菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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ハーヴェイ『新自由主義』

 以前注目されたデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』の冒頭は、アメリカの9・11以降のイラク攻撃についての批判的分析で始められています。イラクに対する戦争に、合理的な根拠がないことが分かったときブッシュ大統領は「自由」のために、イラクに自由をもたらすために戦争は正当化されると主張しました。
 そしてブッシュ政権は、イラクの公共企業体の民営化、外国企業が自由に活動する権利、イラクの銀行を外国の管理下におくこと、などの「新自由主義化」を推し進めました。
 今世紀に入って以来、このような世界の動きが繰り返されているように感じます。現在フランスを争点として起こっていることも、同様の構図へと向かっているのではないでしょうか。マスコミで報道されているパリ市民の良心的な行動、怒りの連鎖を批判する声も、このような世界の構造を変えない限り、本当の意味でかなうことはないと思います。

 一方、ハーヴェイも論じていますが、だからといって新自由主義はアメリカという「帝国」が押しつけたとはいえません。イギリスやインド、中国、スウェーデンの新自由主義化をアメリカのせいとは言えません。それぞれの国の国内事情から政策は新自由主義へと転換されていきました。

 日本もそうでしょう。日本も諸外国との関係、国際環境の中で、同時に独自の内的な歴史や事情から新自由主義化を進めています。

 とはいえ、今回のフランスの事件によって世界的な新自由主義化が一層推し進められていくだろうことも予感されます。暴力を生みだした植民地主義に人びとが気づき、暴力の連鎖とそれを利用するひとびとに世界が支配される状況を変えない限り、悪循環は続くのではないかと思われてなりません。
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# by anti-phallus | 2015-11-27 17:04 | ブックレビュー | Comments(0)

「慰安婦」問題文献紹介

  林博史さんという歴史研究者の『日本軍「慰安婦」問題の核心』という本。今年出たものです。 
 長年この問題に取り組んでこられている方で、現在の状況を踏まえて、90年代以来の研究や政治の変化を分かりやすく解説しています。
 安倍政権の問題、朝日新聞の問題にも触れていて、それらの現象に対して、背景の歴史研究から振り返って批判的に応答しています。是非ご一読を。

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 それにしても、この本では歴史学の研究成果を中心に紹介されていますが、気になるのは「実証史学」批判の問題。90年代に「慰安婦」問題をめぐって実証主義対構築主義というような構図で論争があり、それを受けているのですが、林さんは「批判的な実証主義」の可能性を論じている。歴史学者としてあり得る立場だと思いますが、社会学の研究者としてはどのように考えるべきか悩ましいところ。とくに、実証主義を批判して、「記憶や言説」を重視する立場としては、林さんは名を挙げていないのですがおそらく社会学者、上野千鶴子さんなどが想定されていると思われます。
 本書でも紹介されているように、「慰安婦」問題をはじめとして戦時性暴力の問題について近年歴史学では豊富に成果が生まれている。一方で社会学では、追いついていないように見えます。
 これは何なんだろうか・・。
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# by anti-phallus | 2015-11-18 15:40 | ブックレビュー | Comments(0)

理想のからだ

 ヨガをやってるとインストラクターの方が「理想のからだを目指しましょう」というようなことを言っているのを耳にする。
 改めて考えると、理想のからだって何でしょう。たいていの場合、有名な〇〇さんのスタイル、などが例に挙げられているのですが・・・。しかし、みながそういう誰かのからだを目指してそれに近くなるようにそれぞれのからだを変えていったら怖いことになるのではないでしょうか。どこを見ても同じような体型の人ばかり・・みたいな。

 人間はロボットではないので、それぞれの個性があってあたりまえ。わたしもからだに対して色々思いはありますが、やせようとするにも太ろうとするにもそれにしてもまず大事なのは、自分のからだを愛する、大事にするということではないかと。
 どこをとっても競争の激しい現代社会。とくに女性は顔やからだまで競争の対象になりがち。女を生きるっていうのはけっこうたいへんなことです。
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# by anti-phallus | 2015-11-16 14:17 | つれづれ | Comments(0)

『ナゴヤ・ピース・ストーリーズ』出ました

 ここ数年がかりのお仕事、『ナゴヤ・ピース・ストーリーズ』が出ました。

『ナゴヤ・ピース・ストーリーズ ほんとうの平和を地域から』
     平田雅己・菊地夏野編  出版:風媒社  発行年月:2015.10
         税込価格:¥1,944 (本体:¥1,800)

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 その名の通り、名古屋から平和を考えてみたらこんな風になるかなという本です。わたし自身はあまり「平和」という言葉について真面目に考えることはなく、それよりは「暴力」という言葉から考えていく方に慣れています。でも今回、「平和」という言葉が散りばめられているプロジェクトに参加して、なかなか面白かったです。
 10年ぐらい名古屋にいてそれなりに市民運動界隈にも出入りしていたつもりですが、今回一応編者となって、こんなに大事な活動をしている方がいるんだなと驚くこともありました。平和や戦争といっても人によって色んな切り口があるんだなと。

 かなり、勉強になります。普段平和や戦争というと、最近はすっかり「国家」単位で考えるのがデフォルトになってしまっています。基本、戦争的な事柄は国家を守るため、ということで推奨されますので。(まあそこに「愛する人を守るため」という言い訳もくっついたりしますが、それは場面によって使い分けられています。)でも、この本を読めば、国家以前にまず地域があるし、その前に個人があるんだな、戦争や平和にも、と感じられるはずです。というかそこを感じてほしい。

 わたしの一押しは、「地域」から平和を考える、ということに加えて、普通「平和」にはくっつけられない、セクシュアリティの問題や在日外国人、野宿者運動等々周縁的な課題も含めたことです。名古屋辺りの社会運動に関心のある方にもいいです。
 それから、もちろん「慰安婦」問題が真ん中に来ていること。実は「慰安婦」問題も、平和運動や平和問題が語られるときにこぼれ落とされることがあります。多分、この問題がどんどんタブーになってきているからです。あとは、「(女)性の問題は分からない」という人が多いことなどから。でもわたしは「慰安婦」問題は、平和を考えるときに不可欠と思っています。戦争を深いレベルから考えると、「慰安婦」問題は中核にあるのです。書き出すと長くなるので以下省略。
 そして、出版社は地元の良心的な社会派出版社をあえて選びました。こういう会社が世の中を支えていると思います。こういう出版社を応援してあげてください。
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# by anti-phallus | 2015-11-02 09:58 | ブックレビュー | Comments(0)

フェミニズム理論のネオリベラリズム/ポスト植民地主義批判

 10月に群馬で発表することになりました。その要旨を載せておきます。
他の報告の要旨はこちら

 唯物論研究協会って不勉強にしてよく知らないので、どんな会なのかちょっと楽しみです。
 フレイザーやバトラー、スピヴァクを読んで発表できるというのは幸せですね。


******************
唯物論研究協会テーマ別分科会「文化研究の両義性」
「フェミニズム理論のネオリベラリズム/ポスト植民地主義批判
           ナンシー・フレイザーのフェミニズム批判から」

                                        菊地夏野

1 フェミニズムにおける「文化」とそれ以外のもの

 本報告では、フェミニズムの視点から「文化研究」について考えてみたい。
 フェミニズムの歴史において、「文化」は常にといってよいくらいに中心的な位置を占めていた。近代初期において女性運動の大きな課題となったのは、法的な平等、政治的な平等の達成だった。日本でもまた欧米諸国でも、女性は「遅れてきた市民」と処遇され、そのことの是正が喫緊の目標とされた。この運動は、また大衆的な文化の成長とともに、広く女性の支持も得ていった。しかし一方で、「非文化」的なところでのフェミニズムも常に存在していた。政治や法律などの文化的な面での課題を訴えるに止まらず、労働や資本といったより硬質の問題に対して「女性」の立場から抑圧を批判していく運動や思想も確かにあった。
 むしろフェミニズムはそのように相異なり対立も含む思潮が、「女性」の名の下に渾然一体となって集合して構成されていることが力であり、可能性であろう。そのような混淆の中で、「文化」は常に問題含みの鍵となる言葉だった。
 日本社会でフェミニズムが大きな影響力を持っていた時代、論争されたのも「文化」に対する態度だった。当時のフェミニズムに対する「商業主義」という批判は「文化主義」へと読み替えられ、上野千鶴子は大越愛子らのフェミニストを「文化還元主義」として批判した。今はほとんど顧みられることもないこのフェミニズム内部の論争は、現在の日本社会の状況から振り返ると、一定の意味をもって感じられる。
 さらに、上記の論争のモチーフは、英語圏のフェミニズムにおいてより理論的に精緻な形で再演される。それは、今回取り上げるナンシー・フレイザーとジュディス・バトラーの論争から始められた。フレイザーは、フェミニズムやLGBTらの運動が文化的な面での承認にばかり重点化してしまっていると指摘し、それ以外の分配をめぐる政治の再評価と承認と分配の均衡が必要だと論じた。それに対してバトラーはフレイザーの文化と経済の区分が恣意的であると反論したが、論争はいったんそこで止まっている。
 このように、フェミニズム研究は、文化研究を中心としながらも、常にそれに対する内在的な批判をはらみつつ歴史を織り上げてきた。そのせめぎ合いを考えるとき、これを単なる左翼からの女性運動への批判として整理できるだろうか。できないとしたら何が理由だろうか。「文化」対「それ以外」とされた対立軸は何を隠しているのか。これを明らかにするのが本報告の第1の目標である。


2 ネオリベラリズム下のフェミニズム−−−−批判とオルタナティブ

 バトラーとの論争後20年近くを経て、フレイザーはさらに重い批判をフェミニズムに投げかけている。
 各国の公共セクターは縮小し、格差は拡大しながらもそれらに対する怒りは政治的に結実し難い。差別を前面に掲げる言説が跋扈し、オルタナティブを構想すること自体が力を奪われ、まるで全てのものが資本のためにこぞって自発的に動員されていくかのようである。
 フレイザーはこのような新自由主義的変化を嘆くだけでなく、この事態にまさにフェミニズム自身が手を貸してしまったのではないかと問う。フェミニズムはその革新力を失い、逆に体制の構築に加担したというのである。
 もしその批判が正しいとしたら、それはこれまでフェミニズム内で展開されてきた論争とどう関わっているのか。フレイザーのバトラーへの批判は、この事態を予見していて、バトラーの限界が露呈していたといえるのだろうか。
 ネオリベラリズム下で女性にとっての国家と資本のありようは変更され、その結果ジェンダー/セクシュアリティ秩序の再編がなされた。フレイザーやバトラーはこの再編をどのように認識しているか、ポストフェミニズムの議論を参照しながら整理する。
 また、フレイザーやバトラーとは少し違う位相からフェミニズムの抑圧性を批判してきたのがガヤトリ・C・スピヴァクである。スピヴァクの植民地主義批判からのフェミニズム観は、文学教育の可能性を展望する現在の立場のなかにどのように位置づいているのか。
 本報告では第2の目的として、これらフェミニストの現在の議論をネオリベラリズム批判の観点から読み直したい。そして何らかの形で引き出し得る示唆を明らかにしたい。
 分科会のテーマに立ち返っていうと、資本の抑圧を明示しながらも文化を記述するための方法、さらには文化の内部に潜む資本の暴力の跡を直視しながら、同時に抵抗を生み出す文化の可能性をも記述する方法を、フェミニズムの立場から探ることを試みたい。

***************************
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# by anti-phallus | 2015-09-16 16:19 | イベントの案内 | Comments(0)

論文公開

 名古屋は雨続きでうっとうしい天気です。最近家事にはまっているので洗濯物が干しにくくて悲しいです。
 さて先日書いた論文が大学紀要に掲載されました。

「セックス・ワーク概念の理論的射程-フェミニズム理論における売買春と家事労働」

というものです。上記リンクから本文をダウンロードできますので、ご関心のある方に読んでいただければ幸いです。
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# by anti-phallus | 2015-09-03 13:17 | 仕事 | Comments(0)

食のオルタナティブ

 おもしろい食事スタイルを知ったので紹介します。
 甲田光雄先生というお医者さんの提唱した甲田療法というもので、1日2食、玄米菜食スタイルです。知人から聞いたときは2食で栄養大丈夫なの?とかお腹減るんじゃと思いましたが、やってみたら案外大丈夫です。
 この理論では、朝ご飯は抜いて、昼と夜のみ。食べるのは理想は玄米ご飯と青汁、豆腐が基本。午前中は排泄の時間なので水分を多めにとる。
 わたしは厳密に守ってはいないですが、できるだけ近い内容にして、2食にしてます。体調は大丈夫です。3食食べないとだめ、というのは栄養学の間違ったイデオロギーということです。わたしもずっとだまされていました。甲田療法は哲学があって面白いのです。

 あとは添加物や化学調味料などは極力減らすこと。こちらはとくに多くの人に勧めたい。今売られている食品は野菜も含め薬づけ。農薬や添加物について情報を得れば得る程げんなりする。肉も動物たちはかわいそうなくらい抗生物質や薬を投与されている。
 コンビニで売られているサラダに乗っている卵は、ゆで卵のスライスではなくて、チューブのような製品を切ったものと聞いてショックでした。

 おすすめ本紹介。

安部 司 『食品の裏側 みんな大好きな食品添加物』 東洋経済新報社
甲田光雄・赤池キョウコ 『マンガでわかる「西式甲田療法」―一番わかりやすい実践入門書』 マキノ出版


今の食品は、食べ物というより工業製品。。残念ながら。
無農薬・無添加の自然食品を食べていると、既成のものとの味の違いに驚く。野菜は味がとっても濃い。生き生きして力があります。肉も深いおいしさ、加熱しても損なわれない。惣菜なども雑味がなくて安心のおいしさ。価格が高いと思われがちだけど、それほど高くないものも多いです。いちど地域の自然食品スーパーや宅配業者などをお試しを。

 食に関してもフェミニズムの大事なテーマと思っています。
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# by anti-phallus | 2015-08-29 13:49 | その他 | Comments(0)

ろくでなし子さんとフェミニズム

 遅ればせなのですが、ろくでなし子さんの活動への応援的なことを書きたいと思います。わたしが彼女の存在を知ったのは警察に逮捕される前後あたりでした。「ま◎こ」をかたどったアート作品を作っているということで、「え?日本にも今でもそんなことしてるひとがいるんだ〜」的な驚きを感じました。
 わたし自身は、アメリカのフェミニストアートのなかでそういう手法があるのは知っていましたし、日本のリブ運動の中でも「女性の健康」などをテーマにしたグループで同じような女性器への取り組みをされてるのに参加したこともありました。ですが今、しかも同世代で真正面から「ま◎こアート」に挑戦しているひとがいるとは!と感動。
 そして、彼女が逮捕されるなんて、フェミニズムへの弾圧!と考えました。
 ですが、あいかわらずの忙しさでほとんど何も支援できず。(余談ですがこの忙しさは本当に腹立たしい。やりたいことがなかなかできず、政治状況は悪化する一方で鬱々するばかり)そのうち無事?釈放され、活動再開されていて本当に良かったです。

 というところで、また問題は、ろくでなし子さんには色んなかたが応援しているようですが、わたしが思うのはフェミニズムからの応援がもっと必要だ!ということです。というのは、ろくでなし子さんの活動は、フェミニズムそのものだと思うからです。

 日本でま◎こはおとしめられています。本来は女性器は女性にとって大事な身体の要素のひとつであり、セクシュアリティを司るものですし、毎日の身体作用の要でもる子宮や卵巣などとつながってもいる。手や足が大事な身体の要素であるように、性器もひとりひとりが快く生きていくために大事にされるべきものです。
 ですが、まず名前を呼べない。マスメディア上では無論、ネット上でもそうだという指摘も見かけました。「ま◎こ」と書くとブログ停止になるとか?どうなんでしょう。。
 この状態は、女性の身体が他者に奪われているに近い状況を象徴しています。名前を呼べなかったら、ともだちとそれについて楽しく会話することもできないし、それについて正しい情報や知識を得ることもできない。PMSという月経困難症で悩む女性は多いですし、女性器に関する不調や病気にかかることも女性にとってそれほど珍しいことではない。婦人科にかかることでさえ恥ずかしいような空気はある。また、セックスについて話すこともしにくくなる。「ま◎こ」と公的な場面で言う女はさげすまれるから。
 何せそのことをろくでなし子さんの逮捕は余すところなく証明してくれました。

しかも!そういうふうに表の世界で口に出しにくい一方で、ポルノの世界、つまりアダルトビデオや官能小説(いまどきこういうジャンルがどれだけあるのかは知らないが)、アダルト動画、男性週刊誌等々では女性器をにおわせる表現があふれています。コンビニや街角の本屋に行けば、女性は目を背けざるを得ないアダルトコーナーがあちこちにあるのが日本の現状。
 これは何を意味しているか。あまりに日常化していて、誰も反対していないように見えるのでもうあえて考えられもしませんが、実はこれはいわゆる、「女性の身体が男性に支配されている」ということにほかなりません。ここでいう「男性」は個々の男性ひとりひとりではありません。男性中心社会と言えばいいでしょうか。
 女性の身体を特別視して、女性アナウンサーやアイドル,モデル等々のヌードを掲載して儲けている出版社・ビデオ会社、それを買って喜ぶ読者。男性中心的な性意識が資本と結びついて、女性の身体を支配しているのが今の現実です。
 女性の身体は何か「いやらしい」もの、オープンにしてはいけないもののように感じさせられてしまっているのです。
 
 女性の身体は「わいせつ」ではない、それがろくでなし子さんの活動から受け取るメッセージ。その活動、ま◎この表現で大事なポイントは、それが「セックス」とは別の文脈で表現されている点です。女性器は、落書きなどに現れているように、「性交」を意味するように使われることが多いです。性器はもちろん性交にも使われますが、女性の日常生活の中ではそれに止まるものではない。例えば生理や排泄など日々の健康に関わる機能で大活躍しています。もちろん妊娠・出産においても大事な部分。それを、セックス、しかも男性視線的なセックス観でばかり意味付けされている現社会での女性器観に、ろくでなし子さんの活動は挑戦している。これがフェミニズムでなくて何がフェミニズムといえるでしょうか。

 ろくでなし子さんへのフェミニズムからの支持が少ない一因に、「表現の自由」問題があるようです。表現の自由を支持する立場と、差別表現を規制することを重視する立場の対立ですね。わたしは、原則的には表現の自由は守られるべきと考えていますが、現状のポルノ産業のあまりの野放しぶりを看過するのもどうかな〜と迷っています。両者の中間あたりの立場はないものかと思っていますが、ともあれ女性からの性的な表現がもっともっと伸びてくるのが理想。女性が性的な表現をしにくい今の社会。どんどん色んな考えの女性が登場することで、自由派と規制派が対立して硬直してしまっている構図も変えられていくのではないでしょうか。


 最後に、ろくでなし子さんの活動は、「これからフェミニズムってどうなってしまうんだろう〜」とウツウツしているわたしに元気をくれました。フェミニズムはお勉強じゃない、ということを体現している意味でも大事だと思います。

※ある人からのアドバイスにより、検閲でブログ閉鎖されるのを避けるため、残念ながら伏せ字にしました。ああバカらしい。






 
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# by anti-phallus | 2015-07-17 14:41 | フェミニズム | Comments(2)

カルタイで発表します

 もうすぐですが Cultural Typhoon で発表します。前回も触れたポストフェミニズム関連です。

 6/14 日曜日 13:00-14:30
  @関学梅田
  パネル「性の政治のポピュラリティ―ポストフェミニズムとホモノーマティヴィティ」
  Cultural Typhoon2015のサイト→こちら
Panelist 1: 泉谷瞬 (IZUTANI, Shun) 立命館大学
Panelist 2: 菊地夏野 (KIKUCHI, Natsuno) 名古屋市立大学
Panelist 3: 黒岩裕市 (KUROIWA, Yuichi) フェリス女学院大学

 新自由主義体制下の社会においていかなるジェンダーやセクシュアリティのあり方が可視化され、「ポピュラーなもの」を構成しているだろうか。一方、そこで見えなくされ、排除されていくのは何か。本パネルでは、ポストフェミニズムやホモノーマティヴィティの議論を参照しつつ具体的な素材から、現代の日本のポピュラー・カルチャーにおける性の政治のせめぎ合いを検討する。「ポピュラーなもの」がどこに向かいつつあるのか、それはどのように批判的に読解/再読解できるのか明らかにしたい。
 泉谷報告では、2010年に出版された林真理子の人気作『下流の宴』の分析を行う。翌年にはNHKによるドラマ化もされる程に大衆性を持ったこの作品を、世代間ギャップの物語として解釈するのではなく、新自由主義の論理が一貫する構成から、欲望の肯定・自己実現への努力とジェンダーが絡み合う様相を考察する。菊地報告では、近年日本で流通している「女子」という流行語を手がかりに、ジェンダー秩序の再編について検討する。アンケート調査結果から新自由主義はジェンダー・セクシュアリティの領域でどのように立ち上がっているか考察する。黒岩報告は、近年のさまざまなメディアでしばしば見かけられる「女性とゲイ男性の親友」という表象に注目し、そこから新自由主義のもとでの性の政治を再検討するものである。ライフスタイル情報誌に掲載された川上弘美のいくつかの短編を題材に考察する。
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# by anti-phallus | 2015-06-08 14:50 | イベントの案内 | Comments(0)

宣伝・ポストフェミニズム論

 最近書いたものの宣伝をします。

『ジェンダーにおける「承認」と「再分配」   格差、文化、イスラーム』
越智博美・河野真太郎編、彩流社 2800円+税
出版社HP →ココ

・・という本に、「ポストフェミニズムと日本社会」と題する論文を書きました。

 この本には、全体を通してネオリベラリズムが進行し、フェミニズムが「簒奪」されているかのような現代社会をどうにか切り開こうとする問題意識が通底しています。

 帯より。
「多様性が承認される「自由」な社会。「自由な個人」として不平等な市場に組み込まれるわたしたち。文化か、経済か。承認か、再分配か−−−−−−このジレンマを乗り越えることは可能なのか。
ポスト新自由主義を見すえるジェンダー研究の最前線。」

 私が書いたのは、英米のポストフェミニズムの議論を紹介しながら、それが日本の現状に照らし合わせるとどうなのか、ということです。フレイザーの問題意識とも絡めながら、ネオリベラリズムのジェンダー・パラダイムともいうべきポストフェミニズムを、日本の現実から批判していくことが今最も重要なことのひとつだと思っています。

他にも先鋭的な問題提起が多く収められています。
 どうぞお読みください。


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目次

第一部 承認と再分配の問題とは何か
第一章 承認論とジェンダー論が交叉するところ(藤野 寛)
第二章 フレイザーとバトラーの「再分配/承認」論争(加藤 泰史)
第三章 ポストフェミニズムと日本社会(菊地 夏野)
    —— 女子力・婚活・男女共同参画
第四章 〈分配か承認か〉の手前で(岡野 八代)
    —— ケアの倫理からの再考
第五章 分配的正義から交換的正義へ(中山 徹)
    —— 「我が家の楽園」としてのコミュニズム

第二部 承認、再分配、そして文化
第六章 「貧困との戦い」の行方(越智 博美)
    —— 貧困の文化化とアパラチア
第七章 学習社会とポストフェミニズム(河野 真太郎)
    —— 『リタの教育』における終わりなき成長
第八章 シングルマザーが夢見るユートピア(町田 みどり)
    —— 『時を飛翔する女』における「家族」のオルタナティヴ
第九章 承認の外へ(井上 間従文)
    —— 根間智子と仲宗根香織の写真における「問い」としての沖縄
第十章 フランスの地方美術館による作品収蔵と芸術家の様相(小泉 順也)
    —— 印象派とポスト印象派を中心に

第三部 イスラームと女性
第十一章 イスラームと女性の地位(鵜飼 哲)
     —— まず、知るべきこと
第十二章 現代フランスにおける「スカーフ論争」とは何なのか(森 千香子)
     —— レイシズムと女性の身体をめぐって
第十三章 表象=代表 (representation) 、知識人、教育(中井 亜佐子)
     ——マララ・ユスフザイの国連スピーチを読む

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# by anti-phallus | 2015-05-18 16:01 | 仕事 | Comments(0)