菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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ブラック・スワン

 観てきました〜良かったです。
 痛い映像のところは目をつぶってたのでダメージは最小限にできました(笑)。演出については賛否両論あるようですが、まあいいんじゃないかな。そこは観なけりゃいいし。。
 
 これは、クィア&フェミニズム批評のしがいのある作品です。そういう意味で観るべき。男性の権力と女性の欲望、自己の中の他者、母娘の関係、性と欲望、そういうセクシュアルでソーシャルなことを考えさせられる。
 彼女は自分の中の闇を封印したのか、乗っ取られたのか、どっちなんだろう。

 全体としては、後半で話をまとめすぎちゃった感はあるけど、その分インパクトは強まったと思う。ひさしぶりに後味の良い映画を観られてよかったです。しかしこれを後味の良い、というと誤解が生じるか。さわやかとかすっきりとかでは全くありません。
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by anti-phallus | 2011-05-31 20:59 | シネマレビュー | Comments(0)

読書

 某書を書評するためにセジウイックを読み直していた。そうしたら、本当に夢中になって読むことができた。こういう時間は、思えばひさしぶりだった。
 読書に我を忘れたり、論文を書いてすっきりしたり、こういう時間は、人生の中でわたしにとっていちばん幸せな瞬間じゃないかと思う。そういえば、被災地の子どもに本を送ろうというプロジェクトがあった。ひとは、どんな辛い状況であっても、こういう瞬間があれば救われるんじゃないかと思う。多分こういったら否定されると思うけど、でも、辛い状況であればあるほど、そこから遠ざかれる時間は貴重になるし、逃げ道がなければやっていけない。そして、逃げ道というのは、逃げているように見えて実はそうでもないのではないだろうか。
 現実に立ち向かうのはしんどいし、立ち向かったといってうまくいくかどうかは分からない。
 今、日本は行き詰まっている。しばらく前からそうだったけど、震災でそれが白日の下にさらされてしまった。日本で生きている人々は、相当疲れていると思う。なのに、「がんばれ日本」とかいわれてしまい、もういいよ、という気分なんじゃないかな。みんな真面目だからそうも言えないだろうけど。
 今後、どうなるのか分からない。でも、好きな本を読んで夢中になれる時間、文章を書いて解放される瞬間、それだけは大事にできる生き方をしたいと思う。
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by anti-phallus | 2011-05-27 00:27 | つれづれ | Comments(3)

原発の授業 賛成派へのツボ

 急遽、講義で原発震災を取り上げ進めてきたが、今日で講義の部分は終え、来週のグループディスカッションで完了となる予定。全然専門じゃないのにあせって勉強して資料を集めてやってきた。
 今日は「原発と差別」ということで2つの動画を上映。

 「隠された被曝労働」イギリスのチャンネル4制作で1995年。樋口健二さんが出てくる。
 今月23日放映の関西テレビのニュースの一部。

 どちらも、原発で働く労働者にスポットを当てたもので、衝撃的な内容。
 学生の感想を読むと、なかに、「わたしは今まで原発賛成でしたが今日の映像を見て反対に変わりました。心がざわついています」というものがあった。
 他人の考えを変えてしまうのはちょっと怖いのだが、これは嬉しい。
 原発について賛成するひとびとのなかには、問題をきちんと理解しないままに賛成している人が多いと思う。
 そのような層に対して、原発の最も危険な部分は日雇い労働者などの下層労働者が働いているという事実、その労働が非常に危険なものだということを伝えるとかなり影響が大きいと思う。脱原発派へのアドバイス、です。
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by anti-phallus | 2011-05-26 15:12 | つれづれ | Comments(0)

コメントいただきました。

 前のエントリ「母の日かriot grrrlか」に対して、コメントをいただきました。
 設定の条件上、長いとはじかれてしまうようなので、こちらでアップさせていただきます。(了解はいただいています。)
 Makibooさん、ありがとうございました!

*************************


私も母親ではないし今後も母親になる可能性は非常に低い立場にいる者です。原発の問題で、子ども達の安全が叫ばれる中、私もやはり同じような思いを抱いていました。

それぞれの立場から、感情や考えを表していくことは必要。けれど、「母親」で集約されることで、「非母親」は発言することに気後れしてしまう。いくら自分の周囲の子ども達を守りたいと思っても。「母親ではない」というそれだけの理由で発言することに対して抑止力がかかる状態は、よいと思えません。

もう一つ。避難の緊急性において、子どもと妊婦の命こそ優先させるべきというコメントが多く飛び交いましたが、それが当然のこととして受け止められる、あるいは、受け止められなければならない空気ができていることにも、立ち止まって考えたいと思います。

人の命の重みは余命で計られるべきでしょうか。「子どもと妊婦を優先すべき」ということを、福島の被災地で動けない状態にいる年配の人達が聞いたらどのように思うでしょうか。おそらく大半の人は、その通りだと頷くでしょう。しかしそれは、なんだかあまりにも切なく、つらい。

そして、「女」「子ども」が、未だに、こうもたやすくひとくくりにされてしまうことにも注意を向けたいと思います。なぜ、「女」と「子ども」なのか。障がい者や、高齢者ではなく。(もしも、社会的弱者、という枠組みでそれを言うのだとすれば。あるいは、じゃなかなったとすれば、何?という話)。

まるで「子ども」が「未来」のすべてを担うかのごとく、美しく、そして、少し押し付けがましく語り、その「未来」を担う労働力を産み、育てるのは「女」だという、“古きよきストーリー”を私達は今こそ解体しなければならない。よりよき「未来」のために。そして「今」を生きる、すべての人々のために。

(長くなってすみません。はじめまして。また投稿楽しみにしています)
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by anti-phallus | 2011-05-10 21:53 | その他 | Comments(0)

渋谷・原発やめろデモで不当逮捕

 昨日は名古屋の脱原発・STOP浜岡パレードに行きました。参加者も多かったけど、警察も多くて、異常な管理。デモの列にぴたりとくっついて、全体を5つに分断。ひとつの隊列の中からは前後の列も見えないくらい距離を置かされて、「早く歩け」とか「もっとくっついて」とかしきりにスピーカーで叫ばれる。交差点では走らされる。警察が指揮を執っているようだった。
 あれでは意気があがらない。中電ビル前にも行ったが、抗議行動をする間もなく歩かされた。

 5月7日の渋谷では、逮捕者も出た模様。ユニオンチューブからデモの様子が分かる。

 警察がサウンドカーとひとびとを遠ざけ、それに抗議する人々の波の中で「公妨!」という声が上がったとたん、警察の群れががーっと参加者を持ち上げて連れて行ってしまう。計算ずくに見える。
 そのシーンは悔しく、切ないですが、後半のあたりはいいです。

 市民の行動を弾圧し、逮捕するのが「公務」とは、公共性も地に落ちたものだ。今の日本の「公共性」が、市民からどれだけ簒奪されているか、よく分かる。
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by anti-phallus | 2011-05-09 17:24 | つれづれ | Comments(0)

母の日か riot grrrl か

 今日は下記の企画のミーティングがあった。

原発サヨナRiot GRRRL!!

 ブログは現状、ほとんど何も書かれていないのに等しいのだけど、とりあえず、フェミの精神と意欲だけは買ってほしい。。。

 原発震災に関して様々に動きがある中で、「母親だからこそ、原発に反対なんです!」という言い方が盛り上がっています。
 私は、それを聞くたびにビミョーな気持ちになります。

 確かに、父親とか、あるいは子どもを生んだことのない人間、育てたことのない人間とかにはもてない、母親ならではの「子どもを守りたい」気持ちはあるのかもしれない。それは、子どもを産んだり、育てたことのないわたしには分からないのかもしれません。そう言われてしまったらもう何も言えません。

 だけど、それでいいのでしょうか?母親が、子どもの健康や安全に対して一番の発言権があるのでしょうか?

 今日のミーティングでは、あるひとが、「成熟した母性ならいい、だけど、未熟な母性は、自分の子どものためには他の子どもたちを蹴飛ばす」と言っていました。
 わたしは、「成熟した母性」や「未熟な母性」という考え方はしません。ですが、確かに、「母親」という立場を想定するときに、自分の子どものために他の存在を考えられなくなる、というありようは想像できます。

 そもそも、母親が本当に子どもの立場を代弁できるものなのでしょうか?むしろ、母親とは、子どもに対して「社会のルール」や「大人の都合」を教え込む立場なのではないでしょうか?

 もう、母親が子どもの代弁をできるという幻想から脱しませんか。

 子どもは、いや、ひとは誰かに代弁されるべき存在ではありません。しかし、確かに多くの子どもたちは放射能についての知識を得る技術をまだもっていません。
 わたしたちが、子どもたちを、わたしたちの社会の対等な構成員として考えようとするとき、技術的な制約から子どもたちの代弁をせざるを得ないなら、そのとき代弁者は、痛みを持ってそうするべきです。決して、「母親として」など、誇らしげに、代弁をすべきではありません。
 母親くらいしか、子どものことを思いやれない、そんな社会がおかしいのです。
 誰もが、子どもだったことはある。子どもだったことのないひとはいません。それが、性差別やレイシズムや障害者差別とは違うところです。ですが、ほとんどのひとは、子どもだった頃に、自分がいかに不自由だったか、抑圧されていたかを忘れてしまう。まるで、抑圧されていた子ども時代のことを忘れるために、力を持とうとしてしまう。

 母親が、平然と、子どもを代弁できるかのように振るまうことは、子どもに対する抑圧を肯定することにもなりかねません。
 本来は、母親のみならず、すべての大人が、子どもの立場にたって発言すべきなのです、痛みを持って。
 
 だって、東電の、政府の、官僚の、原発を推進してきたひとびとは多くが家庭を持っていて、そのなかには多くの母親がいたんですよ。なぜ、その母親たちは、原発を止めなかったのでしょうか。「世界中の母親が子どものことをいちばん考えている」なら、なぜそれらの母親たちは、原発と闘わなかったのでしょうか?

 今の社会では、「母親」という立場は社会の権力構造を再生産する役割になりがちなのです。すべての母がそうなのではありません。抵抗している方々ももちろんいる。だけど、ひとしなみに「母親」と言っただけでは、権力構造に回収されてしまう。

 原発を生み出す社会に抵抗し、変えていくためには、子どもにリスクを押し付け、その代弁を母親のみに押し付ける、この社会にも抵抗しなくてはいけないとわたしは思います。母親が、その立場から解放され、本当に子どもが生きやすく、抑圧が最低限で済み、母親と子どもの関係がもっと自由で、平等に近い社会であるように、わたしはそんな社会を望んでいきたいと思う。
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by anti-phallus | 2011-05-02 00:42 | つれづれ | Comments(0)