菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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マイ・ブラザー

 『マイ・ブラザー』を観た。家族ドラマとしては面白かった。俳優も良かった。
 ただ、どうも後味が悪い。振り返って考えてみると、戦争の描き方に大きな原因があるようだ。
 アフガニスタン(だったと思う)の軍事勢力に米兵が捉えられ、虐待されるのだが、それがひどい。アフガニスタン人の反米勢力の描き方が、非人間的な、残虐極まりない者たちになっている。一方、もちろんのこと米兵たちは勇敢で、仲間を大事にする好青年たち。
 いつもながらのハリウッド映画の戦争観なのだが、最近鼻につく。もう飽き飽きしてしまったのかもしれない。『ハートロッカー』しかり。なんでここまで一方的に描けるかなあ。アフガニスタン人(『ハートロッカー』の場合はイラク人)をいくら殺してもほとんど苦悩はないのに、仲間が死んだり仲間に危害を加えたりすると途端に混乱する。
 近代的人間の限界なのかもしれないけど、ここまで単純な世界観の映画ばかりってどうなんだろう。。
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by anti-phallus | 2010-06-28 18:54 | シネマレビュー | Comments(0)

個人より構造

 前回のエントリで長々となぜあんなことを書いたのかなと思い返したら、結局わたしがいいたいのは、この争議の問題をどう捉えるかというときに、個人的なレベルより構造としてとらえるべきだと考えているんだなと気づいた。
 というのは、この争議はややもすればWAN理事たちのパーソナリティや個人的な性格・人柄の問題として語られがちだ。だが、そういう面がないとはいえないが、それだけではないだろう、そういうふうに個人の問題にしてしまうと捉え損ねることがあるだろうと思う。
 それはフェミの社会的位置の問題だ。今、力を持っているフェミ、その言葉や研究がフェミニズムの代表として流通しているようなひとびとも、時代の産物であり、ある時代であったからフェミニズムが一定の価値ある言説や運動として認められ、位置を獲得していった。そしてある経緯の結果、WANという団体も作られた。その結果としての労働問題であり、争議なのである。
 その歴史の中には、その時代のフェミニズムには本当の意味で労働問題への視点が足りなかったことが指摘されなければならない。それは、フェミニズムという立場が、社会科学よりも人文科学の中で行う方が抵抗が少なかったという事情もあるかもしれない。だが、それ以上に、研究レベルではなく、足元の労働問題への意識が足りないという問題がある。それは、大学という組織全体が抱えている問題でもあるのだ。
 大学という制度の社会的意味についてもういちど考え直す必要があるだろうという意識がわたしには強い。大学において労働問題について研究する人は多いし、最近の貧困研究のブームにより注目もされている。だが、大学の中での労働問題については依然として、取り組む人は少ない。大学教員といえ労働者なのである。優遇された労働条件にあるからみな考える必要がないかのようにしているが、だからといって労働者でないわけではない。
 ワークショップの中で、ある方からパネラーに、「あなたが大学で誰かを雇用する立場になったらどうするか」という質問がなされたが、わたしはあれに違和感があった。大学でひとを雇用するのはほとんどの場合、専任教員ではなく、大学である。たまーに私設秘書として個人的に専任教員がひとを雇う場合もあるが、それはとくに文系の場合は少なく、その場合はその教員のポケットマネーから賃金が払われるはずだ。そういう例を除いて、たいていは雇用者は形式的にせよ大学である。だから、その質問は、その趣旨を汲み取って正確に発されるならば、「あなたが雇用するとき」ではなく、「あなたの同僚として非正規労働者が大学に雇われたとき」なのである。非正規だろうと正規だろうと同じ職場で、同じ仕事に関わっているならば、同僚である。それが正規と非正規で分断されていることが問題なのである。
 にもかかわらず、大学が雇用者なのに、実態として、直属の上司に当たるような専任教員が人事権をもっているような状況にあるのが現実だが、それが、そこでの関係性をより個人的なものにイメージさせる一因ともなっている。つまり大学では、企業よりも、いち労働者の職務能力を、その業績や勤務態度によってではなく、人間関係、実力者である専任教員の個人的な評価で決められてしまう事態が発生しやすいのではないか。
 実はこれは、非常勤講師の労働運動がぶつかる問題でもある。非常勤講師の雇用者は大学なのだが、実質的に決めているのは専任の教員なので、何か問題が発生したときに非常にややこしい。組合としては、瀬任教員と、大学全体の責任者、例えば理事会をそれぞれ別々に考えないといけない。その2者で立場が違ったりする。
 まとめれば、専任教員も自らの労働者性についてもう少し認識を深め、労働問題について知るべきであるということ。それは自分の専門分野がどうだろうと関係ない。
 また、ワークショップで、大学非常勤講師問題について論点を指摘できなかったことが個人的にはとても残念ではある。まああまり大学のほうにばかり話を持っていくのもどうかといわれるだろうが、だが大学組織は単にその関係者にとってだけの問題ではなく、市民全体にとっての問題であるはず。多額の税金も使われているし、学問の知は社会全体にとって意義のあるもののはずなんだから。
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by anti-phallus | 2010-06-24 15:50 | ユニオンWAN争議 | Comments(3)

ワークショップに参加して

 昨日、日本女性学会大会のワークショップ、「フェミニズム運動や研究組織における非正規・無償労働問題を問い直す」に参加しました。これは、ユニオンWAN争議の経験から何を学ぶかを趣旨にしたような企画(たぶん)です。
 みなさんご存じだと思いますがこの争議は和解という形でいちおう終了しました。(非営利団体における雇用を考える会(仮)のブログ参照)
 ワークショップ全体の感想としては、かなり多様な論点が出されて、貴重な時空間だったと思います。主催側からの発題としてまずミヤマアキラさんから、「フェミ/女性運動において、平場の関係、シスターフッドなどの言葉によりそこにある雇用関係・権力関係が隠蔽される問題」「事務労働が軽視されている問題」など重要な問題提起がありました。次の清水晶子さんからは、とくに大学界において無償労働や非正規労働が当事者間の意向をも封じる形で抑圧化していくメカニズムが指摘されました。斎藤正美さんからは、それらの論点をまとめる形で包括的にボランティア労働の問題をどのように考えるべきか問いかけがされました。(変なまとめ方だったらごめんなさい。ちゃんと記録が取れていないので。。)

 清水さんの問題提起について、会場ではうまくつながれていなかったような気がしますが、問題提起された意図はよく分るような気がしました。というのは、フェミを中心とする研究界において当初は社会変革的な問題意識からその学問業界の発展のためと思って引き受けたボランティアの仕事が、いつしかやりたくないけど立場上断れないもの、断ったらまずいもの、無償労働に変質していく。あるいは、自分の地位や名声のためではなく、あくまでも批判的な営為として研究を行っていても、それを広く発表しよう、読まれようとしているうちに、初期の意志が変質して、凡百の保守的なよくある研究になっていくようなプロセス。
 分りにくい書き方になっちゃってますが、つまりアカデミズムの中では、その仕事が自発的にやってるものなのか、嫌々やらされているのか非常に見えにくいという特性があるように思います。それは、企業におけるサービス残業などと同じところはありますが、より過剰な要素があるように思う。
 というのはアカデミズムにおける「研究」というものが、教育とは違ってあくまでも自発的に個々の研究者が行うことになっているという点がひとつ。研究に対しては一部の研究所等をのぞいて、大学では原則として賃金が支払われません。そういう意味で自発的なものだし、それぞれの研究者の問題意識から発するという点でも自発的。学会も、自発的に参加し、発表し、討議する場所。ですが、じっさいにはそういう学会や研究者のネットワークの中で論文の執筆や発表の機会が提供され、研究会が催され、パネラーが選定され、果ては専任のポストへのチャンスも提示される。自発的で無償の場において、大きな資源が分配されている。その資源の有無や多寡によって、いわゆる「高学歴ワーキングプアー」から「年収○千万円の有名大学の先生」まで天と地の開きがある。そして、だからこそ研究者たちは「自発的に」その場に参加していく。
 これは、とてもストレスフルなメカニズムであり、複雑な権力の働く磁場です。こういう権力の磁場の中で慣れ、生き抜いていくのが研究者・学者の仕事であるといっても過言ではないと思います(そう言いたくないが)。
 このシステムを、前にキャンパス・セクハラの論文の中でホモソーシャリティとの関連で少し論じたことがありますが、やっぱり重要なポイントですね。
 清水さんはこのへんの複雑さについて考えてらっしゃったのかと思いますが、もしかしたら違うのかもしれません。。

 ほかにもフロアからたくさんの大事な問題提起がされました。2時間の時間枠だったので、どのように今後つながっていくのかは分りませんが、わたしにとって、ユニオンWANの争議から何を得て何に生かしていくのか、まだ整理できていないので考えはじめる良い機会になったことは確かです。
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by anti-phallus | 2010-06-21 17:26 | ユニオンWAN争議 | Comments(0)

東大シンポ・追記

 しばらくして振り返って考えてみると、東大シンポは良い企画だったように思う。
 自画自賛をしたいわけではなく、お話しさせていただいた企画でも後味がいいものと悪いものがあるけど、今回はとても良い。
 終わった直後は、ジェンダーの視点が共有されなかったと思ったんだけど、振り返れば、私の発言に対して直接ではなくても、他のパネラーのふたりは、それを受けて、考えて返してくれていたように思う。司会もポイントをつかんでタイミング良く整理してくれていたし、コメンテータも、パネルとつかず離れずの絶妙な距離だった。
 確かに質疑応答の時間を十分取れなかったのは残念だけど、この前聞いた学会のシンポは司会がしゃべりすぎて、質疑応答を完全につぶしてて、それよりはいいだろう。
 障害学と女性学は、やはり共通している部分があるし、違う部分もある。それに加えて、パネラー3人とも社会学関係なので、障害学・女性学という枠の上にさらに社会学という分野の枠が重なっている感じで、どちらが上でどちらが下かは分らないんだけど、それらの枠の関係性について話し合っていたことにもなるのかもしれない。
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by anti-phallus | 2010-06-12 22:49 | その他 | Comments(0)

感想続き

 それと、映画を観ました。東中野で。「家鴨の子」と「line」。
 どちらも家族がテーマ。
 
 正直言うと、もう、家族っていいんじゃない???「家鴨の子」はとくに、予定調和的に、親や兄姉との和解が最終目標になってたよ。
 家族なんて、そんなに大きな目標じゃないと思うんだけどな。

 いやわたしも、家族的には幸せじゃないですよ・・・もう問題だらけ。
 だけど、それなりに親は子どものことを考えてたと思うし、弟妹もいるし。

 家族って枠自体が幻想なんじゃ・・・?

 lineは、沖縄や大阪大正区が若干舞台になってたこともあり、興味深かったんだけど、「女の身体」を自分の癒しに使うな~という気もして、微妙です。

 「家鴨の子」は、時折見せる表情がすごく魅力的ではありました。家族の枠を守ることがそんなに大事なことなのか、考え直してもらえれば、もっと面白い作品ができるのでは。
 「line」は、もっと長時間にした場合、あなたは何を言いたいのか、何とつながりたいのか、改めて知りたいです。女性の身体を借りずにね。

 ともあれ石内都さん、むちゃかっこよかった×××
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by anti-phallus | 2010-06-07 00:59 | つれづれ | Comments(0)

とりあえずの感想

 東京から帰ってきました~やっぱり江戸は人が多かった・・・じゃなくて、色々考えた旅だった。
 東大のシンポはやはり障害学関係の人が多く、ジェンダーの問題意識を拾う発言がフロアからは少なく、どう考えたらいいものか。
 まず反省すべきは、わたしの力不足だとは思うんだけど、でもけっこう頑張ったんだけどなあ。ジェンダー論やフェミニズムの意義とか、障害学との重なりや違いとか、それなりに分りやすく説明したつもりだったんだけど。もっと挑発的に介入していかないといけないのかなあ。ああそういうの苦手。。
 いちばん問題だったと思うのは、究極的に、「障害学の主役=男性」「女性学の主役=女性」という構図を十分揺らがせられなかったこと。←友達にいわれた。
 そうじゃないんだよ~~~と酔っぱらっている今の私は思う。誰だって、障害者差別は嫌だし、性差別はごめんだと言っていいんだよ。障害をもっている女性だって、結婚しなくても自由に生きていけるのが正しい社会だし、男だって、家族を養う責任から逃げたっていいんだよ。

 まあそれはともかく、障害学について少し理解を深めることができて良かったです。また、社会学について、その担い手の属性について考えさせられた。「社会学を背負う」とか本気で考えているのか・・・・大丈夫かな。背負うものは少ない方がいいのに・・・・自分は自分の人生しか背負えないのに。。。
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by anti-phallus | 2010-06-07 00:36 | 仕事 | Comments(0)