菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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原発と母性主義、覚え書き

 インパクション181号(2011年8月)「特集 脱原発へ」を読む。
 期待した、座談会「脱原発と『母』『女』について考える」は、タイトルどおりではなかった。あまりタイトルで掲げられている点については深められていなくて、それ以外の各参加者の具体的な活動や思いについては興味深く読んだ。
 それよりは、後ろの方の座談会「反(脱)原発運動の現在的課題」のほうで、その問題について興味深い発言を見つけた。以下引用。


天野恵一
チェルノブイリの直後も、例の甘藷さんの本を巡っても、ある種の母性主義、フェミニストの人たちが母性主義批判を展開して、かなり論議がありましたよね。あれで問題が終わっているわけじゃないですよね。
近藤和子
終わっていない。あれは上野千鶴子さんのエコフェミ論争がきっかけなんです。エコフェミ、反原発運動は母性主義で本質主義だと、青木やよいさんの言説を批判したでしょう。だから多くのフェミニストたちは震災の被災者支援に女性の視点をといっても、福島原発のことは言わない、もう反原発運動をやらないの。“母性主義”だからと。すごいへんてこりんなねじれた関係。深められないまま断絶している。
(99ページ)

 
 今、事態がどんどん動き、不透明な混乱の中で、運動について、状況についてゆっくり論じる余裕のある人は少ないだろうし、そういう余裕があるとすれば逆にどこか抜けているものがあるのかもしれない。そんななかだから、脱原発運動の母性主義、というような難しい問題設定について運動の渦中にいて、明快に論じられる人は少ないだろう。そういう問題意識は、3.11以前からある程度運動やフェミニズムについて知識のあるひとがもつものだろう。
 今年の日本女性学会大会でも、同様のテーマでシンポジウムがもたれた。参加してみたが、やはり問題が深く論じられてはいない印象を持った。
 脱原発運動の母性主義というのは、今運動のただ中で感じられている問題というよりは、それ以前の、フェミニズム内の論争が記憶としてよみがえっているという感じがする。にもかかわらず、その切り分けがはかられず、一体誰が何を批判しているのか分からないままに注目されているような。
 じっさい、上記の天野の発言、「フェミニストの人が批判した」という口調、これもよく聞くものだ。聞くたびに、「フェミニストのひと」って誰?というフラストレーションを感じる。そういう種族でもいるかのように語られるのは非常に違和感がある。(天野は尊敬する人物のひとりです、ちなみに)
 そういう意味で、近藤がはっきり具体的に経緯を指摘しているのはありがたい。
 わたしも、90年代に上野のエコフェミ批判を読んで、影響を受けた。そこまで簡単にエコフェミの思想的可能性を否定はできないだろうとは思ったけど、やはり上野に軍配が上がったように見えた。
 だが、3.11を経て、松本麻里さんのインタビューを読むなどして、そのようなフェミニズムのこれまでのあり方が厳しく問われているように思う。
 フェミニズムの論客は、本当に、現実に向き合ってきたのだろうか。複雑でややこしい現実を、言説のひとつとして簡単に切り取ってしまい、整理し、ラベルを貼るだけでよしとしてきてはいなかっただろうか。フェミニズムだけではなく、90年代の構築主義や言説分析の流行した社会学全体にも言えることかもしれない。上野を批判するだけではなく、自分自身の問題として考えている。
 フェミニズムの視点、あるいは性差別へ批判的な視点をもつひとがそれほど多くない中で、フェミニズムの論客にあまりに多くを期待するのもおかしいだろう。やはり問題なのは、誰かひとりをもちあげてしまい、思考をとめてしまうようなひとりひとりのありかただろう。また、議論が自由にできないような雰囲気だ。女性学会のシンポジウムでも、既成のフェミニズムへの批判的な提起が、会場から反発されて、終わってしまったのは残念だった。あのようなやりとりをもっと深めていくことが必要なのかもしれない。
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by anti-phallus | 2012-06-27 17:23 | 原発/震災 | Comments(2)

カルタイ@広島

 カルチュラル・タイフーン2012@広島で、報告します。
 他にも面白そうな発表が並んでいます。

 2012年7月15日10:30~12:00
「差異」と「多様性」をことほぐクィア/フェミニズムを超えて
Beyond the Celebration of “Difference” and “Diversity” in Queer/Feminism

Organiser
黒岩裕市 Yuichi Kuroiwa (立教大学 Rikkyo University)

Panelist 1
風間孝 Takashi Kazama (中京大学 Chukyo University)

Panelist 2
菊地夏野 Natsuno Kikuchi (名古屋市立大学 Nagoya City University)

Panelist 3
黒岩裕市 Yuichi Kuroiwa (立教大学 Rikkyo University) 
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by anti-phallus | 2012-06-22 21:18 | イベントの案内 | Comments(0)

放射能

 ちょっと前に書いた文章ですが、書き過ぎかなーと思って眠らせてました。まいっかと思い掲載。


 中部大学の武田邦彦氏が、三重県の放射線量の計測データから、「2015年4月には日本に住めなくなる」と警告している。それによると、そのときに、三重県の外部からの被曝が年5ミリになり、年5ミリというのは「成人男子でも白血病になったら労災が適用される線量」らしい。三重県は日本の平均的な線量率だから、三重県に住めなくなるというのは日本に住めないとほぼ等しいと書いている。

 昨年の3/11以来、ものすごい状況を生きてきたなと思う。事故直後のパニック、それでも普通に始まる新年度、普通の忙しさのなかで時が過ぎた。事故から半年くらいは授業で原発問題を扱ったこともあり、自然に情報収集して、事態の理解に努め、また食生活でもどうやってリスクを減らすか考えたりしていた。
 また、故郷へのやまない思い、福島に原発を押し付けてきた都市への怒り、自分の無力さ等めまぐるしく感情は動いていた。だが、それもだんだんと薄まり、いやあえて目をつぶって生活した時間も長かった。
 そして今年の3月11日の前には何とはない辛さに見舞われて、単に同じ日付が廻ってくるというだけなのに、どうしてこんなにも辛くなるのか我ながら不思議だった。

 今感じるのは、自分や社会がばらばらになっているような、そんな妙な感覚である。もう日本のひとびとは、放射能を恐れていないのだろうか?
 今年も授業で原発問題を扱い、特に被曝労働と日雇い労働者について話したら、反応が大きかった。ひとびとは、原発を支えている社会の構造について何も知らないのである。原発が常に被爆者を生み続け、黙らせ続けてきたこと。「このことを知ったら、今再稼働するかどうかという論争のどれも的を外れているように思える」という感想があった。

 わたしは、前からそうだったが、最近とくにマスメディア、テレビが恐ろしい。テレビはひとびとの心を支配し麻痺させている。3/11の前と後で何も変わらない毎日が続いているかのように演出している。ひとびとの本当の不安から目を背けさせ、ものを買わせ、仕事に向かわせる。そうすればこの平穏な毎日は永遠に続いてくれるかのように。
 だが、平穏な毎日などもうどこにもないのではないだろうか。緩慢に社会は死に向かっているような気がする。いや、3/11の前からそうだったのかもしれない。社会とは、そんなものなのだろうか?砂上の楼閣に意味を持たせるのが社会なのだろうか?それでいいのだろうか?今、わたしは足下すら自明でない。

 この不毛な、形式主義的な社会というものは、どこかヘテロセクシズムとつながっているような感じがする。
 原発の問題についてフェミニズムの視点から何がいえるのかずっと考えてきて、あまり新しいことは思いつかず、がっかりしていたけど、どこか遠いところでやはりつながっている。
 何か社会のあり方に対する認識の根本的なところで、男性中心主義と原発を許す経済システムはつながっている。本当に大事な何かを断念して、形式や秩序、権威、組織のために忠誠を誓い死んでいくこと、これは男性中心的な価値観であり哲学だ。
 この、エコフェミニズム的な認識論を、身体で理解しなくてはいけない状況に生きている。あまりに残念ながら、それが現実だ。








 
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by anti-phallus | 2012-06-13 22:38 | つれづれ | Comments(0)