菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:シネマレビュー( 17 )

ミツバチの羽音と地球の回転

 先日,ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を観た。
 名古屋駅裏のシネマスコーレにて。最終日だったためか9割方の入り。しかし年齢層は高し。
 時間的には長目の作品だけど,長いと感じさせない構成は良質。テーマも明確。無駄がない、分かりやすいドキュメンタリーだった。
 
 だけど、違和感というか、物足りなさも残った。
 映画のメッセージにはほぼ完全に賛成するし、今の日本の状況においてこの映画はできるだけ多くの人々に観てもらいたい。あまりケチを付けたくはない。でも、政治的立場が同じだからといって批判をしてはいけない訳ではないし、そもそもこのブログはひねくれててオッケーの立場(???)だから、あえて書いてしまおう。

 みょう〜にヘテロセクシュアルな空気が全編に漂っているような気がしてしまったのだった・・・。何じゃそれ,と言われそうだけど、つまり、やけに男性の、男性的な活動家の姿がクローズアップされているんですよね。
 何十年間も祝島の反原発運動のリーダーを務めてきたという父親をもつ、30代の男性が主役と言っていいだろう。カメラは基本的にこの「若い」男性(30代が若いかどうか微妙だと思うけど映画の中ではそういうことになっていた)を追う。
 彼が島に戻り、家庭を形成し、運動に関わり,率いる様子を追う。最後のあたりでは妻が二人目の子どもを妊娠したことが映され、また彼女が留守の日に彼がご飯を作ったり、家事をやっている様子が映り、それについて監督は「料理する男の人って貴重よね、あなたは幸せね」(細かい記憶間違っていたらすみません)という意味のことを彼女に言う。(ちなみに彼女の方はほとんど発言がない…)
 そういう「家庭的な」一面を織り交ぜながら、映画のラストは彼の決然とした顔と言葉、「生きるならこの島だなと思った」(これも言い回しは不確実です)で終わる。
 つまり、一般的に、「女性」に好まれる「男性」の姿なんですね。

 そして、わたしが一番もったいないと思ったのは、ナレーションで監督が「女性たちが運動を支えてきた」と言いながら、あまりその女性たちにはスポットが当てられなかったこと。デモや抗議行動の場面で一番多かったのは高齢の女性たち。彼女たちは時に楽しそうに,時に真剣に運動に向かっていた。だけど,彼女たちが現れるのは常に集団としてであって、一人一人の女性たちの顔や言葉が十分引き出されてはいないように思った。どうしてだろうか。マイクを当てても彼女たちは話さないからだろうか、それともマイクを当てること自体が少なかったのだろうか。

 辺野古の座り込みでも多いのは高齢の女性たちの姿。だけど、マイクを握ったり,文章を書くのはいつも男性。

 これは何も鎌仲さんひとりの問題(問題化しているのはわたしに過ぎませんし)ではないだろう。運動自体が男性中心的に形成されていれば運動の表現もそうなってしまうのかもしれない。だけど、運動のヘゲモニーが偏っているままならば、やっぱり運動が掲げる課題の解決も難しいのではないかとわたしは思う。原発政策ほど、明確に男性に決定権が集中しているものも少ない。
 祝島の運動が男性中心的なのかどうかは全く分からない。わたしはそれを問題化しているのではない。ただ、映画からは、その点についての問題意識が伝わってこなかったのは確実だし、それについては残念だと思う。
 反原発の運動や表現に、ジェンダーや性差別の問題意識がなくても仕方ないとみな言うだろう。ないものねだりだと。だけど,少なくとも、わたしは、反原発の運動や表現で、男性中心主義やヘテロセクシズムを再生産しないでほしいと思う。じっさいには女性たち、あるいはジェンダー秩序を逸脱する者たちは常に運動の主役であったのだし、当事者なのだから。そのことに気づかない運動や表現は、原発政策と闘う十分な力を持たないとあえて言い切ってみたい。





 
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by anti-phallus | 2011-08-14 20:06 | シネマレビュー | Comments(0)

ブラック・スワン2

 去年、悲痛な出来事があって、そのときにカウンセラーの方から聞いた、印象的な言葉がある。「人は誰しも闇の部分と光の部分をもっている。世の中は、光の部分だけ見ようとするから、自らも闇の部分を押し込めようとする。だけど、光ばかり見ようとすると、闇に食われてしまう」。
 ブラック・スワンも、この言葉に当てはまる。主人公は、親にかわいがられる、真面目で純粋な優等生。それが、バレエの役をめぐる葛藤の中で闇の自分と闘い、殺してしまう。そして最終的には自分自身が死んだ。
 しかしそう考えているうちに解釈は反転し、光の彼女が闇の彼女を殺したのは、光自身を生かしていた欲望だったということに気づく。承認されたいという欲望。多くの女性を突き動かし、自らを偽らせる承認への欲望。それが社会の規範と合致している場合には光と見えるが、少しずれた途端に闇と化する。
 女性規範は、欲望に突き動かされるというあり方を否定するから、その欲望はどんどん内向し、屈折していく。女性が欲望を持つのは良くないこと、恥ずかしいこと。でも止められない、自分を認めてほしいという欲求。それは他者との関係性への欲求となり、他者への支配欲へと変転していく。
 映画の中で、彼女が自分を認めてほしかった他者は、女性から男性、男性から女性へと移り変わり、果てしなく転移していく。最終的には死と引き換えに、彼女は社会からの承認を経る。それが彼女の頂点だった。

 彼が言っていたという、「おれ、今が自分の頂点でもいいかもしれない」と言う言葉。二十歳の子が言う言葉だろうか。
 何が頂点で、何がどん底かは本当には分からない。どう意味付けするかも自分にしか決められない。それを自分が決めるのか、親が決めるのか、友人が決めるのか、上司が決めるのか、社会が決めるのか、この問いは永遠にひとのなかで続くのかもしれない。せめて、問いの答が絶対的に固定されずに、問われ直されていればよかったのに。いっしょに、問うことのできる者がそばにいればよかったのだが。
 一番の問題は、今の社会が、その問いを問い返す余裕すら与えず、光と闇を明確に定義し、本人が闇と光、頂点とどん底を定義する自由を奪っているということか。しかし、どんなに余裕のある社会でも、光と闇を完全に本人に決定させてくれることはないだろう。では、その圧力に抵抗できる力を育てるのが教育や学問の目的なのだろうか。教育や学問にそこまでできるのだろうかという疑いが頭をもたげるけど、それ以外にできることも、すべきこともないようにも思える。
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by anti-phallus | 2011-06-08 23:05 | シネマレビュー | Comments(0)

ブラック・スワン

 観てきました〜良かったです。
 痛い映像のところは目をつぶってたのでダメージは最小限にできました(笑)。演出については賛否両論あるようですが、まあいいんじゃないかな。そこは観なけりゃいいし。。
 
 これは、クィア&フェミニズム批評のしがいのある作品です。そういう意味で観るべき。男性の権力と女性の欲望、自己の中の他者、母娘の関係、性と欲望、そういうセクシュアルでソーシャルなことを考えさせられる。
 彼女は自分の中の闇を封印したのか、乗っ取られたのか、どっちなんだろう。

 全体としては、後半で話をまとめすぎちゃった感はあるけど、その分インパクトは強まったと思う。ひさしぶりに後味の良い映画を観られてよかったです。しかしこれを後味の良い、というと誤解が生じるか。さわやかとかすっきりとかでは全くありません。
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by anti-phallus | 2011-05-31 20:59 | シネマレビュー | Comments(0)

『外泊』によせて:自覚されない闘い

 『外泊』とは、韓国の女性非正規労働者を撮ったドキュメンタリー映画です。関連サイトはこちらこちら

 ホームエバーという韓国大手スーパーマーケットが、2007年6月非正規保護法の施行を前にして、法を逃れるためにパートのレジ係を大量解雇しようとした。韓国でも、日本と同様スーパーのレジで働いているのは中高年の女性が多いようだ。彼女たちは反発して、ストライキを始める。職場であるスーパーに泊まり込みを開始、これが結婚以来、彼女たちにとって「初めての外泊」。

 先月末から今にかけてキムミレ監督が来日しており、全国各地で上映会が行われた。わたしも岐阜での上映会に関わった。
 今回観たのが2回めで、前回より理解が深まったように思う。

 この映画は映像が、過剰な解釈なしに、ポンと差し出される。ナレーションは必要最低限の説明しか入れない。急激に変化していく闘争500日間の経緯を追っていくだけでも大変だが、シンプルな演出がよけいに観ている者も闘争に参加しているような空気を作り出している。
 
 そしてさらに難しいのが、彼女たちは何に対して闘っているのか、ということである。
 もちろん、彼女たちは自分たちを「ただのレジのおばさん」として使い捨てようとする経営者たちに怒り、闘っている。観る者は、スーパー経営の背景にある新自由主義的経済の圧力が韓国でも日本同様生活を脅かしていることを知り、怒りを感じる。だが、時々挿入される、彼女たちの家庭生活のさま。
 夫が闘争現場にやってきて、「もう茶碗洗いは嫌だから早く帰ってきてくれよ」と笑い、彼女は何ともいえない笑顔で周りを見回す。闘争が長引くと、家族が反対するからもう闘えない、と語る女性。「良き妻・良き母として家庭に帰りたい」と組合の大会でアピールする女性。
 これらの映像は、一体どうやって理解したらよいのか。監督は何を考えてこれらのシーンを入れているのか、観る者は混乱することになる。
 映画の中でははっきりした答えは出てこない。宙ぶらりんのまま、問いは残される。

 今回2回目に観て、また監督と接する機会もあり、分かってきたのは、これらのシーンも、彼女たちの闘いのひとつだったのではないかということだ。
 彼女たちは、職場で闘うだけではない、家庭でも闘っているのだ。それは自覚された闘いではないけれども。
 女性にとって家庭は労働の場だ。家族に食事をさせ、洗濯をし、介護をし、掃除をする。それはたいへんな労働量である。日本のデータだが、普通の仕事時間だけではなく、家事時間も入れると、日本の女性は男性より長時間労働をしている。だがもちろん収入は女性の方が圧倒的に低い。家事時間は「労働」と認められないのだから。女性自身も仕事とは思っていない人が多いだろう。何しろ「妻」「母」は家族を愛するからこそその世話をすることになっているのだから。愛する故の行動は労働であるはずがない、この社会では。
 そんななかで、闘争に参加するために、彼女たちは家族の説得に苦労した。家事を普段通りにするよう努力し、夫に気を使い、頭を下げて闘争に参加したことだろう。
 
 わたしは、彼女たちのような女性に、自覚して、これらの家庭での闘い、家庭との闘いに挑んでほしいとは思うけれども、愛と労働と生とが渾然一体となった近代家族の領域では非常に難しいことだ。
 「良き妻、良き母として」と胸を張る女性に対して言葉を失った瞬間はこれまでにもある。日本や韓国のマジョリティの女性たちが、「良き妻、良き母」にならずとも、胸を張って堂々と、自由に生きられる社会はいつくるだろうか。

 1回目に観たときは、この「良き妻、良き母」という台詞に対する監督の思いがつかめずに悶々としたが、資料を読んだり、本人と接してみて、たぶん監督自身も複雑な思いを抱いているのだろうなと思えた。
 そういう女性たちに、目覚めていないとレッテルを貼ることはしたくない。だが全肯定もできない。せめて、彼女たちが揺らぐ瞬間を、カメラに撮りたいと、監督は思ったのだろう。


 性差別/ジェンダー・セクシュアリティをめぐる闘いは、普通イメージされる「闘い」の意味を軽く裏切って、私たちの仕事や生活、日々の営み全体をとらえてはなさない。
 今回、DVDが完成したので上映会に来られなかった方は是非観てください。面白いです。
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by anti-phallus | 2011-02-06 19:53 | シネマレビュー | Comments(2)

『酔いがさめたら、うちに帰ろう』『ばかもの』

 偶然だけど、酒つながりの2本を観た。
 どちらも良かった。良い映画を続けて観ることができて、わたしはとても幸せだと思う。

 どちらも女性作家の原作で、原作が良いからこその良い映画だと思う。しかも酒つながりと言うか、アルコール依存症つながり。
 『酔いが』は浅野忠信がすごくナチュラルで生き生きしていた。今までの彼の演技はどこかぎこちなかったけど、これでぴったり、やりたいことができているような印象。
 
 どちらかというと、『酔いが』のほうが嫌みがなくうまく映画化していた。『ばかもの』のほうは、ほとんど原作と同じなんだけど、些細なところで違っていて、そのせいかどうか若干分かりやすく変えられていた。

 どちらも基本的には圧倒的な無力感や絶望感があって、それでも開き直って生きるしかないよね、というオプティミズムを感じさせる。

 無力感や絶望感から逃げたくてひとは酒を飲むのかな。そして、酒ではそれらの解決にならないと気づくまで、飲み続けるんだろうか。周りを見ていると、優しい人ほど、酒に溺れているような気がする。2作品の主人公も優しくて繊細な人たち。人生や社会が過酷で暴力的だから、それから逃げるために飲んでいた。そしてふたりとも周りの女性たちに支えられて、支え合いながら回復していった。回復した後、一方は死に、一方は生き残ったけれど、どちらも回復した後はもっと優しくなって、周りの女性ともっと良い関係になっていた。
 そう考えると、酒は絶対的な悪ではないし、絶望感や無力感も悪ではないようにも思える。
 だけど、回復せずに負けてしまったら、仕方ないよね。優しくて繊細なひとほど、世の中の割を食って、先に去っていってしまう。
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by anti-phallus | 2010-12-18 22:08 | シネマレビュー | Comments(0)

マイ・ブラザー

 『マイ・ブラザー』を観た。家族ドラマとしては面白かった。俳優も良かった。
 ただ、どうも後味が悪い。振り返って考えてみると、戦争の描き方に大きな原因があるようだ。
 アフガニスタン(だったと思う)の軍事勢力に米兵が捉えられ、虐待されるのだが、それがひどい。アフガニスタン人の反米勢力の描き方が、非人間的な、残虐極まりない者たちになっている。一方、もちろんのこと米兵たちは勇敢で、仲間を大事にする好青年たち。
 いつもながらのハリウッド映画の戦争観なのだが、最近鼻につく。もう飽き飽きしてしまったのかもしれない。『ハートロッカー』しかり。なんでここまで一方的に描けるかなあ。アフガニスタン人(『ハートロッカー』の場合はイラク人)をいくら殺してもほとんど苦悩はないのに、仲間が死んだり仲間に危害を加えたりすると途端に混乱する。
 近代的人間の限界なのかもしれないけど、ここまで単純な世界観の映画ばかりってどうなんだろう。。
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by anti-phallus | 2010-06-28 18:54 | シネマレビュー | Comments(0)

『フローズン・リバー』

 名演小劇場にて『フローズン・リバー』を観た。
 日曜昼間なのでけっこう客は入ってました。
 映画も前知識なく見に行った甲斐あり、純粋な感想として面白かった。
 かなり暗い、貧困の現実を突きつけるようにして描いていく中で、主人公の白人中年シングルマザーと、先住民の若い女性がちょっぴりずつ関係を築いていく。
 このふたりの女優がすごくて、最初のシーンで主人公の顔がじっくりアップされていきますが、深いしわ、がざがさしてそうな肌、よくない顔色というスカパーの化粧品CMでは今すぐ脱却すべきビフォー顔としてさんざんたたき込まれる「老化」サインのオンパレード。さらにパーマはかかっているけど手入れはされてなさそうなウェーブヘア、何より極めつけは「苦悩」や「恨み」を全く隠してない表情。わたしは思わず見入ってしまいました。
 マイ・フェア・レディ的なストーリーの映画ならば最後にはこういう女性もきれいに化粧やおしゃれをして幸せそうになっているものだけど、この映画ではあくまでも変わらない、辛そうな顔のまま終わった。
 世の中には色んな女性の生き方があるし、色んな表現の仕方がある。たいていは化粧をそれなりにして、顔色良く、幸せそうにするのが良しとされるけど、わたしはこの映画の主人公のような生き方のほうが好きかもしれない。理由は説明しがたいが。分厚い化粧をしていわゆる「美人」や「かわいい」を装っている人とはなんとなく友達になれないように思う。
 化粧せず、乱れた髪で、いらいらしている女性のほうが、なんだかちゃんと生きているように感じて、憧れてしまうなあ。
 
 もうひとりの女優のほうも、太めで、いつも不愛想顔。笑顔のシーンって思い出せない。けれどストーリーが進むにつれてその内面が分ってくると、不思議な愛着がわいてしまう。
 
 フェミニスト業界では、「自分の解放」ということで、楽しげな、さわやかな女性のイメージが尊ばれる部分があるように思う。キャリアはあるけど仕事にあくせくせず、自分の趣味を楽しんで、家庭もワーク・ライフ・バランス的で家事分担も平等で、子どももかわいがって・・・という。自分が幸せであることがフェミニズムの究極の目標みたいな。
 それはそれで分かる部分はあるんだけど、それはおいといて、自分の現実に対して不満が一杯で、腹を立ててばっかりで、ちっとも女らしくないひとのほうがけっこう魅力的に感じてしまうのはわたしがひねくれているせいでしょうか。たぶんそうなんだろうな。

 映画の感想というよりは独断と偏見に基づく印象論になってしまいました。××すみません××これは読まなかったことにして、とにかく映画観てください。おもしろいので。
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by anti-phallus | 2010-04-05 00:05 | シネマレビュー | Comments(2)