菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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大学の男女共同参画政策について

 この10年くらいずっと悩ましく思っていて、いつかちゃんと論じなきゃと考えてきたけれどもなかなかできていないという問題群の中に、標記のものがある。
 足元のことであり、しかもかなり複雑な意味合いを持っているものなので、論じるのも荷が重い。けれどもこのままだとするっと網を抜けてどんどん世の中に広まって埋め尽くしていくような怖さがある・・・・。
 この10年か20年くらいか、全国の大学ではどんどん男女共同参画政策が進められている。これは当初は、80年代頃からの大学における女性学やジェンダー論の興隆を受けて教員や市民の方々の草の根の努力から始まったところもある。だが、だんだんと国公立大学が法人化し、大学の貧困化が進み、一方で男女共同参画や女性研究者・女子学生支援に文科省や厚労省の予算が付き出した頃から、おかしくなっていった。初めは大学における女性研究者の比率の増加や、理系の女子学生の増加の推進から始まっただろうか。次に出産・子育てに従事している女性研究者の支援策が設置されるようになった。ちなみに、ここでいう女性研究者とは実質的に専任(常勤)の女性教員を指すことがほとんどだ。非常勤教員は利用できないことが多いし、そもそも制度設計が常勤の教員を念頭に置いてなされている。近年では、ワーク・ライフ・バランス政策とあいまって、「ワーキング・マザー」や「ワーキング・ファーザー」のロールモデル集なども作られているようだ。
 そして女性活躍推進法も混ざってきて、大企業から女性管理職を呼んで「女性の働き方・両立の仕方」を講演させたり、学生に指南したりという企画はどこの大学でも目白押しだろう。

 今まで問題を感じながらも、批判もしにくく、結果的に「スルー」してきた。しかし、止むことなく「ロールモデル」が掲げられるに及んで、もうガマンできない(笑)。あまりにうっとおしい・・・・。なんで「バリバリ働いて、成果もあげて、地位と名声もあって、そしてもちろん子どもも夫もいて、キラキラ輝いている女性」なんかをめざさなくてはいけないんだろうか・・・。確かに誰かがそういうあり方を目指して頑張るのはいいだろう。「女だから」大学院に入れなかったり、研究者になれないような状況よりはいいだろう。

 でも、かといって、誰もがそんな「キラキラ」を「モデル」としなくてはいけないのだろうか?そもそも大学とは、研究したり教育をしたりの場なのであって、それ以外の「家庭生活」や「私生活」の基準を教わるための場なのだろうか?研究・教育を中心とする大学という場で、人生について私生活について学ぶことはあっていいだろう。師や仲間から色んなことを教わることは得難いだろう。だが、大学が、教員や学生にある種の生き方を「推薦」したり評価したりすることがあっていいのだろうか?そういうことをやるとき、よほど配慮しないと必ず、その社会で「主流」の生き方の規範化の再生産になる。今は、「前向きに働いて成果を出して」「子育てもする」既婚女性と、それを支えるし当然収入も地位もある夫という組み合わせが「良い人生」だろう。仕事もパッとしないし恋愛にも恵まれないダメンズとか、仕事にも男にも興味ない女子とか、パートナーのいないレズビアンなんかはあまり想定されていない・・・。「活躍」したくないひとなんていないかのような言われ方。

 「活躍」という名の労働。そういうことなのだろう。

 そして怖いのは、こういう「活躍」言説がまるでフェミニズムのひとつでもあるかのような雰囲気。おそらく多くのフェミニスト(を自称する人)は、こういう批判に同意するだろう。でも表立って批判する動きは大きくない。活躍言説を批判するとまるでフェミニズムを批判しているかのように見られかねない難しさがあるから。でも批判しないと、フェミニズムはますます「お上の」意向みたいになってしまって、力を失っていくだろう。

 フェミニズムは誰かに「モデル」を指南したり、教えたりするものではない。むしろ世の中が女性に様々なモデルを押し付け、自由を奪っていることを気づかせ、そうではないひとりひとりの自由なありかたを尊重することを支えようとするもの。「活躍」なんてしたってしなくたっていい。できるときとそうでないときがある。上から言われる「活躍」ほど怖いものはない。そういう「活躍」をしていないと見なされる人、「普通」の女性たち、日の当たらないところにいるひとりひとりのためにあるのがフェミニズム、のはず。

 「男性活躍推進法」なんてありえないし、そんなのだったらみな笑うだろう。なのに女性の場合だけ、「良いこと」のようにされてしまうおかしさ。どれだけ女性がバカにされてるのかということに気づかないと。

 しっかし、こういう「正論」めいたことを言うと浮いてしまう世の中。今更感があるというか、みんな活躍なんかしたくないんだけどでもそんな本音はおいておいて、一億総活躍社会、という「ていに」しておいたほうが国的にいいよね、みたいな。やっぱり今はもうゆるい戦時中なんだろうかと思ってしまう。少なくとも戦争準備体制、ではある。これ以上乗せられないように、自分の正気は保っておかないと。









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# by anti-phallus | 2016-12-22 20:10 | フェミニズム | Comments(0)

ナンシー・フレイザー インタビュー「クリントンはエリート女性に利するネオリベラル・フェミニズムの象徴」

フレイザーのインタビューを訳しました!スペイン語の評論サイト『CTXT』上に、2016年4月20日公開されたものです。原文は↓

 前にこのブログでご紹介したもの(ココ)は、フェミニズムの意味について論じられたものでしたが、こちらはもっと長く、テーマも広汎にわたっています。現在が主に承認の時代にあるというフレイザーの従来からの主旨に加えて、戦後からの世界的変化について分かりやすく論じている冒頭のところは、承認と分配の理論についてご存じない方にも取っ付きやすいと思います。そしてこのインタビューの意義のひとつは、承認と分配に加えて、最近導入している「Representation 表象/代表」の概念について説明している点です。

 それから、アイデンティティ・ポリティクスと承認の運動の違いについて話していて、そのなかで同性婚やLGBTの政治の意味、軍隊における同性愛の処遇について触れているあたりも非常に刺激的。

 そしてタイトルにもなっているアメリカ大統領選についての論評は、もっと早くにご紹介できたら・・・と悔やまれますが、今読んでも価値は大きいものと思います。クリントンがトランプに負けた後、新聞等で「ヒラリー敗北を惜しむ日本の女性たち」というような記事を載せていましたが、ヒラリーは「女性の味方」「女性の代表」なのでしょうか?フレイザーは、クリントンが「全ての女性の味方」ではないことをはっきり指摘しています。どうして日本のマスコミはこれくらいのことを理解できないのでしょうか・・・。その上で、トランプが支持を集めていたことについてより詳しい分析が欲しかったですね。このフレイザーの指摘を踏まえると、先の大統領選は「エリート女性のためのネオリベラル・フェミニズム」と大衆の味方のふりをした右翼ナショナリズムとの対決だっということになるでしょうか。


 全て含めて、非常に面白いインタビューでした。フレイザーさんの了解を得てここに公表できることを嬉しく思います。とはいえ訳は相変わらず粗いのでお許し下さい。誤訳等ありましたらお知らせください。付け加えますと、アイデンティティ・ポリティクスと承認の政治の峻別は難しいところだと思います。フレイザーのフェミニズムやLGBTの運動への評価は議論を呼ぶところですが、私たちにより大きい世界観で運動を評価すべきことを思い出させてくれるという意味で理解されてほしいです。


■■■■■■■■■


ナンシー・フレイザー(ボルティモア、1947)は、1960年代後半以来、フェミニストの闘いと批判理論の最前線に存在している。彼女のいう「ネオリベラル・フェミニズム」への批判や承認と再分配の理論は、社会的不平等を理解するために大きな影響を与えている。CTXTは彼女と、マンハッタンのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学科にある彼女の研究室で会い、この時代におけるアイデンティティ・ポリティクスの優位性やバーニー・サンダース、ドナルド・トランプ、ヒラリー・クリントンの重要性、そしてなぜ彼女が最新作("Fortune of Feminism")において何が現代社会を病ませているかということと、治癒するための闘争はどこに注目すべきかということの両方を考察するために、第3の概念ーー「表象」を導入するよう求められていると感じているのかということについて話し合った。

─────15年前にあなたはヘーゲルから借りた用語、「承認」について、差異とアイデンティティの問いを理解するようになる時代のキーワードであるとしました。ヘーゲルはそれをどのように理解し、またなぜそれが顕著なのでしょうか

NF ヘーゲルにおいては本質的にふたつの行為者が相互に出会い、それぞれが主体です。ですが完全な主体になるためには、それぞれは他方から承認される必要があります。それぞれは他方を主体としてそれ自身の資格で認め、その資格は同時に平等であり、私と異なっています。もし双方の人々がそれを認められるなら、相互的な平等で対称的な承認の過程を経るでしょう。しかし、よく知られているように、主人と奴隷の弁証法において、彼らは相互に非常に非対称な、不平等な関係性、支配あるいは従属的な関係性で出会うのです。そして非互恵的な承認を得るでしょう。


─────なぜそれが2000年代初め以降流行したのでしょう?

NF それはわたしがポスト社会主義状況と呼んでいる時代と関係があります。配分的正義の問題が、圧倒的多数のマジョリティがもつ社会的闘争と対立の資源を組織化するヘゲモニーの能力を失った、戦後社会の歴史における一時期でした。この時点まで、戦後期において、この再分配のパラダイムは覇権的であり、ほとんどすべての社会的言説と対立はそれらの時代に組織化されました。このことは多くの事柄をより困難にしています。多くの主張が、分配の文法に合わないという理由で周縁へと格下げされました。基本的に、我々が後知恵でもって今わかることは、承認の政治の隆盛がネオリベラリズムの隆盛と同時に生じたということです。ネオリベラリズムは実質的に社会民主主義の想像力に置き換わり、平等主義的な配分的正義を攻撃し、すべての社会民主主義モデルは、完全に崩壊したとまではいかなくとも、少なくともすり切れ、その影響力を失い、政治的空間と言説を組織化する能力を失い、ある意味で様々な承認の主張と闘争に空間を開きました。


─────どのような例がありますか。

NF 1989年の共産主義とソビエト圏全体の崩壊のあと、私たちは何を得たでしょう?間もなく宗教対立や国家間対立が増えました。今私たちは承認の領域の中にいます。以前は、それらの主張は抑制され、除外されていました。そして分配の言説の共産主義のバージョンもありました。それは破壊されました。西洋ではそれは社会民主主義のヘゲモニーの喪失でした。ネオリベラリズムの隆盛とは別に、その一部分は1960年代から生まれた新しい社会運動に起きていることと関係があります。ニューレフトは、ラディカルな、反資本主義精神といっても良いものをもっており、再分配と承認の両方に、とてもラディカルな方法で焦点を当てました。ですが何十年か後、ニューレフトのある種のラディカルな反資本主義的精神が消え、残されたもの、新しい種類のフェミニズム、新しい種類の反レイシズム、LGBTの性の政治の運動などの運動の継承者たちは物事の政治経済面を無視しがちであり、私が地位や承認の観点で分析する問いに焦点を当てる傾向がありました。

─────あなたはそれらの問いをアイデンティティ・ポリティクスに結びつけました。どの程度までそれは否定的な意味合いがあるのですか。

NF 私が研究の中で試みたことの一部は、アイデンティティ・ポリティクスと承認の政治の性急な同一化を分離することでした。承認の政治は正義の合法的な局面であり、承認の不公正を乗り越えるための主張は重要であると言おうと努めてきました。それらは通俗的なマルクス主義がしたように、分配の主張へ単に還元されてはなりません。わたしは承認の主張の重要性や合法性、相対的自律性を守りたかったのです。ですが、それらを理解するためには一つの方法以外にもたくさんの方法があるということを示唆したかったのです。つまりそれは必ずしもアイデンティティ・ポリティクスの形式をとる必要はないと。じっさいしばしば、承認の主張はアイデンティティ・ポリティクスの形式をとります。これは私からみると不幸な事態です。それはあらゆる種類の問題を生み出し、承認のために闘うことを意味するもののアイデンティティ主義的でない思考を見いだせるならしばしばそのほうがよいのです。


─────それは何を意味しているのでしょうか?

NF フェミニズムのような運動が闘うべきものは、ある異なるアイデンティティや女性性の特質があり、それらは男性性と平等なのだから肯定的承認を必要としているというような考えのためではないのです。そうではなく私が言いたいのは、フェミニスト運動における承認の政治はジェンダーの事柄に結び付けられる地位の不平等の形式に対する闘争であるべきだということです。そしてそれは、これはそれがどうであれ「女性性」を再評価すべきかどうかということを開かれたままにしておきます。このようにわたしは承認の政治をアイデンティティ・ポリティクスから切り離そうと試みています。


─────振り返ると、もし誤った分析でしたら訂正して欲しいですが、アメリカ合衆国では結婚の平等や、黒人の大統領を冠するなど、可視性に関する事柄でも、承認に関して大きな進歩があったように思います。そちらにあまりに多くの強調がなされ、再分配の方にはあまりに少なかったのではないでしょうか?私たちは非常に不平等な時代に生きていて、より良い方向に行くようには思えません。

NF それは多い少ないの問題ではなく、均衡が存在しないという問題です。不均衡と一面性が存在しています。例えばゲイ・ムーブメントやLGBTの運動は、結婚の平等や軍隊へのアクセスに焦点を当てています。これらは今私が闘いを起こす場所のための第1の選択ではありません。ですが、その両方とも、面白いことに、分配的な要素をもっているのです。例えば軍は、大学の学費を得られる数少ないルートの一つであり、したがって経済的な利点がそこにはあるのです。また結婚する権利を得ることは、承認と同様に経済的社会的権利付与を得ます。


─────より望ましいと思うオルタナティブの道にはどのようなものがありえるでしょうか?

NF そうですね、わたしは基本的な社会的権利付与、結婚上の地位に関わらない個人の社会的権利を想像するための闘争が好ましいと思いますし、結婚しているかどうかを強調しない社会を選びたいと思います。「我々も結婚したい!」と叫ぶのではなく。医療や税やあらゆる種類の保障を、ただ人間であるだけで、この国に住んでいる市民、住民であるというだけで得たいとなぜ主張しないのでしょう?


─────部分的には再分配に関わる事柄でもあるのにそれらの運動は地位を強調します。それはなぜでしょう?

NF そうなのです。結婚の平等の事柄はそれ自身で、結婚している人としていない人その他の間に、不平等な地位の比較を導きます。わたしたちはそれを強化する必要はないのです。

─────2000年代初めに、あなたは「承認の問いは再分配の闘争を周辺化したり除外する」という「置き換え」の問題について書いていました。今やもうほとんど20年経ちました。この時代をどのように考えますか?

NF 少なくともアメリカでは社会的対立と主張形成の状況が、私が書いていた当時からはかなり異なっています。もっともドラマティックな実例は、現在の大統領の第一次選挙キャンペーンです。そこでは、一方に、「民主的社会主義者」であろうとするバーニー・サンダースがいて、分配に圧倒的に焦点化する明確な階級の線を根本的に押し出そうとしています。彼はまたあらゆる良質な進歩的な承認の闘争を支持していますが、実際に中心的に力を入れているのは、1%ほどの億万長者階級に対するこの問いです。


─────彼が第一に階級を強調することによって多くの支持を得られたことは驚きではありませんでしたか?
NF その通りです!信じられないほど驚きました。とても喜ばしいことですし、私はそれまで予見しませんでした。なにより、冷戦の終わりから大変遠くまで来たということを教えてくれました。社会主義という言葉を使うことができるという事実、その言葉が偏見をもたらしたり、赤狩りや狂気のようなものを触発しないということは興味深いことです。他方、ドナルド・トランプ側では、ある種の右翼の権威主義的国家主義的大衆主義があり、階級問題のようなものを呼び起こすかのようだが、排他的な、半ばレイシスト的で、確実に国家主義的な色合いに染めています。そしてこれら二つの姿は承認の政治において、その計画案と同様非常に激しく異なっているかのようですが、それらは双方とも分配の新しい特色を表現しています。私が90年代半ばにそれについて書いていた時、分配は周辺にあって、すべてのものは承認、承認、承認でした。もはやそういう状況ではないのです。承認は消えていませんし、消えるべきではありませんが、それは異なる種類のバランスの中にあるのです。

─────選挙について触れられましたが、民主党側の他の候補者、ヒラリー・クリントンについてはいかがですか。グロリア・スタイネムのような多くの第二波フェミニストは、彼女は女性でありフェミニストの候補者なのだから女性は彼女を支援すべきだと声高に主張しています。彼女はフェミニストの候補者なのでしょうか?

NF そうですね、私はそう思いません。ですが非常に興味深いことが進行しています。クリントンは長い間、献身的なフェミニストであり、彼女は女性と子どものための支援でキャリアを開始しました。彼女は「女性の権利は人権である」と国連で演説を行ったことでも有名ですし、妊娠中絶支持派であることは確かです。ですから、それらすべての事柄がこの種の承認の側に適合するなら、彼女はそちらに位置付けられるでしょうし、よりはっきりさせれば、サンダースよりもそちら側でしょう。ですが一方で、これはどんな種類のフェミニズムなのでしょう?クリントンはある種のネオリベラル・フェミニズムを体現しているのです。ガラスの天井を破り、中に入っていくことに焦点化するような。それは、すでに、政治や経済の序列を上昇するための文化や他の形式の資源を豊富に持っている、特権を持ち高学歴の女性たちを妨げる障壁を除去することを意味しています。これは、特権を持つ女性を主な受益者とするフェミニズムですが、彼女たちの上昇する能力は、ある意味で、すべてのケア・ワークを提供するこれもまた女性化された低収入で不安定でしばしば人種化されたサービス業の広大な蓄積に依存しているのです。そして同時に、ヒラリー・クリントンは彼女の夫同様に、金融の規制緩和によってウオール街に深く関わっており、従ってこれらすべての経済の新自由主義化に関与しているのです。したがって、サンダースが代表するような種類のフェミニズムは、すべての女性、貧しい女性、黒人女性、労働者階級の女性たちなどのためのフェミニズムになりうるより良い機会を持っているのです。そしてそれは私の考えるフェミニズムにも近いのです。


───── あなたは著書の中で、第3の概念を導入されました。そこでは承認と再分配については触れず、表象を提示しています。なぜそうする必要を感じたのでしょう?

NF 一方の経済的分配の問題とも他方での地位と承認の問題とも離れて、社会の根本的な局面として、政治的なもの自体に関わらなければならない他の問題群があるという考えをはっきりとした方法で主題化するためです。また私たちの時代においては、難民、亡命希望者、未登録者(訳注:非合法移民)の世界の中で誰が政治的地位を持つのかという問いすべては大変重要なものです。これは特に承認にも再分配にも関連せず、それらの交差物でもありえません。それは政治的な声を持つことについてでもあるのです。

───── それらの超越した境界線はどの程度までなのでしょう?

NF 政治的な声と誰がそれを持ち誰がもたないかということについて考えるとき、合衆国や他の既存の国民国家の限定的な政治的共同体についてのみではなく、より広く国際的で、トランスナショナルな、グローバルな文脈で考えるべきだと思います。国家が不平等に権力を与えられている世界の問題もあります。だから、あなたが例えばソマリアのような、失敗した国ではなくとも、巨大なグローバル権力の支配下にあったり、IMFなどのようなグローバルな金融機関の支配下にある非常に弱い国の市民であったなら、この巨大なレベルで、あなたの国内だけではなくそのような世界システムの中で取り組まなければならない大きな問題に政治的な声に関連して直面するのではないでしょうか。そしてそれらに到達する唯一の方法はこの表象の概念によってなのです。その考えは、正義の三つの局面、誤分配、誤承認、誤あるいは無表象または政治の問題の間違った枠組みの3つの異なる不正の形式について考えるということです。


─────そうしますとあなたはそれを社会運動や政治の観点でどのように分節化しますか。例えば私はヨーロッパについて考えていますが、政治的主体性をどのように分節化するかという問い、それはアイデンティティ・ポリティクスを確立し、あるいは取って代わることなしに起こり得るのか、という論争があります。あなたは表象やトランスナショナリティの概念を紹介しますが、グローバル化した世界の中で、アイデンティティを強調することなく、例えば表象を強調することで共同体の権力を築けるのでしょうか?それが起こり得ることをどのように提示しますか?

NF 例えば、EUの全体構造や問題は部分的には表象に関する問題だと思われます。ヨーロッパ中央銀行とグローバルな金融機関は現在、いわゆるトロイカの関係で、財政緊縮の遂行によって選挙を無効化できるような限りない権力を持っているという事実によってだけでも。彼らはギリシア人に、「われわれはあなたが誰に投票しようと気にしない。あなた方はそのような政策は実行できない」と言えるのです。ですから、EUがグローバルな金融秩序と交差するとき、その構造の中には、政治的権力と政治的声はどこにあるのかという基本的な問いが横たわっているのです。それは承認と分配の問題以上のものであり、さらにいえばそれらに切り替わって投射されるのです。より富裕な北の国々がPIGSと呼ばれる南の国々を怠惰で税金逃れだと見下しているヨーロッパでは、ある種の承認の政治が存在しているのですから。それはあまりになじみのある承認の物語です。しかしそれが本当に怖いのは、それがこの構造的な問題と交差するところで、そしてもちろん、それが民主的な声に対して抑制を強制するようなEU自体の創出に関係があるということです。















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# by anti-phallus | 2016-11-29 20:00 | フェミニズム | Comments(0)

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f0210120_20352836.jpg トランプ当選でますます混迷している世界だが、最近読んだ本の感想。

 まず青木理『抵抗の拠点から』(講談社)。「朝日新聞「慰安婦報道」の核心」というサブタイトル通り、2014年の朝日新聞バッシングを探った本。吉田清治氏の証言が誤りだったと朝日が認め、それを訂正する記事を8月に掲載したことに端を発した問題。この本は、朝日の関係者にインタビューしていて、それが面白い。

 吉田証言とは、「慰安婦」問題が90年代前半に明るみに出たころに散見されていたが、右派のバッシングがいうほどに重要な位置をもっていたわけではない。朝日の報道が吉田証言がなければ成立しなかったかというと全くそんなことはない。だから、そもそも朝日がなぜ今それについてわざわざ訂正記事を出さなければならなかったか、記事を読んだ時わたしは理解に苦しんだ。そんなことをすれば「慰安婦」問題を否定したい人々は喜ぶだけだ。じっさい、ものすごい朝日バッシングが巻き起こり、当時本屋に行くと朝日新聞や「慰安婦」被害者をおとしめるタイトルを冠した特集を掲載した雑誌が並んでいて、気分が悪くなったことを覚えている。

 そういう疑問を持っていたこともあり、インタビューから朝日の内情を伺えて有益だった。印象に残るのは、この訂正報道のあった当時、朝日の編集幹部だった市川記者の発言。

「僕自身、今回は大きく3つ、時代を読み誤ったと思っています。一つは政治状況が様変わりしていた。」(199ページ)

 この発言に端的なように、朝日の人々は楽観視してしまっていたのではないだろうか。吉田証言を訂正しなければと朝日が考えた背景には、右派の強烈なバッシングがそもそもあっただろう。そしてバッシングの大きなネタのひとつに、吉田証言があった。右派は吉田証言を否定することで「慰安婦」問題全体をなかったことにしたい。朝日はそのロジックに乗せられてしまったのだ。本書によれば、朝日には、吉田証言の誤りを認めた上で、「慰安婦」問題について立て直して取り組みたいという意図があったという。じっさい当時の紙面もそういう趣旨で書かれていた。だが、そもそもそういうスタンスを取ること自体、吉田証言が「慰安婦」問題の中で重要な位置を持っていたと認めることになってしまうが、それは実態と異なるし、その時点で右派のロジックに乗っていることになるのだ。朝日はこのポリティクスに気づいていなかった。そしてものすごい潮流に飲み込まれた。
 
 時代を読み誤っているのは朝日だけではないと思う。例えばマスメディアに関わる人々の多くが同じだろう。今回のアメリカ大統領選で報道の予測とは違ってトランプが勝ったのも、その一つの例ではないだろうか。マスメディアの作り手側の人々だけではなく、メディアによく接する層の人々とは違うところで、マスメディア、特に活字メディアから遠いとことにいる人々の間で、どんどんマグマが溜まっているのだろう。これまでも階層による断絶はあったわけだけど、社会の制度が固定化している時代には、ある程度マグマを収める機能が働いていた。今は制度が融解し、マグマを固める機能が弱体化している。


 続いて読んだのがアメリカのジャーナリストのもので、メアリー・メイプス『大統領の疑惑』。映画を先に見て、ブッシュ前大統領の軍歴詐欺を扱ったもので面白かったので読んだ。びっくりしたのは、このひとはアブグレイブの米軍によるイラク人捕虜への拷問をスッパ抜いた人でもあったということ。映画を観たときには知らなかった。メイプスはブッシュがベトナム戦争時代に、ベトナムに送られることを避けるためにコネを使ってテキサスの州兵となり、さらに軍役を怠っていたということを突き止めCBSの番組で報道するのだが、その過程で陰謀か、罠か、出所の明らかでない文書を証拠のひとつとして使うことになり、放映後その真偽を疑われ、最終的に解雇される。その経緯を書いた手記である。

 2冊読んで、この二つの問題の類似性に驚いた。「慰安婦」問題とアメリカ大統領軍歴問題。一見異なる文脈にあるのだが、詳細を知ると、どちらも重要ではない小さな点を問われ、それでもって問題の全体がなかったことにされてしまう。論理的に考えればバッシングが間違っていることが分かるはずなのに、論理とは別のレベルで政治が動いていく。その中で果たされたインターネット言説の大きさ。また、CBS上層部は現場のジャーナリストを切り捨てるが、その判断を支えたのは政治とカネ。朝日新聞も同じだろう。
 そしてそもそものトピックが、軍隊に関わるものであるということ。「慰安婦」問題はいわずもがな軍人の規律やモラル、倫理性に関わるものだ。ブッシュの方も、アメリカは日本より軍隊に対する社会的な信頼が高い国で、そのため政治家の軍歴も重視される。私も一瞬、ブッシュが若い頃に真面目に軍役を果たしていたかどうかなんてどうでもいいんじゃ・・・と思いそうになったが、そうではないのだろう。とくに徴兵制の布かれていた当時、後に大統領になった若者が、どういう姿勢で軍に、戦争に臨んだかということは、有権者の政治家に対する信頼を揺るがす意味をもっているのだ。メイプの番組が報道された時はブッシュの再選が目指されていた時期で、そういうときに軍歴に詐称や疑惑があったということは選挙結果に大きく影響する。

 つまり、「慰安婦」問題もブッシュの軍歴問題も、軍に関わる人々(男性)の倫理性が問われる問題なのだ。

 この2国で起きている問題の類似性は、現在、国家という権威と権力をめぐって軍を掛け金とする社会的な闘争が起きているということ、この二つの事例においては国家の威信を(無批判に)守ろうとする側が勝ったということを意味しているのではないだろうか。結果を見るとどちらも非常に残念な事例なのだが、現在の時代を、社会を理解する上で非常に役に立った。























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# by anti-phallus | 2016-11-11 20:45 | ブックレビュー | Comments(0)

 辺野古 圧殺の海 第2章

 タイトルにある『圧殺の海』は藤本幸久・影山あさ子共同監督の辺野古のドキュメンタリー映画です。終わる前になんとか観に行けたので。ひとこと。
 藤本さんは素材をシンプルに、現場を「そのままに」映しだそうとする方なので、敷居を高く感じる向きもあるようだけど、これは時間を作り出して観に行って良かったと思えました。素材そのまま、と見せながらちゃんと編集も練られていて、辺野古をめぐるこの数年間の展開が頭に入る構成になっています。

 そしておそらくはごくわずかな場面に過ぎない運動の記録から、参加する人々の思いが伝わってくるようです。
 私も含め、沖縄に関しては多くのひとが「後ろめたい」思いをしていると思います。何もできない、していないと。軍事基地のために美しい海をこわすなんて、両手を上げて賛成する人は少ない。圧倒的な不正義。だが「国益」という美名をかぶせると正当化されてしまう。この明らかな欺瞞に後ろめたさを感じるのは当然。ですがマスメディアが全く報道せず、現場との距離が広がると、後ろめたさはいつしか開き直りに変わって、「仕方ない」という現状追認に変わってしまう。これが構造的暴力を承認させられていく仕組みでしょう。

 この悪循環を断ち切れればいいのですが・・・。自分を問われる思いがします。同時に、映画のなかでもあったし、以前辺野古に行った時にも聞いたのですが、「ここに来れないひとたちにはそこでやれることをやってほしい。辺野古にいる自分たちにはできないことがある」という言葉。虚を衝かれる気がしました。
 「現場主義」って強力に私たちを縛っているから、運動の「現場」なる空間に長くいる人がえらい、という序列も発生しやすい。そういうものを乗り越えた言葉だと思います。

 映画から見える運動の中でのユーモアや連帯、そういう運動の文化に触れられることも貴重。ここに収められていないたいへんなことがたくさんあるのだろうけど、そういう「語られていないこと」に思いをめぐらされることも含めて多くの人に観て欲しい。
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# by anti-phallus | 2016-08-10 15:31 | シネマレビュー | Comments(0)

選挙結果

 二つの選挙を経て、しみじみと時代を感じている。負けたのは、日本の政治的良心なのだろうか。

 しかし同時に、この結果が意外ではなく、当然だと感じる自分の心もある。日本は今うまくいっていない。日本社会の悪い面が前面に出ている。
 普段相手にしている若い人々から、今の社会の意識が伝わってくる。とくに男性は、「国家」の魅力に惹きつけられている。全員が総動員されて、一つの目的に向かって、敵に向かって戦う世界に憧れている者が多い。その思想内容がいかに単純で軽いものであっても。女性も、一つの枠に入れるように必死になり、遠くを見る余裕が失われている。
 若い人々のこういう意識は、社会の閉塞と自分自身の生き難さと不安を根拠にしているが、運動のイニシアティブを持っている60歳代くらいの活動家層はあまりわかっていないのではないだろうか。世の中がこれだけ不安定化していれば運動など関わる力は出てこないし、支配的な価値観に対抗できない。私の世代ですら、というかこそ、仕事や子育て、介護でいっぱいいっぱいで、政治や社会を考える余裕など残されていない。

 世の中は短い時間にあっという間に変わるんだなあと不思議である。私の学生時代にはまだまだ社会は余裕があった。不景気ではあったが運動はまだ元気で、日本を変える可能性もまだ現実的に感じられていた。それがどんどんきつくなっていった。労働環境は悪化し、社会的連帯のようなものは失われていった。
 とはいえ、日本社会の全員が改憲して「戦争のできる国」にしたがっているとか、拝金主義に染まっているわけではない。多くの人は平和を心から望んでいるし、憲法も変える必要を強く感じてはいない。だがそのような声が政治勢力として結実する仕組みが失われている。

 戦後の左翼運動が政治的に、また思想的にうまく継承されなかった損失は大きい。最近注目される左派的な運動が見事に「左翼」的なものを否定して差異化しているのは悲しい光景だ。
 それからマスコミが政治的圧力によって空洞化されてしまったこと。朝日新聞の「慰安婦」報道バッシングが総仕上げだったろう。今では学生に「新聞を読みましょう」と言いたくても言えない。インターネット上でましな情報を探す方が有益だからである。

 フェミニズムへの市民の共感が、都知事選の小池氏当選に利用されてしまったとすれば、フレイザーの悪夢の日本版である。鳥越氏は戦後左翼を象徴するような存在でもあったから、構図としては分かりやすい。
 日本はどんどん戦前のファシズムに似た状況になってきているが、そのまま昔を繰り返すことはないだろう。新自由主義という新しい意匠を伴っている。
 どちらにしても、しばらく平等や自由を愛する者にとっては苦しい状況が続く。暗闇の中、できることをやるしかないだろう。
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# by anti-phallus | 2016-08-01 16:13 | つれづれ | Comments(0)

学会発表の報告

 先週末、日本女性学会で発表してきました。ですが少々悔いが残る発表でした〜。
 というのは発表の1週間くらい前に風邪で高熱を出していて、下がったものの微熱は続き、大不調。休めない仕事のみやって、あとは横になっている状態でした。なので学会発表の準備も十分できず、パワポの原稿だけ作ったけど、リハーサルなどはできず。
 しかも内容がフェミニズムに批判的な視点を含んでいて、そのためストレスが増し・・・。そのストレスで風邪を引いたのか?という気すらします。。発表が終わったら風邪もすぐよくなってきました。。。
 まあ熱で頭がおかしくなって暴言を吐く、とかいうことはなかったのでよかったかもしれません。時間オーバーしてしまい、質疑応答が十分できなかったのはわたしのせいです、飯野さん・堀江さん、参加していただいた皆さん、本当にごめんなさい。しかも配布資料が小さくて見にくいと不評を買ったこともあり、ここに再掲させていただきます。

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変容か?正常化か? クィア・スタディーズの視点から「婚姻/家族」の規範性を問う

ネオリベラル・ジェンダー秩序の試論
日本女性学会大会20160619
菊地夏野

0 本報告の目的
「新自由主義とジェンダー・セクシュアリティ」を考える基本的見取り図(理論的アプローチ)作成の試み
 
◯問題意識
日本社会における新自由主義は女性に対して−−−ジェンダー・セクシュアリティの面で−−−どのような意味をもっているのか
→最新のジェンダー秩序の輪郭 ジェンダー平等は達成されたのか?
フェミニズムとネオリベラリズムの関係

1 新自由主義とは
80年代以降福祉国家(資本と労働の矛盾の調整)の縮減→新自由主義の登場
 
民営化・資本主義の論理の拡大 競争・格差の増大労働のフレキシビリティ
公共性の変質 福祉の契約主義 ワークフェア政策
新保守主義の登場 反動ではなく補完
社会的連帯の喪失

デヴィッド・ハーヴェイ(2005=2007)「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。」(10)
「要するに新自由主義は言説様式として支配的なものとなったのである。それは、われわれの多くが世界を解釈し生活し理解する常識に一体化してしまうほど、思考様式に深く浸透している。」(11)

2 新自由主義をジェンダーの視点から考える
労働の女性化 ネグリ/ハート(2009=2012)『コモンウェルス』
①ジェンダー平等は未達成にも関わらず、労働市場における女性の割合が急速拡大
②女性労働の従来からの特性(不安定性、情動性)が全ての労働に浸透
社会的再生産領域の民営化 受け手としても働き手としても女性が大きく関与
社会保障・社会福祉の削減・民営化により女性の負担が増大 Bezanson/Luxton“Social Reproduction”
「女性の貧困」

フレイザー(2009=2011)
第二派フェミニズムによって始まった文化的変化は、それ自体としては有益なものだとしても、公正な社会のフェミニスト版と真っ向から対立する、資本主義社会の構造的変化を正当化するのに一役買った可能性を曖昧化してしまう

「後でわかったように、そのプロジェクトは大きくは死産に終わり、当時はよく理解されていなかったより深い歴史的力の犠牲となった。振り返ってみると、第二波フェミニズムの登場は、資本主義の性格の歴史的変化、すなわち、すでに見てきたような、国家組織型からネオリベラリズムへの変化とときを同じくしていた」(38)

ネオリベラリズムが再意味化したフェミニズムの4つの理想
①文化批判を絶対化し、アイデンティティ・ポリティクスの一変種へ変化
②第2波フェミニズムの家族賃金批判は、フレキシブルな資本主義に、ロマンスのかなりの部分を提供している
③国家権力を、市民のエンパワーメントと社会的公正を実現する機関として作りかえようという当初の展望は、今や、市場化と国家の削減のために使われている
④公正の範囲を国民国家の外に広げようとした試みは、資本主義の新形態の行政的需要とぴったりと符合するものとなった

「国家組織型資本主義の時代には疑いもなく解放的であった、経済主義・男性中心主義・国家管理主義・ウェストファリアリズムへの批判は、今や、曖昧さに満ちあふれ、資本主義の新形態の正当化需要に役立ちやすいものとなっている」(45)

3 日本における論点
前提:江原(1988)「女性身体は、近代におけるもっとも中心的なイデオロギーの場、闘争の場となった。すなわち女性は、自らすすんで、私生活の領域に追いやられた次世代の産出と養育の役割を担わねばならない、しかもそれゆえに公的領域における不利益を被ることを正当として承認せねばならない位置におかれたのである。この女性の位置は、自由という語義と平等という語義に対する瞞着を内包するものであった。」113
内藤(2015)「目的ではなく手段としての男女共同参画」
女性の非正規化と活用政策、少子化対策
女性間の競争・序列化と、賃労働と再生産の圧力の同時化
→反動として/矛盾的政策ではなく、新自由主義に本質的なものとして

女性の貧困化
ハーヴェイ「先進資本主義国における社会的保護の喪失は、とくに下層階級の女性に不利益をもたらした」(235-236)
下層女性への搾取と中間層女性への抑圧の違いと重なり
トリクル・ダウン理論の問題
「エリート女性の成功は一般女性/女性全体の底上げを導く」というイメージ
職務給や同一価値労働同一賃金を要求する女性運動への批判 永田(2010) 
新自由主義的「国家主義」の存在

日本におけるナショナリズムについて
渡辺治
日本の新自由主義が福祉国家を経ずに開発主義を再編して登場した結果、社会統合の破綻が他の先進国と比較しても深く顕在化したため、新保守主義が急伸長した
日本のナショナリズムは、グローバル化や新自由主義への反発としてではなく、新自由主義を支持する政治家や上層市民層を基盤としている
女性労働の新自由主義化と国家主義が結びついて展開されている

海妻(2010)「しかしこれまでのフェミニズムの議論は、このような『フェミニズムの担い手以外』の女性たちについて、必ずしも十分に検討してはこなかったのではないだろうか」100

フェミニズムの位置
「特集・80年代フェミニズムを総括する」『女性学年報』第12号1991年 上野千鶴子、江原由美子、大越愛子、織田元子:「マルフェミ」と「文化派」、「上部構造対下部構造」
大越(2012)「フェミニズムの脱運動化は、今省みれば、現実に起こる問題の進行から目をそらさせる、ネオ・リベラリズムの文化戦略に飲み込まれていった証とも言える」43
フーコー「社会本位政策が解消しなければならないものは、(中略)社会が引き起こす可能性のある反競争的メカニズム」198 →新自由主義的統治にとって社会的連帯を構想するフェミニズムは消去しなければならないもの

ポストフェミニズム論
Angela Mcrobbie,“The aftermath of feminism”SAGE 2009
・「今より早い70-80年代の時期にフェミニストの活動や運動が勝ち取ったかのように見える成果に対するバックラッシュとは異なる、ある新しい種類の反フェミニスト的感情によって特徴づけられる状況という意味でポストフェミニズムと呼ばれうる社会的文化的風景」
ネオリベラリズム下でジェンダー・セクシュアリティは以前と異なる新しい秩序を形成している

ポストフェミニズムの存在
ポストフェミニズムは新自由主義のジェンダー・イデオロギー?
現象 ルミネCM HKT48歌詞「ディアナ・アグロン」 運動文化のジェンダー戦略利用
「古い」「遅れている」という批判の仕方 フレイザーのフェミニズム文化主義との関連
「女子力」現象 菊地(2016)
新自由主義:市場=競争≠自然な競争(福祉国家)
フーコー「すなわち、純粋競争は原始的所与ではないということです。それは長い努力の成果でしかありえないし、実を言えば、純粋競争に到達することは決してないでしょう」148←「女子力を磨くのはいいことだ」という意識
文化領域の中枢で保守的なジェンダー秩序の更新されたバージョンが確立しつつあるのではないか=ネオリベラル・ジェンダー秩序

行政のポストフェミニズム化

新自由主義における国家の役割
⇨自治体の動き:橋下、石原らの首長の存在
公共空間におけるネーミングライツの商品化、公共空間の有料化
志摩市の碧志摩メグ公認キャラ問題(”萌えキャラ”)
愛知県豊橋市JK広報室、福井県鯖江市JK課
「国家フェミニズム」の議論に照らして考えると、行政や官僚に女性が参入することをフェミニズムと把握することの問題の根深さ

結婚とネオリベラリズム
前提 結婚制度はヘテロセクシズムの最も基本的な紐帯 近代社会(経済/政治/文化)を構成する基本制度
婚活の流行、制度化 経済活動や生存戦略としての結婚のメリットの増大
 
同性婚・同性パートナーシップ
LGBTの可視化とフェミニズムの不可視化
兼子(2015)アメリカ同性婚運動と新自由主義の論理の親和性


加藤(2015)「生産性向上のためであるならば、現代の企業にとって異性愛(中心)主義は必要不可欠というわけではないことを示唆している」「仮にこの『非異性愛的』社会運動が定着して言語的に分節化したとしても、直ちに資本主義を変革できるかどうかは疑問」(61)としてフレイザーを支持
企業のLGBTフレンドリー施策と経済構造の異性愛主義との距離

「非異性愛的社会運動」内の分岐に注目する必要=クィア・スタディーズの中心的論点
「異性愛的セクシュアリティの脱構築」という問題は、単なるマイノリティへの「寛容」(ウェンディ・ブラウン)を意味するのではなく、ジェンダー不平等な社会制度およびそれにもとづいた経済構造の変革を意味しているということ 
その意味で、LGBT運動の目標が「同性婚」実現であるかのように認知されがちな傾向は、運動の意義を矮小化する危険

最後に
女性と貧困ネット「『女性の人生は、ひとりでは安心できないのがあたりまえ』にNOという女性たちのネットワーク」
「女性の貧困」は単なる収入の低さや労働環境の悪さのみを意味するものではない:従来の格差・貧困論との違い 社会システム全体の変革を求めるもの
フレイザーの論は日本のフェミニズムの現状に対する説明としても可能
→フェミニズムがなぜネオリベラリズムに簒奪されたのかという問い
資本主義の展開による「女性の地位の向上」「社会進出」(労働力および購買力としての女性)とフェミニズムの進展が混同されていないか exバブル期のフェミニズム
「女性が上昇すること」についての認識の違い フェミニズムの権力観
スピヴァクのサバルタン論


文献
Nancy Fraser, 'Feminism, Capitalism and the Cunning of History', New Left Review 2:56 March/April 2009=関口すみ子訳「フェミニズム、資本主義、歴史の狡猾さ」『法学志林』第109巻第1号、2011年
足立真理子「2000年代以降の新自由主義・新保守主義とジェンダー主流化」『ジェンダー研究』2015
江原由美子『フェミニズムと権力作用』勁草書房1988
アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート(2009=2012)『コモンウェルス』NHK出版
永田瞬「労働市場改革と均等待遇」福岡県立大学人間社会学部紀要2010. vol. 19 No.1
海妻径子「批判知としてのフェミニズムの課題」『唯物論研究年誌』 第15号(2010), pp.95-104大月書店
内藤和美「あらためて『男女共同参画社会形成』、『女性の活躍推進』を問う」『立教大学ジェンダーフォーラム年報』第17号2015
大越愛子「ジェンダーの視点からの反原発運動」近畿大学国際人文科学研究所『述5 反原発問題』論創社2012
加藤泰史「フレイザーとバトラーの『再分配/承認』論争」越智博美・河野真太郎編『ジェンダーにおける「承認」と「再分配」』彩流社2015
兼子歩「アメリカ同性婚運動と新自由主義・家族・人権」『明治大学教養論集』506号2015
David Harvey, "Neoliberalism"2005 Oxford University Press.(渡辺治監訳『新自由主義』作品社2007)
菊地夏野「「女子力」とポストフェミニズム : 大学生の「女子力」使用実態アンケート調査から」『人間文化研究』25号 2016年
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# by anti-phallus | 2016-06-23 14:39 | 仕事 | Comments(0)

アメリカ大統領選についてフェミニストの立場から

アメリカの大統領選について、マスコミはもっぱらトランプ氏についてばかり報じていますが、フェミニズムの視点から見た論評を紹介します。
政治学者のジラー・アイゼンスタインの、the Feminist Wireというサイトへの寄稿です。(元記事はこちら
ヒラリーという女性の権利を主張する政治家の存在にどう対峙すべきか悩ましいフェミニズムの状況が見えてきます。
ちなみにフレイザーも、オバマとヒラリーの対決について、興味深い論評をしています(『正義の秤』第7章など)。
学歴の高いイデオロギー的なフェミニストや若者がオバマを支持したのに対して、学歴や階層の低い地方の女性たちがヒラリーを支持したと。そしてこの分裂を超えてフェミニストの連合を再生させるのが課題だと。

アイゼンスタインにしてもフレイザーにしてもこれだけしっかりした責任あるフェミニストがいるということに感謝の念をもちます。日本でもフェミニズムの視点からこういった言説を出していかないと。

文中に出てくる中絶の問題についてはこちらの記事が参考になります。
中絶の権利がどんどん死文化しつつある状況がわかりますが、日本では刑法堕胎罪にしても母体保護法にしてもなかなか議論にもならないのに中絶天国と言われるような状態。女性の権利を守るというのは本当に難しい。
抄訳ですし、著者の了解は取っていないことをご了承ください。
(特に最後のビヨンセのレモンのところ、訳しにくかったのでカットしてますが、うまく訳せる方いますか?)


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「わたしたち」はthe WOMAN cardで遊ぶ用意ができた。でも反レイシスムのフェミニストはどうすべきだろうか?

わたしはこれを、大統領選に女性候補者がいるという事実をよろこんでいて、だがこの特定の候補者のフェミニズムの観念が好きではない多くの女性たちのために書く。わたしはまた、バーニーのキャンペーンを含むアクティビストのグループの多くを支持する者として、だがよりラディカルに反レイシストでフェミニストでありたいと欲する者としても書いている。わたしはまた、選挙という舞台が求めるべき民主主義をもたらすとは思えず、だがこの夢ーーー十全に人道的で、自由で、非帝国主義的で、反レイシストでフェミニスト的で、ジェンダーに基づかない世界ーーーのためにできる限りのことをしなければならないと考える人々のためにも書いている。

これは地獄から来た選挙だ!あからさまに人種差別主義で、ヘテロセクシストで、金持ちの頑固者が、合衆国で初めての女性の大統領候補者に狙い撃ちしている。そしてこの初の女性候補者は、大いに大衆的な、最初の白人男性、民主主義的な社会主義者に挑戦を受けている。

ヒラリー・クリントンはエリートでフェミニストの候補者とみられている。そしてバーニー・サンダースは進歩的で平等主義的な候補者とみられているが、彼は人種や性やジェンダーの平等については十分に発言していない。

これら候補者の誰も、十分に反レイシスト・反帝国主義的なフェミニストであるとはいえない。しかし、われわれはどちらか、あるいはこのぬかるみのなかにいることを選ぶよういわれている。ヒラリーは女性の「権利」は彼女のメッセージの核心だと考えているが、「権利」の言説は部分的で、帝国主義的で人種化されたままである。

女性の「権利」は十分ではない。女性は例えば中絶のような何かへの権利を持ちうるが、それを獲得するためのアクセスをもっていない。人は中絶への法的権利を持ちうるが、医学校がもう中絶の方法を教えていないなら、彼女はアクセスできないだろう。もしTRAP法が続けば、中絶のできる病院は中絶の権利を無意味なものと考えて閉鎖し続けるだろう。

ヒラリーの女性の権利のアジェンダは女性を男性と同等とみなしている。だがこれは、2016年においては問題がある。彼女はここでどの女性のことを考えているのか?我々すべてのことを考えているだろうか?そして私たちはどのような男性と同等であるべきなのだろうか?

わたしたちはいつもヒラリーがミソジニストに笑い者にされないようにするだろうが、それはわたしたちの多くにとってあまりに特権化されたフェミニズムを支持することとは異なる。バーニーは経済の不平等に完全に焦点化しており、残りはあとからついてくるだろうと考えている。だがはっきりとした反レイシストでフェミニスト的なアジェンダが自然と進展するだろうと信じるのは難しい。

反レイシストで反軍事主義者のフェミニストは、帝国主義やレイシズム、女性嫌悪、そしてヘテロセクシズムの深く結びついたシステムについてもっと聞く必要がある。ヒラリー、わたしたちは単にガラスの天井を割るだけではなく、すべての女性を地下室から解放し、そして地下室を壊す政策を求めている。そしてバーニー、わたしたちは女性、とくに有色女性が貧困層の中でも最下層であることの承認と救済を求めている。

反レイシストで反帝国主義的フェミニストは、人種とジェンダーの抑圧のつながりと重なりを考察しなければならない。白人の特権は、白人女性の生を強調し、他のすべての肌の色の女性たちを抹消する。ヒラリーとバーニーは白人とこの白人支配に苦しんでいるそれ以外の人々のあいだの特徴と差異を明確にし、救済策を探る必要がある。

そのような反レイシストのフェミニズムは、より包括的でラディカルな民主的実践を進める。思考を明確にしていくとより一層、それは包括的になっていく。普遍的になると包括的になるというよりは。誰も明確化から除外はされない。だから誰も排除されない。もし政策が妊娠中の女性に中絶によって妊娠を終わらせることを許すなら、誰もこの選択から排除されない。誰もそれを選ぶ必要はないが、その選択はまだ残っている。そして今日男性は選択肢を必要としないが、選択肢を持つ女性は彼を排除しない。その逆は真実ではない。

反動的な、リベラルな、あるいは単に沈黙させられたフェミニズムを超えて考えよう。

ネオリベラルフェミニズムと超軍事主義的フェミニズムを超えて考えよう。選択の法的支えに焦点化することで権力と特権の現存する構造を特権化する「権利」で定義されるフェミニズムを超えて。

そしてわたしたちは「フェミニスト」の選挙言説の討議とディスカッションをさらに開きたい。トランプのミソジニーでもヒラリーの(暗黙の)白人主義的ネオリベラルフェミニズムでも、バーニーの語られないフェミニズムも十分ではない。私たちは他の方法、第三の方法、いわゆる、私たちの望んでいる新しい人種とジェンダーの正義について考える方法が欲しい。

反レイシストで反帝国主義のフェミニストとしてわたしたちは、次のことに責任を持っている。賃金の平等、リプロダクティブ・ライツとその権利を行使できるアクセス、15ドルの最低賃金、有給の家族休暇、LGBTQの公正、すべての人のヘルスケア、すべての人が受けられる大学教育、気候変化との闘い、公平な移民と難民政策、人種の正義、警官の暴力と大量監禁の終了、先住民の権利、そしてどんな犠牲を払っても戦争を避けること。

わたしたちはビヨンセのフレーズに感謝する。
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# by anti-phallus | 2016-05-31 17:24 | フェミニズム | Comments(0)

安世鴻さん 裁判勝訴の報告会

この度下記のような報告会を催します。
どうぞご参加いただければ幸いです。

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ニコン「慰安婦」写真展なぜ中止に?
安世鴻(あんせほん)さん 裁判勝訴の報告会

2016年6月4日(土)午後1時30分〜4時

名古屋YWCA 4階405号室
http://www.nagoya-ywca.or.jp/mapfiles/ywcamap.html

参加費 500円

安世鴻さんは中国や東南アジアに置き去りにされた「慰安婦」被害者のハルモニ
を訪ねて写真を撮り続けていらっしゃいます。
その写真展をめぐってニコンが一方的に会場使用の中止を求めてきました。
安さんは東京地裁に訴え、仮処分が認められ、2012年6月に新宿ニコンサロンで
7900人の入場者を迎え開催できました。ところが会場でニコンから異様な警備の妨害を
受けたため、不当な中止とともに同地裁に提訴し、国内外に反響を巻き起こしました。
その後2015年12月に勝訴が確定しました。
ニコンの行動は「慰安婦」表現活動に対する脅し、圧力だったのではないでしょうか。
また、昨年末の日韓合意が報じられて以来、「慰安婦」問題はますます
混沌としています。

安さんからお話を伺い、ご一緒に考えてみませんか。


主催 旧日本軍による性的被害女性を支える会


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# by anti-phallus | 2016-05-13 16:14 | イベントの案内 | Comments(0)

最近読んだ小説のことなど

 鬱々として追いまくられる(こういう書き方するとよほど暗いひとと思われるからやめなさいと言われたので削除)日々の中、なんとか生き延びていけているのはひとつには小説のおかげ。小説というものがあって、またそれを読める環境があってほんとによかった。

 わたしは漫画や音楽も好き、映画も好きですがそれらは楽しめる条件みたいなものがあって、ある時期には触れられなくなったりする。だけど小説はいつでも読んできた、と思う。比較的安くて、持ち運びしやすくて、体にも負担が少なくて、時間も自由にできて場所も選ばず・・・という様々な条件。
 というわけで最近読んでいたのはひとつには津村記久子という作家。このひと、結構前からよく知られている人みたいで、たまたま読むことになったのだけど面白くて大体全部読んだかな。でも当たり外れも大きい感じで、個性的なひとです。面白いのは「お仕事小説」とかいわれているらしいが、OLやサラリーマンが主人公の、仕事や日々のあれこれをだらだらっと綴った系統でしょう。瑣末なことが神経症的なまでに語られるのだけど、これって私たちの日常そのものだな、となんで今までこういう小説ってなかったんだろうと、確かに新しいジャンルの発見的な喜びがある。

 ただ、1点だけこの人の作風に違和感を感じたのは、たまに出てくる「救いたい欲求」みたいなもの。上記のお仕事系にはあまり出ていないのだけど、リーマンやOLではない若い世代を主人公にした系統のものにあります。毎日いろいろある中で、主人公が友人や誰かの問題を解決する、ということで終わる作品が何個かあるのだけど、少々それには乗れなかった。女が女を救ったり男が男を救ったりもあるのだけど、範型にあるのは男が女を救うヘテロセクシュアルなロマンであるようにも読めるのも悲しい。女性作家がヘテロセクシュアル・ロマンを描くということの意味を考える。

 救いたい願望は誰にでもある。救うというのは確かに絶対的な良いことではある。でも長年生きてくると、その願望の裏には権力への志向もあるよな、とも思わざるをえない。わたしが小説で読みたいのは、その両面を含めた世界なんだろうなと思う。
 まあそういうことを思わせてくれたことも含めてこのひとは嫌いじゃないし、新作が出たら読みたくなると思う。

 で、ツムラはだいたい読み尽くしたので本棚で眠っていたレイモンド・カーヴァーを読む。村上春樹が翻訳、編集したという。春樹にはわたしは微妙な感情を持っているので、まゆつば物で読み始めたけど、なかほどでギブアップ。やっぱりカーヴァーにしても春樹にしても良い作家だよね、と。男性の悲しみ、女性のむなしさをあるぎりぎりのところまで見つめているような。

 そして最近考えたのは、どの小説にしても、それが書かれた時代、場所にどっぷり埋め込まれているな、ということ。ツムラなどは典型だけど、今の日本じゃないとこれはありえない。カーヴァーも、この時代の他のアメリカの作家にも共通する、軽くてソリッドな世界の中で立ち尽くし、たまに立てなくなる瞬間のことを書き続けているようなところを感じる。それでもこのひとびとは立とうとし続けるし、誰かが誰かを救うことはできないのだけど、ほんの些細な小さいことを提供して、それで肩を抱き合っている。知らないもの同士が。そんな世界の悲しさと素敵さが描かれている。
 アメリカは国家としては強大で、ある場面では暴力的になるけれど、こういう作家がいるということはなんともいえない。
 小説が書かれるというのはたいていはごく個人的な欲求から始まるのだろうけど、それが最終的には作家を取り巻いているものの表現に終わっていくというのは不思議な感じ。私たちってどこまで埋め込まれてしまっているのか。。埋め込まれたくないという思いで人は書き出すのだろうに。
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# by anti-phallus | 2016-04-30 13:47 | つれづれ | Comments(0)

「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える

 短文を書かせていただいた本が完成しました。前田さんの編集ですが、前田さんはとにかくすごい仕事量。一貫した立場だし、すごいなあ・・・。
 1080円です。韓国語に訳されるらしい。
 日韓合意で解決したと勘違いされている人も多いので、是非読んでいただきたい。個人的には名字が「菊池」になっていなくて良かった・・・・とホッf0210120_15395029.jpg。よく間違われるのです。


「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える (彩流社ブックレット)

前田 朗 (著)


第I部 日韓合意をどのように受け止めるか
1.責任転嫁を許さない――梁澄子
2.責任と反省なき二重基準で、「私たち」は この過去を終わらせることができるか――西野瑠美子
3.日韓合意に関する法的批判――川上詩朗
4.性奴隷制とは何か――前田 朗
5.安倍晋三と日本軍性奴隷問題――田中利幸
6.フェミニズム倫理学から考える、日韓合意――岡野八代
7.「日韓は合意を白紙化すべき」――吉見義明

第II部 「慰安婦」問題・日韓合意を批判する各界からのメッセージ
野平晋作/申惠丰/阿部浩己/矢野秀喜/土井敏邦/ 木瀬慶子/辛淑玉/小林久公/角田由紀子/崔善愛/ 大森典子/奥本京子/菊地夏野/庵逧由香/安世鴻/ 清末愛砂/乗松聡子/宮西いづみ/高橋哲哉/金富子/ 徐勝/元百合子/坪川宏子/岡本有佳/吉池俊子/方清子
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# by anti-phallus | 2016-04-25 15:40 | 仕事 | Comments(0)