菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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DV被害者ヒアリング調査

 最近、名古屋市に委託されてDV被害者のヒアリング調査をやっている。
 20人弱だけど、一人にかける時間が長いので結構大変。でも得難い経験をさせてもらっている。

 被害に遭われた方は年齢もお仕事も雰囲気もお人柄もばらばら。みなそれぞれ。でも共通して話されるのが、夫と生活していた頃は何に怒るか分からないからびくびくして、いつも怯えていたということ。
 
 DVというのは社会の闇の部分。恋愛や結婚の光の部分は喧伝され商品化されるけど、影にはひとはなかなか目を向けようとしない。たまに見えることがあっても、それは一部の人、運の悪い人、はずれを引いた人の不運のように片付けがち。
 でも、女性の経済的自立と精神的自立が保障されていたら、起こらない問題だと思う。女性に「逃げる力」が保障され、逃げうる道が確立していたら起こらない。

 現在の、DVサバイバーを支援する社会資源は微々たるもの。世間は、DV防止法ができただけで手厚い保護が受けられるんだろうと思い込んでいるけど、女性を取り巻く現実は厳しい。
 女性がもっと気楽に生きていける社会はどうやったらできるのだろうかと改めて思わされる。
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by anti-phallus | 2011-10-08 22:49 | 仕事 | Comments(0)

移民の故国

 フィリピンに行ってきた。今回も濃い内容だった。忘れないうちに少しだけ書いておこう。
 友人が手配してくれた宿は格安だけど風呂なしはもちろん、それどころか水のシャワーしか出ないし、どこに行っても冷房ががんがんかかっているし(しかも長袖の上着を忘れた!)、身体的には辛かった。。だけど行ってよかったと思う。日本との違いを改めて感じたし、日本で10年以上働いた後、つかまって帰国した元移民のひとびとに出会って、話すことができた。

 いちばん印象に残っているのは、13年名古屋で働いたという50代くらいの男性。はじめ小さい工場に雇われ塗装をして、その後に名古屋栄・池田公園周囲のパブで呼び込みをやった。彼は、フィリピンでは電気工をしていたが、食べられないのできょうだいの紹介で来日。当時は結婚していて娘がいた。13年間ずっと帰らず、送金してマニラに家も買った。だけど、入管に捕まって帰国したときには、妻とはもう心が離れていて別れた。彼が買った家には今,元妻と娘が住んでいて、彼本人はきょうだいの家に居候している。

 優しい性格の彼は,淡々と話してくれたが、彼は一体何のために日本で苦労したのだろうかと思えてならない。おそらく家族のために出稼ぎしたはずだが、長い間会わなければ気持ちも離れてしまう。でもお金だけは送り続けた彼。そして、元妻に怒るでもなく、現実を受け入れているように見えた。「気持ちが離れたから、別れるのが自然だった」と語ってくれた。

 生きるって何なのかなと思わされた。移民たちのなかではよくあるケースだが、改めて、その不安定さを実感させられた。

 それから、オロンガポに行けたことも今回の収穫だった。オロンガポのスービック米軍基地は、米兵の歓楽施設で有名で、名前だけは前から聞いていた。マニラから長距離バスで3時間ほどだった。今回初めて行けて、感動だった。フィリピンからは米軍基地は1992年にすべて引き上げられた。オロンガポは、米兵による地元女性への性暴力事件の多さで知られていたから、なんとなく、沖縄のコザと同じような街を想像していた。だけど意外にもう、基地街の跡は目立っていなかった。専門のガイドに聞いた訳ではないのでわたしがさがせなかっただけかもしれない。
 肝心の基地そのものの跡は、一大ショッピングエリアに豹変していた。コンビニやレストラン、スーパー、求人紹介所、学校などあらゆるものがあり、人々が普通に沢山歩いていた。オロンガポ市自体が経済発展に成功しているらしい。どういう仕組みになっているのかよく分からなかったが、思っていたより大きな街だったし、基地を撤去させて成功した例ということになるのだろうか。NGOのひとは、基地反対運動によって撤去に成功したと言っていたが,他にはどのような背景があったのか。
 そういえば前回のフィリピン訪問のとき、原発建設計画が持ち上がったが反対のため頓挫しているという現場に連れて行かれたが、それも本当だとしたら、フィリピンは日本より何倍も偉いと思う。基地と原発は,例え経済発展と引き換えにされようと、許容されてよいものではない。


 以下、上の写真が基地の入り口。ゲートの左側から誰でも入れるようになっている。下の写真が中の様子。


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by anti-phallus | 2011-07-09 21:10 | 仕事 | Comments(0)

クィア学会日本語要件について個人的見解

 今年のクィア学会総会で問題になったことの一つに、大会報告・学会誌投稿における日本語要件があった。これは規約レベルではなく、報告や投稿の申し込み時の条件レベルのものだが、第1期幹事会のころから幹事会判断で付されたものらしく、現在まで生きている。これが、一部会員から批判を受け、幹事の越権行為だから謝罪せよという声まであった。それに対して代表幹事から一部不十分な決定だったと認める言葉もあったものの、同時に日本語要件の必要性を主張する論が現・旧幹事から二・三発された。最終的には幹事会で持ち帰って再議論することになった。
 わたしは現在幹事だが、総会では書記を任じられていたので発言には自制的になっていた。この議論の際も発言の必要は感じたのだけど、次々に手が挙がるような状況で気後れもして手控えた。
 総会の後も友人たちとの会話の中でこの問題についてたくさんの話をしたし、現在までツイッター上でも様々な人が論じている。そんななかでは他の問題とも絡んで混乱したやり取りになっているところもあり、わたしとしては少し心配になっている。
 現幹事としてのあせりもあるし、この議論の運びようによってはクィア学会の印象も大きく変わりうるんじゃないだろうかなどと憶測している。
 そこで、現幹事という慎重になるべき立場であり、またわたしの在任している限りではこの問題について幹事会できちんと話し合ったことはない中でためらいもあるが、私個人の見解を書いておきたいと思う。だけど、これはあくまでも個人的見解であり、幹事会の見解とは違うことをここに明記しておく。


 結論から言えば日本語要件は撤回した方がいい。
 要件を付した側からいえば、クィア研究における英語中心主義の現状があり、日本語要件がないと英語話者の報告や投稿が中心になり、日本語話者が周縁化される恐れがあるという。これは、研究に携わるものとしては心配して当然のことであり、アカデミズムにおける英語中心主義はほとんど疑問に付されることなく、例えばジェンダー研究でも自明になっていることを考えると、重視すべき点である。
 だが一方で、この論点から日本語要件を課してしまうと、日英だけではない問題が生じる。世界には日英以外のたくさんの言語があり、アジアだけでも数えきれない言語が存在する。また、日本社会においても日本語をネィティブとしない話者はたくさん暮らしている。わたしの関わっているフィリピン人コミュニティでは、日本語の簡単な会話はできるけれど読み書きはできない女性たちが多い。彼女たちは英語はある程度できるが、もちろんタガログ語(フィリピノ語)がいちばん便利であり、同じフィリピン人でも出身地によってだいぶ言葉が違う。名古屋に多数存在するブラジル人・ペルー人は日本語の話せない、読めない人たちが多い。総会で例示された在日のひとびとやアイヌ人の存在も大きい。ちなみに名古屋にはアイヌ出身者の会もあり活発に活動しており、決して遠い過去の存在ではないことに注意しておきたい。
 このような立場から見れば、日本語というのは日本社会におけるマジョリティ言語であり、彼女・彼らは日本人が英語圏で感じるのと同じように、常に周縁化されているのだ。彼女・彼らからすれば、クィア学会における日本語要件は、日本語や英語というエリート言語、帝国主義的言語のネイティブたちが自分たちの存在は勝手に忘却して上の方で覇権争いをしているに過ぎない、と見えてもおかしくない。
 また、この日本社会は、近代を通じてアジアの他社会に自らの言語を押し付け、日本語を広めようとし、あげくの果てに日本語以外の言語をつぶそうとした歴史をもっている。沖縄しかり、朝鮮半島然りである。そのときの日本側の認識が、欧米に対して自国の独立を保持し、アジアの覇者となるという欲望だった。言語は、そのような帝国主義的欲望の重要な武器となり得るのだ。
 英語が覇権を持っている現状に対して日本語のみ使用させるという手段で対抗しようとするのは、どうしてもこの日本の歴史と重なってこざるを得ない。戦前の沖縄で、学校で子どもたちが沖縄語を使うと「方言札」というものを掲げさせられて罰されたという史実はわたしの頭を離れない。
 確かに、一般社会と違って、研究者レベルでいえばクィア学会に参加し得る層では日本語か英語はしゃべれる人ばかりだろうから、他のマイノリティ言語のことは考慮しなくていいのではないかという気分もあるだろう。だがそれを認めてしまえば、そもそもの学会趣旨である、アカデミズムに閉じない、研究とコミュニティ・運動の開かれた関係性への志向は失われてしまうだろう。

 問題の背景について述べたが、日本語要件を正当化する側は、おそらく多少はこのような背景についても知らない訳ではない。だが、彼女・彼らの考えの中には、もしそのようなマイノリティ言語を使うことを認めてしまえば、通訳などの措置が必要になるが、学会の財政的・人的限界がありそこまではとても措置できず、措置できない以上そのまま認めるのは逆に無責任だという判断がある。
 これについては、まず、それらの措置があくまでも日本語話者のための措置を想定しているのであればそこにも日本語中心主義は忍び込んでいるということがいえる。次に、マイノリティ言語を用いることを望んだ人が、そのような措置を必ず求めるかどうかは分からないのに勝手に忖度しているということがひとつ。最後に、どうしてそもそも幹事会が勝手にそこまで判断し、決定し得るのかということ。
 実は、このことがあるレベルでの問題の核心だろう。言語については様々に物理的制約がある。すぐに理想的な状況を実現しようとしても無理だ。だが、そういう判断を、どのような形で誰が行ったのかということが問題なのだ。
 言語の問題はこれだけ大きい。総会でひとつ批判の声が上がっただけで、今に至るまで各所で論じられているほどに。にもかかわらず、幹事会は総会にかけることなく日本語要件を課してしまった。
 仮に総会にかけて、日本語要件を課すべきだという総意が得られたのならば、たとえ問題含みであったとしてもそれは現在のクィア学会の認識状況を表しているのであり、幹事会にはそしりを受けるところはない。その手続きを得ることなく重要な問題について決定し、執行してしまったのだから、よくなかっただろう。
 ただ、当時の幹事会がそのような判断になったのは、学会設立の大変な中で幹事として責任をもって対処しようとしたことの結果であり、それ自体が糾弾や謝罪要求の対象になるとは思わない。学会設立というなかなか立ち向かえないことに関わり、時間とエネルギーを費やしてくれたおかげで今この場-------クィア学会を中心とした言説空間・ネットワーク------があるのであり、このような議論ができている。それは誰も否定できない功績だ。
 日本語要件に戻れば、これを撤回したとしてどうしたらいいかといえば、大会報告については以下のようなオプションあるいはその組み合わせが考えられるだろう。

 1全く規制しないし、通訳等の措置もとらない
 2英語の報告は認めない
 3マイノリティ言語については通訳等の措置を報告者個人の責任で用意してもらうことをお願いする、あるいは課する
 4英語について3同様の措置とする

 学会誌については査読の負担があるので、もう少し慎重に取り扱い、当面は日本語のみとしても仕方ないかもしれないが、それについても一考したほうがいいだろう。

 どちらにしても、総会で会員の判断にゆだねることが最も大事だと思う。ここまでわたしの、言語についての見解を述べたが、この見解に基づいて学会が行うべきだとは思っていない。一会員として意見を述べたのであり、学会では、総会やその他の機会を通じて多くの会員によって決定されるべきだと思う。
 幹事会はそのための条件、会員が十分討議できる場・回路を用意するのが仕事だろう。
 私は今まで、ジェンダー・セクシュアリティ研究や運動と、人種主義・植民地主義に関する運動や研究の両方にいて、双方の交流が少ないことに問題を感じてきた。どちらも日本社会/グローバル社会の核心にある問題なのに、それぞればらばらで、交流が少ない。このふたつの運動・研究がもっと混じり合えば非常に大きな可能性が生み出されるのに、と歯がゆく思ってきた。
 幹事として、今回の課題に協力できれば、今までの歯痒さを少し乗り越えられるかもしれないと思うと、とても嬉しい。
 ジェンダー化された異性愛中心主義社会の中で名付けられない存在に生の可能性を与えたのがクィア・スタディーズだったはず。言語の植民地主義のなかで周縁化される存在に、可能性を与えようと努力することも、課題の一つのはずだと私は思いたい。
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by anti-phallus | 2010-11-25 11:24 | 仕事 | Comments(0)

クィア学会第3回大会感想/訂正版

 今年のクィア学会は考えさせられることが多かった。裏方としてプレッシャーは高かったけど、それに見合う収穫も多かった。
 総会の審議について参加者みな揺れに揺れたように思う。参加してくれた全員に感謝と敬意の気持ちを送りたい。
 でも、建前ではなく、こういうふうに学会の運営、ひいては学問・研究のあり方について揺れが起こりうる場、揺れを共有できる場というのはすごく貴重だと思う。その揺れの形がひとそれぞれで、今はだれとも共振していないように感じていたとしても。
 わたしは完全に正しい人はいないと思う。だから、誰かの意見が正しいように思えたとしてもそれにおびえる必要はないと思う。こう書くのは、周りの友人たちが正しさと、それを実現できない自分たちに不安を感じているように思えるから。
 誰しも正しさだけでは生きていけないから、正しさを振りかざされると怯え、反発する。でもそんな怯えは必要ない。必要なのは正しいことではなく、今の自分たちの限界を認め、理想に向けて可能なことを行うこと。必要なのは他人の過ちを責めたり自分の正しさを認めさせることではなく、わたしたちみなが限界を持ち、だけれども理想を共有できることを分かっていくこと。
 わたしが心配なのは、不安に駆られた友人たちが、正しさに反発して、抑圧的な方向性を選んでしまうこと。
 こういう状況の中でわたしに何ができるのか、しばらく考えていきたい。
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by anti-phallus | 2010-11-24 00:22 | 仕事 | Comments(2)

「じゃぱゆき」への差別について

 昨日は某NGO主催の連続講座でお話しさせていただいた。テーマは外国籍女性の人権ということで、フィリピン人女性の事例から。
 正直、自信がなかったけど(いつものこと)、質疑応答の様子からいろいろ考えさせられた。
 私の話の内容は、いわゆる「じゃぱゆき」として、フィリピンから女性が多数くるようになった経緯、背景、そして彼女たちへのインタビューデータの紹介。結論としては、アメリカのトラフィッキング撲滅政策や日本の対応のように、「臭いものにはふた」式ではなく、根本的な問題解決の方向、フィリピンの貧困そのものの改善であったり受け入れ国である日本側の民族差別・性差別の解消が必要だということ。
 ところが会場からは、「偽装結婚についてどう思うか」「フィリピンでは重婚ができるのか」などの初歩的?な質問から、「自分はどんなに大変でも外国に行きたいとは思わない。なぜフィリピン人は来るのか」という少々否定的なニュアンスで聞いてくる人が多かった。
 偽装結婚があるとはいえ、その背景にあるものに思いを馳せてほしいし、自分の国を出たいから出るのではなく様々な事情があり、そのなかには貧困が大きく影を落としていることを理解してもらいたかったのだが。
 紹介したインタビューデータは、パブやクラブでのセクハラや半監禁生活の経験、家庭でのDVやすれ違いのコミュニケーションなどを語るものだが、それらを受け取った発言はなかった。
 会場は年齢層の高い男性がほとんどで、質問は全て男性からだった。前々から感じていたのだが、多くの男性は、女性の言葉に耳を傾けようとしない。とくに女性の愚痴には。フィリピン人女性の悩みや辛い経験など、耳を通り抜けてしまうのかもしれない。
 手伝ってもらった友人は、セックスワーカーへの差別があるんじゃないかと言っていた。そうなのかもしれない。
 こういう壁をこわすには、もっと強く言っていかないといけないのだろうか。わたしは、聞いてもらえない女性たちの声を、ボリュームアップする装置を作りたい。
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by anti-phallus | 2010-09-27 20:06 | 仕事 | Comments(0)

とりあえずの感想

 東京から帰ってきました~やっぱり江戸は人が多かった・・・じゃなくて、色々考えた旅だった。
 東大のシンポはやはり障害学関係の人が多く、ジェンダーの問題意識を拾う発言がフロアからは少なく、どう考えたらいいものか。
 まず反省すべきは、わたしの力不足だとは思うんだけど、でもけっこう頑張ったんだけどなあ。ジェンダー論やフェミニズムの意義とか、障害学との重なりや違いとか、それなりに分りやすく説明したつもりだったんだけど。もっと挑発的に介入していかないといけないのかなあ。ああそういうの苦手。。
 いちばん問題だったと思うのは、究極的に、「障害学の主役=男性」「女性学の主役=女性」という構図を十分揺らがせられなかったこと。←友達にいわれた。
 そうじゃないんだよ~~~と酔っぱらっている今の私は思う。誰だって、障害者差別は嫌だし、性差別はごめんだと言っていいんだよ。障害をもっている女性だって、結婚しなくても自由に生きていけるのが正しい社会だし、男だって、家族を養う責任から逃げたっていいんだよ。

 まあそれはともかく、障害学について少し理解を深めることができて良かったです。また、社会学について、その担い手の属性について考えさせられた。「社会学を背負う」とか本気で考えているのか・・・・大丈夫かな。背負うものは少ない方がいいのに・・・・自分は自分の人生しか背負えないのに。。。
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by anti-phallus | 2010-06-07 00:36 | 仕事 | Comments(0)