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菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:シネマレビュー( 17 )

 辺野古 圧殺の海 第2章

 タイトルにある『圧殺の海』は藤本幸久・影山あさ子共同監督の辺野古のドキュメンタリー映画です。終わる前になんとか観に行けたので。ひとこと。
 藤本さんは素材をシンプルに、現場を「そのままに」映しだそうとする方なので、敷居を高く感じる向きもあるようだけど、これは時間を作り出して観に行って良かったと思えました。素材そのまま、と見せながらちゃんと編集も練られていて、辺野古をめぐるこの数年間の展開が頭に入る構成になっています。

 そしておそらくはごくわずかな場面に過ぎない運動の記録から、参加する人々の思いが伝わってくるようです。
 私も含め、沖縄に関しては多くのひとが「後ろめたい」思いをしていると思います。何もできない、していないと。軍事基地のために美しい海をこわすなんて、両手を上げて賛成する人は少ない。圧倒的な不正義。だが「国益」という美名をかぶせると正当化されてしまう。この明らかな欺瞞に後ろめたさを感じるのは当然。ですがマスメディアが全く報道せず、現場との距離が広がると、後ろめたさはいつしか開き直りに変わって、「仕方ない」という現状追認に変わってしまう。これが構造的暴力を承認させられていく仕組みでしょう。

 この悪循環を断ち切れればいいのですが・・・。自分を問われる思いがします。同時に、映画のなかでもあったし、以前辺野古に行った時にも聞いたのですが、「ここに来れないひとたちにはそこでやれることをやってほしい。辺野古にいる自分たちにはできないことがある」という言葉。虚を衝かれる気がしました。
 「現場主義」って強力に私たちを縛っているから、運動の「現場」なる空間に長くいる人がえらい、という序列も発生しやすい。そういうものを乗り越えた言葉だと思います。

 映画から見える運動の中でのユーモアや連帯、そういう運動の文化に触れられることも貴重。ここに収められていないたいへんなことがたくさんあるのだろうけど、そういう「語られていないこと」に思いをめぐらされることも含めて多くの人に観て欲しい。
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by anti-phallus | 2016-08-10 15:31 | シネマレビュー | Comments(0)

『大地を受け継ぐ』『キャロル』

 最近見た映画のレビューを。
 『大地を受け継ぐ』は福島の被災農家の跡継ぎの男性を主人公としたドキュメンタリー。新聞でいくつか掲載されていたので混んでるかなと心配しながら見に行ったら空いていて悲しかった。このテーマの映画なら大勢が観につめかけるようじゃないとだめなんじゃないか・・・。まあ平日朝だから、と気を取り直して観た。
 思ったよりシンプルな作りだったが、主人公の語り口は圧倒的だった。映画はあっという間に終わった。父親の死、という出来事を受けながら、農業を受け継がざるを得ない彼の思いを、わたしは完全に理解できたとはいえない。私の家はいちおう兼業農家だが両親とも仕事は別なので、わたしにももともと農業という選択肢はなかったが、母からよく聞かされた福島の山の豊かさ、自然とともにする生活は記憶に残っている。宮城(県北)のような広く田んぼが続く風景とは違い、母の実家は福島市内だが山が近く、キノコや山草が食卓に出てくるような生活だったらしい。わたしは東北の「田舎」出身だが、情報やヒト、資源あふれる都会に生まれなくてよかったと思っている。そういう思いが、映画の主人公にもあるのかもしれない。
 豊かな福島の自然が汚されてしまったという思いが辛い。しかもそれを回復しようとするどころか、全国あちこちで再稼働がねらわれている現実。
 主人公の話を聞いている学生から、「自分は東京に住んでいて、東電に電気代を払っている。そういうことを忘れたい、気にしないで生活していたいという思いがある」という発言があった。こういう思いは、今日本の多くの人が持っているものではないかと思った。震災、原発を忘れないと普通に生活していけない、という感じ。本当は被災者ができるだけ生活を安定できるように、原発依存のエネルギー政策から抜けられるように自分も何かしたいという思いは多くの人が持っているのではないかと思う。にもかかわらず、そういう思いを形にできない。政治の行き詰まりと過酷な労働環境。

 去年観た橋口亮輔監督『恋人たち』にも通じる、この絶望的な空気。『恋人たち』はレビュー書けてないけどこの数年間でのわたしのベストシネマになった。

 『大地を受け継ぐ』で最後にかかった曲はあまりに明るくて、本編の雰囲気とは大分違うので「え?」と思ったのだが、無理矢理にでも明るくしないと生きていけない今のわたしたちの気分を象徴的に表しているのか?と勘ぐり。
 できるだけ多くの人に観てもらいたい作品。


 そして『キャロル』はたぶん宣伝しなくても大勢が観ているだろう作品。女優は二人ともうまいし、ストーリーも単純ながらツボを押さえていて良かった。確かに、レズビアンを扱った文学や映画ってなかなかハッピーエンドで終わるものが少ない!という中で、こういう映画は嬉しい。
 原作者のパトリシア・ハイスミスは、あの『太陽がいっぱい』の原作者でもあるんだけど、この『キャロル』は1952年に刊行された当時は架空の作家の名義で発表されたという。ハイスミスのキャリアを考慮して。つまりスキャンダルになるのを避けたということですね。原作の文庫の解説によれば、ハイスミス自身レズビアンだったようだが、そのことで診察も受けていたという。『キャロル』を読むと、女性への愛情がはっきりと描かれているのだが、そのセクシュアリティを隠して、自分の作品をそのまま発表できなかった作者の思いはどんなものだったんだろうかと偲ばれる。
 原作は、テレーズの視点で詳細にふたりの関係が語られるので面白いですよ。
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by anti-phallus | 2016-03-09 17:07 | シネマレビュー | Comments(0)

ペーパーボーイ 真夏の引力

 暑くけだるい夏にはやっぱり映画ですね。
 何気なく、単にニコール・キッドマンを目当てに観に行った表題作は意外な傑作でした。
 『プレシャス』の監督らしいのですが、『プレシャス』は良いながらやや甘口でしたがこちらは辛口。
 前半までは、なぜキッドマンはこんなシーンに挑戦してるんだと頭を悩ましたけど、後半からは彼女のセレクトは正しかったと分かっていきました。
 60年代アメリカ南部社会の裏のそのまた裏、貧しい生活を送る人々の生命力、差別と暴力、セックス、ホモセクシュアル、正義、ジャーナリズム。贅沢なまでにたっぷりとけだるく、危険で、甘い空気。カメラも良し。俳優陣はもちろん文句なし。
 雨の中、二人が踊るシーンは最高ですね。あのシーンがあって良かった。

 シナリオがいいのか、原作がいいのか、予告編にある

「あの夏の出来事をまだ整理出来ない 僕は何を間違えたのか 君のことが頭を離れない」

 というモノローグや、映画中の語り手のラストだったと思う言葉、

「それ以来彼は恋をできなくなった」

 とか、ただの青春映画だったら陳腐にも流れるような台詞だけど、この映画だと重みがあります。

 こういう映画が評価されるようになってほしい。
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by anti-phallus | 2013-08-12 16:35 | シネマレビュー | Comments(0)

『嘆きのピエタ』

 最近観た『嘆きのピエタ』。
 キムギドク監督は初めてでした。良かったです。
 韓国映画に多い母子愛ものを逆手に取ったような内容で、何よりも、全編に溢れる絶望感と孤独感がすばらしい。暴力シーンは私は全部目をつむってスルー。

 主役の俳優イジョンジンも素敵でした。あの無表情さと長身のスタイルは目を離せません。母役の女優さんは、髪型が似合ってないような気がしたけど気のせい?
 登場人物も、出てくる時間は短いのにけっこう細かく深く描かれていて感心。突き放した距離感で、でもどこかに共感が隠されている。
 韓国の映画で時々感じる、街のあの空気感は面白い。日本と違う、軽い空気の中で、率直に感情を表現するひとびと、石造りの建物の硬質な触感、室内の抑えた淡い配色、ひとびとのさらりとした柔らかい表情、また観たいな〜。
 やっと、韓国映画で好きな監督を発見できた。よかった〜。
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by anti-phallus | 2013-07-14 19:19 | シネマレビュー | Comments(0)

完全なる飼育

 選挙結果を受けて落胆する声がツイッターやFBにあふれてるんですが、選挙結果をちゃんと分析すると「自民大勝」とはいえないし、今回民主党が票を減らすのはもう当然といえるから、ちょっとショックを受け過ぎなんじゃないかと思えないこともない。
 わたしもそうだけど、タイムラインやウォールに現れる声が、自分に近いものばかりになってしまっているので、マクロな現実から認識がずれてしまっているのではないだろうか。昨夜ネットを見て、選挙結果を知りがっかりしたけど、ツイッター等でみんながっかりしていたので、気を持ち直した。でもがっかりしているひとはわたしに近い人ばかりで、マジョリティはそうではないんだろうと思う。
 今回の選挙の問題は、選挙制度と、非自民・非民主のリベラル勢力を結集できなかったことのふたつだと思う。
 疑似二大政党制をつくる小選挙区制のマジックにより、じっさいの得票数と議席配分に大きなずれが出てしまう。その結果をマスコミがフレームアップして報じるから、そのずれも覆い隠されて伝わってしまう。この二大政党制のための小選挙区制度を導入する時も、マスコミが諸手を上げて賛成していたことを思い出す。
 選挙制度の問題をおくと、もうこれは長年の問題だけど、リベラル派や市民運動派が国政レベルで協調できないというのは致命的だ。未来の党にもっとがんばってほしかったけど、あれも乱立の一因だった。社民にしても共産にしてもなんで孤立して自滅しちゃうんだろう?本当に分からない。市民運動側を見ると、そもそも国政や政党へのアレルギーが強過ぎて、戦略的でない。選挙のときだけでもいいから一致して動いてほしい。

 閑話休題で、先日若松孝二監督(故)の『完全なる飼育』を観た。若松というとポルノ映画監督というイメージで、学生時代に大学祭の上映企画をめぐってもめていた記憶がある。気になっていたものの観たことがなかったので今回初。意外に普通な作りで、中だるみ感もあったけど、ラストが非常に良かった。フェミを感じてしまったけどいいのかな?
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by anti-phallus | 2012-12-17 19:36 | シネマレビュー | Comments(0)

クレイジーホース★パリ 夜の宝石たち

 ワイズマンの新作。ワイズマンは社会派ドキュメンタリー監督。視点が鋭いひとなんで、通好みかな〜。
 クレイジーホースというのはパリにある由緒あるキャバレーらしい。「世界初にして、最高のヌードダンスショー」を標榜。ワイズマンはそこに入り込んで、表と裏を撮影。
 これが不思議な後味を残す映画で、気づかない人には単なる長丁場やったなーで終わりそうなんだけど、一旦気づいてしまうと、痛烈な現代社会の表象批判として解釈できる。
 前半は、観客の期待通り、クレイジーホースの魅惑的なショーに目を奪われる。美しく鍛えられた女性たちの身体が戯れ合い、うごめき、見る者の感性に訴えかける。また制作側の苦労を伝える一幕も入ってきて、前作『オペラ座』同様、ショーの裏側にある娯楽産業としての悲哀をかいま見せる。
 しかし、だんだんと、ショーに飽きてくるのである。これが直接、劇場で観ているのならまだしも、映画なのだから結局は自分の目で見ることはできず、あくまでカメラが見ているものを観せられているだけ。そのカメラが、だんだんと冷たく感じられてくると、観るものは、「結局、女性の美とかエロスの極致(制作者のインタビューでの言葉)とか言っても、似たような顔した女性が身体くねくねさせてるだけじゃんか」という皮肉な気持ちになってくる。
 そうしているところに、ダンサーのオーディションの場面。10人ほどの応募者にひとりずつ踊らせ、審査員のコメントが入る。そのなかで、他の応募者たちと違って体つきの大きい男性らしき、けど胸も多少あるような応募者がステージに出ると、審査員がざわめき、さっさとダンスを終わらせ退場させる。そしてそのときのコメント、おそらくは内輪でささやいた程度であろう監督の「性転換者はダメだ。チャーミングだけどね」というひとことを映画は敢えて残している。オーディションの終わり、受かったダンサーたちを前にして、また気になるコメント、「ロシア人は何人?」。
 つまり、クレイジーホースはパリの生粋の美の殿堂を気取りながら、結局は、「ヨーロッパ的」基準の「美しい女性」を並べているだけであり、そこではジェンダー二元論は当然崩されてはならず。美というのは同じような高い身長、長い手足、白い肌、整った目鼻立ちという基準で決定されるものであり、「パリの紳士」が通う場所でありながら、ダンサーたちの少なくない割合はロシアからの移民なのだ。
 もちろんこのような美の基準、白人中心主義的ジェンダーステレオタイプは、クレイジーホースのみならず、現代のほぼあらゆるマスメディア等表象産業を覆っているものである。しかし、ベネトンの多文化主義的販売戦略が定着した今、そのような復古的世界はどれだけ維持できるのだろうか?フランス社会は非異性愛への承認意識が低いという主張があるが、まさにそれを見せてくれたよう。
 制作者たちのクレイジーホース礼賛コメントが続く中、白けた気分にならざるを得ない。エロス、セクシュアリティというものはもっと流動的で、変容するからこそ面白いはずだと私は思うが、この映画で映し出されたクレイジーホースにおける美は、定型的で、世の中のマスの価値観を代表しているに過ぎない。

 ワイズマンがどこまでを意図してつくったかは分からない。このような表象の構造批判までは意図していないという解釈の方が穏当かもしれない。だが、観る者に対して、大きな解釈の幅を与えることこそが、ワイズマンという尊敬すべき映画監督のねらいだといって差し支えないだろう。
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by anti-phallus | 2012-08-06 19:15 | シネマレビュー | Comments(0)

『メランコリア』

 『メランコリア』面白かったけど怖かった。後半、怖くて怖くて映画館を出たくなったほど。こういう映画だと思わなかったので、油断してしまった。
 自分の中の終末思想が刺激されてやばいやばい。この10年ほど、世の中どんどん悪くなってるから、もう終わりだなと思えて仕方ない。この終末感は普段は眠らせてたんだけど、この映画に覚醒されちゃった。
 でも女優はふたりともとても良い。ゲンズブールは、年を取ってこういうふうになったのかーとある種凄みを感じる。日本映画にはなかなかこういう女優は出してもらえない。キルスティン・ダンストもちょっと表情硬いけど、よかった。
 キーファー・サザーランドは最初から最後まで「24」のイメージが頭を離れないけど、あの役なら、そういう「浮いてる感」のままでよかったかも。
 しかし監督のうつ体験をもとにしていると評されているけど、うつのひとってああいう世界観の中にあるのか・・あれじゃあ苦しいだろうなあ。とはいえリアルでもあるしねえ。

 とりあえず、強烈な「文明批判」の映画と見た。

 
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by anti-phallus | 2012-02-26 18:10 | シネマレビュー | Comments(0)

沖縄のハルモニ

 関係者である特権で、『沖縄のハルモニ』を公開前に観ることができた。製作当時は色々と批判があったと聞いていたからどうなのかなと思って観たが、映画に厳しいわたしにしても、非常に良かった。
 「慰安婦」問題の記録としても重要な証言がたくさんあった。なんとなく、ハルモニがひとりで語る映像を予期していたのだけど、そうではなく、周辺の人々の証言も充実していた。韓国取材もあり、「慰安婦」問題に取り組む研究者や市民運動の人々はこれは是非観た方がいい。
 また、そういう史料的価値を超えて、作品としてもよくできていた。監督とペ・ポンギさんの関わり合いがみどころだが、一定の先入見をもって語りかける監督と、ゆらりゆらりとかわしながら応えるハルモニの会話の間合いは絶品だ。
 
 年を取った女性、それもかなりの貧困層である女性がひとりで生きている空気感。世間から、社会から陽の当たらないところで、病を抱えながら、でもしっかりと生きている瞬間。

 暴力や差別のただなかを生き抜いてきながら、今は静かな沈黙をたたえていた。
 それから約10年後、「慰安婦」問題はどんどん政治化していくが、その直前の、まだ沈黙が支配していた時代。

 沈黙とは死ではないのだと実感させられる映画。是非、観てください。
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by anti-phallus | 2012-01-26 22:18 | シネマレビュー | Comments(0)

小人の饗宴

 ヘルツォークの『小人の饗宴』はすごかった。観ているのが苦痛だったはずなのにいつの間にか快感になっている・・・。シュヴァンクマイエルの『アリス』を観たとき以来の衝撃。
 同じく障害者が出てくるという意味で例えば原一男の『さよならCP』と比べて考えれば、ヘルツォークがどれだけぶっ飛んでいるかよく分かる。原はあくまで運動(障害者解放運動)と伴走しようと撮っている。しかしそのなかで被写体がそこからはずれていく瞬間があって、それが魅力にもなっている。『ゆきゆきて神軍』もぶっとんでるけど、あれはあくまでぶっとんだ被写体に監督が振り回されている構図。
 『小人の饗宴』はもう全てがぶっとんでいた。悪罵と暴力と虐待の中で、観客は自分の枠組みが崩れていくのを感じ、理性や正義がいかに薄いものであるか実感させられる。理性や正義が人を解放するのではない。暴力や差別こそが解放なのだと言うように。しかし映画は、暴力や差別によって解放されているはずの人間たちの狂乱を映し続け、解放という言葉のむなしさを照り返すようだ。理性や正義が登場しない狂気の世界では、狂気こそがスタンダードとなる。そして人間たちは狂気に縛られ、運転手のいない車とともに廻り続ける。

 ニュー・ジャーマン・シネマの旗手と称されているが、フランスのヌーヴェルヴァーグより、こっちのほうがすごいんじゃないかと思った。正直、ゴダールは何作観てもわたしにはちっとも面白くなく、近年のものは特に単なる形式美にしか見えない。ルイ・マルやトリュフォーは大好きだけど、ヘルツォークのインパクトはないなあ。
 しかしヘルツォークをやってくれる名古屋シネマテークはほんとうにありがたい。どうかつぶれずに頑張って名古屋の文化ステージを引っ張ってほしい。名駅裏のシルバー・ゴールド劇場の閉館を迎えて、ますますそう思う。
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by anti-phallus | 2012-01-09 20:48 | シネマレビュー | Comments(0)

男女のカップルの不自由「2lines 私、妊娠しました」

 また更新まで間が空いてしまった。あまり熟考してないんだけどとりあえず書く。
 今日は9/11。3/11を経たせいで、また違った意味を感じる。どう違って感じているのか、まだ言葉にはできない。
 先週は愛知国際女性映画祭があり、ちらっとだけ行った。「two lines」という韓国のドキュメンタリー映画が心に残った。これは,日本ではほかにはまだ公開の予定はないらしい。そんなレアな映画の評を書いてもしょうがないような気もするんだけど、いつか多くの人に観られる機会があることを願って書く。

 これははっきりとしたフェミ映画でした。結婚と出産をめぐったもの。監督(女)は、家父長制への批判的な感覚から、結婚制度には反対で、恋人(男)ができて同居はしても結婚はしない。だけど、ある日、恐れていた二本の線を妊娠検査薬に発見して、それからどんどん渦の中に。
 周囲の雰囲気、「子どもができたら結婚するのが当然」に抗して、結婚せずに出産しようとするが、生まれた子どもに病気があった。そのような場合、公的な保障を得られるが、それには結婚している親でないと得られない。また、子どもの病気は自分のせいなんじゃないかと監督は自分を責め、うつになる。そうして、とうとう、結婚する。
 これだけ見ると、結局「家父長制に屈服した」ことになるので、元気の出ない映画ということになるんだけど、そうはいわず、一歩引いて見ると面白い。
 結婚したとたん、監督は無口になり、画面にあまり登場しなくなる。登場しても,表情が暗い。それまでユニークな、意志の強い顔で登場し、自分や社会を語っていた監督が、急に変わるんです。
 そしてその代わり饒舌になるのがパートナーなんです。もちろんそういう監督の選ぶ相手だから「家父長制的」ではなく、問題意識もあるし、家事もやってそうだし、良さそうなひとなんだけど、どんどん語る。その語りは、自分の中のマッチョな意識を自省するものだったり監督への思いやりだったり、感じはいい。
 でもやっぱり、語っているのは夫なんです・・・

 映画は、あまりはっきりとしない結末でとりあえず終わる。監督のトークによればまだ未完のようです。後にどんなラストが付け加えられるのか分からないけれど、今回の上映版でも十分伝わるものはあったように思う。

 それは、男女のカップルで性的な、親密な関係を作ることの難しさがよく表現されていた,ということ。同性のカップルの困難はあるところではよく語られるけど、男女のカップルこそ、良い関係を作るのが難しいんじゃないかと思う。対等で、自由な、相手を本当に尊重できる関係を作るのは、男女のカップルの場合、とてつもなく難しいと思う。
 ここで異性愛のカップルじゃなく「男女のカップル」という言い方をしているのは、男女のカップルで、自覚的に異性愛を選び取っているひとたちがどれだけいるのかなと疑わしいから。大半の人はそのまま社会の制度に乗っているだけだろうから。
 男女のカップルは、すぐに異性愛の制度に回収されてしまう。それは、ものすごい力で。
 単に結婚という制度の力だけではなく、経済構造の力、人々の視線、本人たちの意識。

 この映画は、その社会の力、本人も内面化している権力をよく映像に表現していた。制作者がどれだけ意識化していたのか分からないところがまたすごい。

 ほかには、子どもができるまではある程度自由にできていても、妊娠したとたん制度に回収されるところが日本とすごく似ていると思った。だけど、結婚についても人生についても、それぞれのひとがよく言葉にして語っていたところが日本と韓国の違いだろうかと思った。
 結婚制度がなくならない限り、ひととひとの自由で対等な、親密な関係は難しい。早くみんな気づけばいいのに・・・。















































 
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by anti-phallus | 2011-09-11 23:15 | シネマレビュー | Comments(0)