持が少ない一因に、「表現の自由」問題があるようです。表現の自由を支持する立場と、差別表現を規制することを重視する立場の対立ですね。わたしは、原則的には表現の自由は守られるべきと考えていますが、現状のポルノ産業のあまりの野放しぶりを看過するのもどうかな〜と迷っています。両者の中間あたりの立場はないものかと思っていますが、ともあれ女性からの性的な表現がもっともっと伸びてくるのが理想。女性が性的な表現をしにくい今の社会。どんどん色んな考えの女性が登場することで、自由派と規制派が対立して硬直してしまっている構図も変えられていくのではないでしょうか。


 最後に、ろくでなし子さんの活動は、「これからフェミニズムってどうなってしまうんだろう〜」とウツウツしているわたしに元気をくれました。フェミニズムはお勉強じゃない、ということを体現している意味でも大事だと思います。

※ある人からのアドバイスにより、検閲でブログ閉鎖されるのを避けるため、残念ながら伏せ字にしました。ああバカらしい。






 
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# by anti-phallus | 2015-07-17 14:41 | フェミニズム | Comments(2)

カルタイで発表します

 もうすぐですが Cultural Typhoon で発表します。前回も触れたポストフェミニズム関連です。

 6/14 日曜日 13:00-14:30
  @関学梅田
  パネル「性の政治のポピュラリティ―ポストフェミニズムとホモノーマティヴィティ」
  Cultural Typhoon2015のサイト→こちら
Panelist 1: 泉谷瞬 (IZUTANI, Shun) 立命館大学
Panelist 2: 菊地夏野 (KIKUCHI, Natsuno) 名古屋市立大学
Panelist 3: 黒岩裕市 (KUROIWA, Yuichi) フェリス女学院大学

 新自由主義体制下の社会においていかなるジェンダーやセクシュアリティのあり方が可視化され、「ポピュラーなもの」を構成しているだろうか。一方、そこで見えなくされ、排除されていくのは何か。本パネルでは、ポストフェミニズムやホモノーマティヴィティの議論を参照しつつ具体的な素材から、現代の日本のポピュラー・カルチャーにおける性の政治のせめぎ合いを検討する。「ポピュラーなもの」がどこに向かいつつあるのか、それはどのように批判的に読解/再読解できるのか明らかにしたい。
 泉谷報告では、2010年に出版された林真理子の人気作『下流の宴』の分析を行う。翌年にはNHKによるドラマ化もされる程に大衆性を持ったこの作品を、世代間ギャップの物語として解釈するのではなく、新自由主義の論理が一貫する構成から、欲望の肯定・自己実現への努力とジェンダーが絡み合う様相を考察する。菊地報告では、近年日本で流通している「女子」という流行語を手がかりに、ジェンダー秩序の再編について検討する。アンケート調査結果から新自由主義はジェンダー・セクシュアリティの領域でどのように立ち上がっているか考察する。黒岩報告は、近年のさまざまなメディアでしばしば見かけられる「女性とゲイ男性の親友」という表象に注目し、そこから新自由主義のもとでの性の政治を再検討するものである。ライフスタイル情報誌に掲載された川上弘美のいくつかの短編を題材に考察する。
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# by anti-phallus | 2015-06-08 14:50 | イベントの案内 | Comments(0)

宣伝・ポストフェミニズム論

 最近書いたものの宣伝をします。

『ジェンダーにおける「承認」と「再分配」   格差、文化、イスラーム』
越智博美・河野真太郎編、彩流社 2800円+税
出版社HP →ココ

・・という本に、「ポストフェミニズムと日本社会」と題する論文を書きました。

 この本には、全体を通してネオリベラリズムが進行し、フェミニズムが「簒奪」されているかのような現代社会をどうにか切り開こうとする問題意識が通底しています。

 帯より。
「多様性が承認される「自由」な社会。「自由な個人」として不平等な市場に組み込まれるわたしたち。文化か、経済か。承認か、再分配か−−−−−−このジレンマを乗り越えることは可能なのか。
ポスト新自由主義を見すえるジェンダー研究の最前線。」

 私が書いたのは、英米のポストフェミニズムの議論を紹介しながら、それが日本の現状に照らし合わせるとどうなのか、ということです。フレイザーの問題意識とも絡めながら、ネオリベラリズムのジェンダー・パラダイムともいうべきポストフェミニズムを、日本の現実から批判していくことが今最も重要なことのひとつだと思っています。

他にも先鋭的な問題提起が多く収められています。
 どうぞお読みください。


=====================
目次

第一部 承認と再分配の問題とは何か
第一章 承認論とジェンダー論が交叉するところ(藤野 寛)
第二章 フレイザーとバトラーの「再分配/承認」論争(加藤 泰史)
第三章 ポストフェミニズムと日本社会(菊地 夏野)
    —— 女子力・婚活・男女共同参画
第四章 〈分配か承認か〉の手前で(岡野 八代)
    —— ケアの倫理からの再考
第五章 分配的正義から交換的正義へ(中山 徹)
    —— 「我が家の楽園」としてのコミュニズム

第二部 承認、再分配、そして文化
第六章 「貧困との戦い」の行方(越智 博美)
    —— 貧困の文化化とアパラチア
第七章 学習社会とポストフェミニズム(河野 真太郎)
    —— 『リタの教育』における終わりなき成長
第八章 シングルマザーが夢見るユートピア(町田 みどり)
    —— 『時を飛翔する女』における「家族」のオルタナティヴ
第九章 承認の外へ(井上 間従文)
    —— 根間智子と仲宗根香織の写真における「問い」としての沖縄
第十章 フランスの地方美術館による作品収蔵と芸術家の様相(小泉 順也)
    —— 印象派とポスト印象派を中心に

第三部 イスラームと女性
第十一章 イスラームと女性の地位(鵜飼 哲)
     —— まず、知るべきこと
第十二章 現代フランスにおける「スカーフ論争」とは何なのか(森 千香子)
     —— レイシズムと女性の身体をめぐって
第十三章 表象=代表 (representation) 、知識人、教育(中井 亜佐子)
     ——マララ・ユスフザイの国連スピーチを読む

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# by anti-phallus | 2015-05-18 16:01 | 仕事 | Comments(0)

「慰安婦」問題・歴史家声明に思うこと

 今月初め、アメリカの日本研究者ら187人が「日本の歴史家を支持する声明」を発表した件が話題になっている。これは「慰安婦」問題などの解決で、安倍首相の「大胆な行動」に期待を表明したもの(朝日新聞)として、さまざまな反響があるようだ。

 色々な見方ができると思うが、まあまずは、安倍政権はかなり反発を買っているということだろう。声明の内容を見ると、かなり日本の立場に配慮した文面が多い。そのような配慮を持ってしても、このような「異例の」政治的呼びかけをしなければいけない程に、今の日本の政治は危機感を持たれているということだ。

 その上で、どうも報じられ方、論じられ方に違和感があるのは、どうして日本のマスコミは、こういうアメリカの「権威」に弱いんだろうという思いが湧いてしまうからだ。これまで「慰安婦」問題が浮上してから25年間近く、被害女性たちは何度も何度も声を上げ、ずっと運動を続けている。それなのに、とくに近年彼女たちの声を報じるマスコミがどれだけあるだろうか。
 朝日新聞が吉田清治証言問題でバッシングされて以来、その傾向には拍車がかかっている。
 であるのに、こういった権威が声を上げると途端に報道され注目される。歴史学者らが声を上げたのを批判したいのではない。彼女・彼らがこの問題で何らかの立場を発信するだけでも相当の覚悟や準備、苦労があったことだろう。日本のマスコミにしても、こういった「権威」のものでもないと、報道できない、という事情もあるだろう。

 そう推察しながらもやはり、どうしても、本当に問題を解決したいならば、被害女性たちにまず耳を傾けるべきだという原則論を繰り返さざるを得ない。「慰安婦」問題は性暴力の問題だ。もうこの間この本質がすっかり隠蔽されてしまっていて、「国家間の問題」や「民族間の問題」として語られている。この語られ方自体に限界があるのだ。
 被害国・被害地域の女性たちの運動、加害国・日本の女性運動の歴史がある。わたしたちはそれを尊重し、そこから学んで、解決を考えていかなければならない。あまりに当たり前のことなので、もう自分で書くのも情けない感があるのだけど。
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# by anti-phallus | 2015-05-14 21:18 | 日本軍「慰安婦」問題 | Comments(2)

渋谷区同性パートナー証明条例について思うこと

 渋谷区のいわゆる同性パートナーシップ条例の件が大きく取り上げられている。東京レインボーパレードが4/26に開催されたこともあり、盛り上がっている。パレードも渋谷の条例を意識した演出が多かったようだ。

 こんな雰囲気の中で違ったことをいうのはためらわれるが、わたしはこの盛り上がりに危惧している。

 もちろんほかにもこの条例に批判的な声はあるが、それは「同性婚や同性パートナーシップの公認自体には賛成だが、今回の条例は進め方に問題がある」というものだ。条例を推進した議員が、渋谷区の野宿者排除や「ナイキ公園」設立を推進したのと同一人物であるということが指摘されている。また、条例で定められるパートナーシップの認定手続きに高額な費用がかかることや、実質的に認定されることのメリットは小さいことなどが批判されている。ただし、これらの批判にしても「本来の正しい手続きにのっとった同性婚や同性パートナーシップ」であれば賛成、という点は大勢と変わらない。

 いつからみながこんなに結婚制度賛成派になったのだろうか。
 確かに、1歩退いて、結婚制度そのものの賛否ではなく、現状の結婚制度が男女のカップルにのみ認められていて同性カップルに認められないのはおかしい、という点のみに絞って同性婚に賛成しているのかもしれない。しかし、どんな制度であってもすべてのひとに開かれるべきだと、いつどんなときにでもいってよいものだろうか。
 連想されるのは、フェミニズムにおける女性兵士の問題である。長く男性のものであった軍隊に、女性が参入していくことの是非。軍隊とは基本的に殺人のためにある国家組織である。そこに女性も参入して、暴力を行使する権利を認められることが男女平等、あるいはフェミニズムの目標なのだろうか。少なくとも、フェミニズムでは長い議論がある。簡単に結論を出していい問題ではない。

 結婚制度が軍隊とは違って非暴力的なものだとしても、結婚制度と女性差別は切り離せない。いくら法的に見れば男女平等に規定されているからとはいえ、性役割分業を固定化し、公認するのが結婚制度である。女性は、妻・母役割を理由に賃労働では一人前の労働力とは見なされず、安い賃金に甘んじている。職場は家庭責任のない男性労働者を標準化して構成されており、「競争力のない」非男性的労働者はどんどん追い落とされて仕方ないと見なされている。しかも日本では、強い「家意識」や「家族規範」のため、結婚圧力が強く、また「ヨメ」「主人」といった上下関係を色濃くにおわせる役割名が現在でも生きている。結婚制度を利用せずに自由に生きる道はまだまだ険しい。経済的にも、精神的にも。

 そのような息苦しい制度に参入する権利を非異性愛男女にも認めるのがそんなに良いことなのだろうか。
 確かに、結婚制度に賛成なのではなく、同性パートナーシップや同性婚を認めることでLGBTの存在が可視化・公認されることが素晴らしいのだと反論されるかもしれない。だが、LGBTというありかたを否定するのがそもそもの結婚制度なのではないだろうか。男女の非対称なカップルである結婚をすることが「人としての正しいあり方、生き方」とでもいうかのように結婚制度に依存した現在の社会そのものが、それ以外の生き方を周縁化し、否定しているのである。その排他的な制度に参入することで存在を可視化されたと勘違いすることの危うさを、もっともっと自覚するべきではないだろうか。
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# by anti-phallus | 2015-04-30 15:45 | クィア/LGBT | Comments(0)

理解できていないこと

 この間ずっとイスラム国のことを考えていた。去年からその組織についてはネットで調べ出していて、中田考さんの著書を注文したりしていたところだった。
 最初の後藤さん、湯川さんの動画の公開は1/20だった模様。2週間くらい経つのですね。
 なんと言ったらいいのか分からない状況である。多分、わたしが何も知らないからだろう。イラクやシリアの現状について、とくにひとびとの思いについて知らない。パレスチナ問題についてだいたいの構図は頭に入れていて(つもりで)も、なかなかリアルに身を入れて学ぶことは出来ていなかった。

 しかしこの事件の「リアルさ」は何だろう。湯川さんや後藤さんの人間性や経歴についてある程度のことがネットを見ていれば分かってしまって、本人(と思われる)のツイッターやブログも簡単に出てきて、ふたりの「キャラ」について好き嫌いを述べるひとがいて、さらにふたりが拘束され、「殺害」されたとする動画が世界中に公開されている。
 また、「処刑人」といわれる人物についても情報が飛び交っている。

 わたしは、正直、今のこの状況をまだ理解できていない。

 この、暴力が「さらしもの」になっている世界をどうやって捉えたらいいのだろうか?
 もちろんそういった情報や映像、文章を隠すべきだとは思わない。一部の本当に残虐なものを除いて。例えばネットで情報の流通を禁じて、マスコミのみの報道に頼れば、全くほとんど何も分からない、「無知」の立場におかれるだろう。それで満足できるわけがない。

 そしてそもそもの、このような暴力組織を生んでしまったこの世界を、理解できていないというのがいちばん重要なことだ。
 今回の一連の事件の流れの他方で、イラクやシリアでは空爆や戦闘によって多数の人々が殺されているという。
 さらに日本政府は、ますますこの暴力の応酬に参戦していこうとしているようだ。

 「植民地主義」の恐ろしさを、今回は改めて感じることとなった。近代世界はその発端から侵略、征服という暴力によって成り立っていて、その傷跡はずっと残っている。この矛盾が最も大きく現在でも噴出している地域のひとつが中東だろう。
 現地の人々の絶望、諦め、叫び、 先進国に住むイスラム系住民の苦しみ。

 植民地主義から自由になれる者はいないと言わざるを得ないだろう。現在日本で起きている「慰安婦」バッシング、ヘイトスピーチなどの問題もこの次元から捉えられなければならない。
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# by anti-phallus | 2015-02-05 18:05 | つれづれ | Comments(0)

松浦理英子『犬身』

 久しぶりに松浦理英子を読んでいる。ずっと前に『ナチュラル・ウーマン』他を読んで以来、最近どうしているのかな〜と思い調べたらいくつか書いていた。
 新しいもののうちそれほどでもなかったものもあったけど、『犬身』は非常に良かった。わたしの犬好きの性(さが)が刺激されたのもあるが、松浦の新境地というか円熟の境地というか、こういう文壇的な手あかのついた言葉を使うのはどうかと思いつつ。

 レズビアン作家というような脚光の浴びせられ方をされた松浦だが、作品をよく読むとそうではないものを表現しようとしていることが分かる。ヘテロセクシュアルでは当然及ばず、かといって女性同士であろうとも得られない世界、そんな存在も確かでないものを求める欲望。たぶんそれは、松浦の一貫したモチーフなのだが、初期作品ではまだゴールに到達していないような感じ。

それが『犬身』を読むとよく分かる。犬と飼い主にしか届かない、高みにある親密性。言葉ではない、身体を直接交わすことによって得られる快楽が、人間同士ではない組み合わせによって成される。ただしこれはやっぱり女性同士の性愛の隣にあるようにわたしには読める。

 これを読んで、自分の中で何かが言語化されたような感覚があって、良い小説というのは言語によってできているににもかかわらず、いつのまにか読者の身体を変容させるのだなと思った。これを読んで確実に良かったと思う。
 今社会に流通しているセクシュアリティのテクストを裏切って、そうではない、でも確かにあるものをテクストによって具現化させる。すごい作業。

 読後生み出されるものは感覚なのだけど、それを実現する手段である言語は、完全に達人のレベルで、一瞬驚くような語彙が多い。ああこういう事柄を言葉にするとこういう表現になるのか、というような新鮮な発見を導く表現もある。言語は身体なんだな〜という嘆息。
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# by anti-phallus | 2015-01-30 17:08 | ブックレビュー | Comments(0)

北原みのり『フェミの嫌われ方』

 『フェミの嫌われ方』を読んだ。

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 この方の本はわたしはまだ案外読んでいない。今まで2冊読んだくらい。
 最近、日本でフェミニズムってどう見られているか論じたものを読みたくて、これを選んだ次第。去年の警察の件も頭にあったのですが。

 読んでみたらタイトルに合うような内容とはちょっと違っていて、著者のフェミへの思いを綴った本だった。著者がどういう経験、どういう思いをして「フェミ」にたどり着いたのかが分かる。
 今の日本の文化のなかで、女性が軽んじられたり甘く見られていることへの違和感や怒りが率直に、素直に書かれていて、共感する人は多いのではないかと思う。確かにこういうストレートなフェミニズムの本って少ないんですよね。

 とくにつんくの『LOVE論』批判が印象に残った。男性の筆による保守的な恋愛論はありふれているものですが、やっぱり批判が少ない。正面切って批判するのはためらわれる力学がある。違和感を持っても、「勝手にして」と無視するのが多くの人の態度だろう。でもこういう言説は根強くはびこって世の中の恋愛秩序、ジェンダー秩序に影響を及ぼしていくからほんとうはあえて恥を忍んで批判しなくちゃいけない。そういう意味でエラいと思う。
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# by anti-phallus | 2015-01-15 19:28 | ブックレビュー | Comments(0)

フェミニズムへの批判

 フレイザーの議論に関連してまず一言書きたいと思います。わたしはこの主張が、現在のジェンダー・セクシュアリティを考える上で非常に重要な内容だと考えており、いくつかのところで紹介してきました。そのなかで思ったことについてです。
 このフレイザーの主張に対して、「フェミニズムを批判するもの」と捉え、否定的に対応された経験が少しありました。それは、ジェンダー・セクシュアリティに関連する研究者からです。
 近年、日本のフェミニズム研究が以前と比べて新しい議論が少なくなってきているのは、この反応に代表されるフェミニズム研究界の問題があると思います。
 まあもちろんこのフレイザーの論考を読んで下さる方の多くは研究界には直接縁のない方も多いでしょうから、こんなことを書くのは野暮なのですが、実は研究界に止まらない重要な問題点を含んでいると思うので書いておきます。

 それは、フェミニズムがひとつの「正義」や「権威」になってしまっているのではないかということです。フレイザーの議論は、フェミニズムがネオリベラリズムと共犯関係になってしまったのではないかという批判であり、それ自体はフェミニズムに対して非常に厳しく反省を迫るものです。しかしお読みいただければ分かるように、フレイザーは自身もその一翼を担ったものとして、自己反省的にあえて振り返っているのです。そしてその反省は、自己反省に止まらず、フェミニズムを歪めて内在化させた現在のネオリベラリズムの本質のありかにもつながるものであり、そういう意味では普遍的な側面をももつからこそ、このフレイザーの議論は多くの人の興味を呼ぶのです。

 では、どうしてこのようなフェミニズム批判がある人々にとっては受け入れがたいのかと考えると、フェミニズムという概念が、既にある、「正しい言説」であったり、「それを身につけている正しいフェミニスト」のものであるという了解が広がっているからではないでしょうか。そのような「正しい思想」「正しいひと」を批判するのは、「それ以外の間違ったもの」「敵」に利するものだからよくない、という認識図式があるように感じます。
 それは、研究界だけではなく、一般にも、勉強していないとフェミニストではないとか、フェミニストは学歴もキャリアも高い人、というイメージは広くあるのではないでしょうか。

 ですが、何人かのフェミニストが論じてきたように、フェミニズムとは「既にあるもの」というよりは、「いまだ言葉になっていないが、確かにどこかにあるような、多くの女性たち、あるいはそれ以外のものたちにも分け持たれている、性差別への怒り」だとわたしは考えています。ですが、世の中は性差別に根づいていますので、そのようなフェミニズムを自覚している人は少ないです。だから、もっとフェミニズムを多くの人に伝えていくことが大事なのです。
 そのために例えば研究はあるのだと思います。そして、今あるフェミニズムが完全ということはありえないのですから、時代に応じて、社会に応じて、フェミニズムは常に刷新されなければいけないでしょう。

 ある意味では、批判され続け、刷新していくことがフェミニズムの命なのです。
 日本のフェミニズムは残念ながら、(自覚的な)担い手の層は高齢化し、力を失っています。そんななかでアベノミクスのようなネオリベラリズムが大展開していますから、とにかく大変残念な状況です。フレイザーの議論は、アメリカ社会を念頭に置いたものですが、日本の状況にもよく当てはまるのは驚くくらいです。
 フェミニズムにとって今は冬、激寒の時代ですが、だからこそ、このようなフェミニズム批判を踏まえて、立て直す時期なのではないでしょうか。
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# by anti-phallus | 2015-01-07 12:08 | フェミニズム | Comments(0)