菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:ブックレビュー( 19 )

毛利嘉孝『ストリートの思想』

 今書いている論文のためもあって、標記の本を読んでいる。
 カルチュラル・スタディーズの紹介をして知られている毛利氏が2009年に出したもの。
 素人の乱や新宿段ボールハウス村のアート活動やナイキ公園反対運動など近年の若い世代の「新しい運動」を、「ストリートの思想」として読み解いている。
 ストリートの思想とは、90年代以降凋落した知識人や大学界、論壇に代わって登場したもので、狭義の政治に止まらない文化や思想運動が一体となった政治運動。特定のリーダーではなく、共鳴する個々人のネットワーク的に展開されるのが特徴。
 これ自体は面白く、納得できる論だった。スペクタクル論の視点を出したり、新しい運動を資本への対抗という側面から明示しているのも非常に重要な点だと思う。
 とくに大学的知識人の影響力低下についてはっきり指摘しているのが印象的だ。この変化はあまりに自明なためか、わざわざ言及されることが少ないように感じる。まあよく見るとこの変化も微妙で、やはり紙媒体では有名な大学の肩書きに依存する側面はまだまだ残っていると思うが、ネット空間ではそうでない傾向が顕著で、毛利の指摘通りだと思う。
 ただ、不思議なのは、女性の存在やフェミニズム的な運動について全く触れていない。この本は80年代から説き起こす歴史的論述でもあるのだが、80年代というのはフェミニズムが大きな存在感を持っていた時代だし、反貧困運動やフリーターの運動の中でもジェンダー的問題意識をもつひとびとはいる。
 確かに、フェミニズムの存在が毛利氏の目に触れない程度のものだったのかもしれないが、それにしても・・・。セクシュアリティ関係の運動についても全くだし。
 そういう問題も含めて、ドゥルーズ=ガタリ的なんだよなあ。スピヴァクのドゥルーズ批判とまさに重なる。残念。
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by anti-phallus | 2012-10-18 17:24 | ブックレビュー | Comments(0)

ノルウェイの森

 映画を観たので原作を読み返したくなった。
 大学に入ったばかりのころ友人から借りて読んだ。そのときは、こんな世界があるんだと思ったけど、今はもっと深く感じることができる。たぶんあのころわたしは言葉を持っていなかった。じっさい、言葉を持っていないことが不安で怖くてたまらなくて、本ばかりむさぼるように読んでいた。図書館にいれば安心できたあの頃。
 今は、読みながら、自分の言葉を探してきて、たぐり寄せて、考えながら読むことができる。小説の中と同じような経験、同じような思いが湧いてくる。
 随所に出てくる学生運動への批判。それに対峙するような、女性たちの声と身体。
 村上春樹とフェミニズムの関係性は誰かが論じなければならないだろう。

 誰かが自ら死んだとき、残されたものたちはどうやって生きていけるのだろうか。誰かが捨てた、逃げた世界で、残されたものたちはどうやって病まないでいられるのだろうか。

 主人公は、友人の自死を経て、東京の大学にやってくる。そこで出会うのは1969年、真っ盛りの学生運動。時代が大文字の政治に夢中になっている中で、彼は個人の闘いを担わなくてはいけない。この作品は、そのせめぎあい、個人レベルでの孤独や虚無、欲望と、大文字の政治のレベルとのずれ、対立を主題のひとつとしている。そのなかで彼を救うのはある女性たちとの関わり。

 発表された当時、緑と赤の装丁と相まって、時代の象徴として語られたが、今読み直しても古さを全く感じさせない。若い年齢に共通の、不安定さと暴力性、理想主義、傲慢さ。
 少なくとも当時わたしはこれを読んで、なにがしかの支えは得られたと思う。当時は気づかなかったが、こんなに暗くてもいいんだ、無気力でもいいんだと感じた部分があった。今の社会で、そういうメッセージは得難いのではないか。自分の中に閉じこもって、社会の役に立たない時間、周りに喜ばれない時間をもってもいいんだと。ほんとうに苦しんでいる人は、そういうメッセージを必要としているのではないかと思う。
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by anti-phallus | 2011-01-18 23:24 | ブックレビュー | Comments(0)

堀江有里「性の自己決定と〈生〉の所在」

 表題の論文は以下に載っています。

仲正昌樹編『自由と自律』御茶の水書房

 分かりやすく、一気に読んでしまった。先行研究をレビューしながら筆者自身の主張がよく出ている。
 女性のセクシュアリティについてレズビアン・スタディーズとフェミニズムの知見から分かりやすく、鋭く論じている。
 性的欲望が常に男性的なものとしてイメージされてしまい、そのなかで性を語る言葉もを持たない女性たち。あえて男性的なスタイルを借りて性を語ることに希望を見いだせないし、だからといってわたしたちにとって性が大事なものでない訳ではない。名付けられない何かを共有している点でレズビアンという名前を選択した女性とそうでない女性の間の「境界線』は明確ではない。
 だが同時に、筆者はそこに横たわる溝についても論じる。異性愛的な生き方から積極的に出ようとはしない女性たちがレズビアンへの親近感を語ることで、レズビアンは消費されていく。
 筆者はこの両義性を丹念にほどいていくことが課題だとして結ぶ。

 最近、セクシュアリティを語ることは、結局のところ、豊かな関係性、豊かな生き方を目指さない限り、あまり意味がないような気がしてきた。同性愛と異性愛の境界線を明確にするのも必要なことだけど、それによってどちらに権威がある訳でもない。異性愛中心主義が「よくない」のは、それは貧しい関係性、貧しい生き方しか導きださないからではないだろうか。
 この社会で異性愛は限りなくジェンダー化されており、欲望までもがジェンダー化されていて、自由な空気は実現しにくい。だからといって異性間の関係がすべてだめなわけではなく、それぞれの個別なところでジェンダー規範から自由になるべく工夫や努力はされている。しかし結婚制度や家族単位社会があるので、異性愛はどうしても支配的なスタイルへ流されやすく、窮屈になる。
 だからあえて同性間の性関係を選択すればそのような圧力からは自由になるが、もちろん差別はあるし、すべての同性間の関係が自由な訳でもない。

 つまり、豊かな関係性を求めれば、自ずと異性愛中心主義的な生き方からは外れざるを得ない。それは制度から外れるという意味でプレッシャーはあるけど、個別の瞬間で、制度から自由な人の優しさに触れたり、自分や他人の意外な顔を見ることができたりとかけがえのない喜びを得ることができる。
 レインボーグッズを見ていたらそんなことを考えた。
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by anti-phallus | 2010-12-28 15:02 | ブックレビュー | Comments(0)

『70年代』つづき

  著者インタビューから、気に入った言葉を引用します。

  その頃は検閲がありました。私たちには、75年に砂糖農園で働く季節労働者を主題にした映画『サカダ』をつくり、そのフィルムを軍隊に破棄されてしまった経験があります。けれど私が小説や文章を書くときには、検閲などないのだと言い聞かせて、何でも書きたいことを書くようにしています。検閲するのは政府の勝手だけれど、自分自身でまず検閲し手加減して書いたりしてはならないからです。もちろんあとで検閲を受けることになりますけれど、自分自身で検閲してしまうのは大きな過ちだと思っています。『70年代』を書いたときのことで私が言っておきたいのは、これを書いているあいだ私は検閲のことだとか、軍隊に逮捕されるかもしれないとか一切考えなかったということです。実際に逮捕などされませんでしたけれどね。この小説を書いて私が証明したのは、一番の敵は「おびえ」なのだということ、「ためらい」なのだということです。たとえ検閲があっても、作家自身は自由でなければならず、毅然としていなければいけないのです。そのことが証明できたのです。
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by anti-phallus | 2010-11-12 17:42 | ブックレビュー | Comments(0)

フィリピンの女性文学『七〇年代』

 最近はやっと時間ができて、元気も出てきた。
 元気の出る小説としてお薦めの本、ルアールハティ・バウティスタ『七〇年代』(めこん)。
 1970年代フィリピンの社会を女性主人公の言葉から活写した作品。中流階級の「普通の母親」だった主人公が、家庭生活の変化や時代の空気の中で少しずつ変わっていく過程が描かれている。
 面白いのは、主人公のアマンダの心の中の葛藤が、ベティ・フリーダンが書いたようなアメリカ中流階級の専業主婦の女性のものと酷似しているところ。可愛い子どもと頼もしい夫に囲まれ、彼らのために生きることで満ち足りているはずが、いつのまにか心の空洞を感じるようになっていく。彼女は「人間らしさ」を求めるようになっていくが、その心の変化の一因ともなっているのが当時活発であった左翼運動だ。
 フィリピンの労働者は結局のところアメリカ資本のために収奪される社会構造になっていて、庶民の貧困はいつまでも変わらない。フィリピン政府はこの収奪構造を変えようとはしない。これを変えようと多くの若者が運動に入っていき、アマンダの息子もそうだった。
 アマンダは初めはとまどい苦悩するが、徐々に活動家たちの理想を理解するようになっていく。と同時に夫との関係性も変化していく。

 運動をやや美化しすぎな感もあるが、普段なかなかフィリピン社会の実情に触れられない日本の読者には衝撃を与えうると思う。また、民衆の貧困についてはマスメディアもある程度報道することがあるが、その貧困に対して闘っている人々の存在については黙殺している。
 日本とはあまりに違う社会。今、国内で問題化されている貧困を、このようなアジア諸国、周辺化されている国々の下層のひとびとの貧困とつなげて考えてほしい。最近の私は、その視点がない日本の貧困論に、いらだちを感じてしまってしょうがない。『蟹工船』が話題になるなら、この本も、この本こそ是非読まれて欲しい。
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by anti-phallus | 2010-11-10 17:11 | ブックレビュー | Comments(0)

フェミニズムはだれのもの?

今日はフリーターズ・フリー対談集『フェミニズムはだれのもの?』を読んだ。
暑い中だらだら汗を流しながら。

面白かった。。!

今自分が直接取り組んでいる、「じゃぱゆき」関連のもの以外で
面白がれたのはちょっとひさしぶりかもしれない。

まあフェミ本としては対談集だし、もっと突っ込みがあるほうが
もちろんベターなんだけど、少なくとも今のフェミ、フェミの今を
なにがしかの形ですくい取っているとは思う。

上野さんを対談に呼んでいるのはどうなのか評価しにくい。
でも栗田さんがちゃんと違和感を直接言っているから、こういうのは
なかなかできるひとは少ないと思う。

わたしは結局、今のいわゆる「当事者」(狭義の)にはなれなかった・
ならなかったけど、栗田さんの言葉には共鳴できるところがいくつかあった。

しかし、どこかのブログに書いてあったが、松井やよりの同名の著書を、
この本を出した後に知ったというエピソードには少し悲しさを感じた。
フェミニズムのなかでの松井さんのポジションは、すごくもったいないなあ。
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by anti-phallus | 2010-08-21 00:29 | ブックレビュー | Comments(0)

つづき

 上間さんの論文について感想を書きます。
 全体的に分りやすく読みやすい。こういうと単純なことのように聞こえるけど実はこれが一番難しいことだと思う。研究論文であれば、分りやすい文章を書くのは大事なこと。

 だいたいのところ的確に論点を整理していると思うのだけど、不思議感が残る。筆者の学問観、アカデミズムとしてのフェミ観なのか、それがわたしの感覚と少しずれているような。そしてそのずれは内発的なものだけでなく、環境要因も大きいような。。。

 例えば以下の部分。

 「しかし、フェミニズムが展開されている大学、大学院という場では、先行研究を押さえるという形で先人のフェミニズムの思想とその意味をしっかりと「誤解なく」把握し、その上で自論を展開すべし、というフォーマットが用意されている。用意されているというよりも、それ抜きには、一人前の「研究者」として認められない。」

 まずわたしの院生時代、研究室にジェンダー専門の専任教員はいず、わたしの指導教官は人類学者で、アフリカが専門。ジェンダーやフェミについて一定の知識はもちろんあるが、専門の教員はいなかった。だからゼミ等で発表しても、「フェミニズムの思想と意味を正確に把握しろ」というプレッシャーはあまり感じなかった。それよりは社会学や調査方法・社会科学としての方向からのコメントが多く、ジェンダー・フェミニズムの面には遠回しな反応や誤解にもとづいた反応が他の院生含めて多かった。

 それがかえって楽だった。院生の中にはジェンダー関連のひともいくにんかいたので、研究会や読書会でジェンダー・フェミニズムについては学ぶ機会があった。

 上間さんの書き方だと、完全にフェミニズムが社会学等の学問分野のひとつとして認知され並列されている環境のように感じられる。
 それに比べるとわたしの経験では、悪く言えばフェミニズムは外野・傍流扱いだったし、良く言えばその分自由だったのかもしれない。

 それと関連して、次の部分。

「つまり、私の「女性」としての経験=研究を、「価値がある」もしくは「既に論じられている」と「見做す」のは私ではなく、その道の先を行くフェミニストでありアカデミシャンである。」

 ・・・。これって事実なら、ものすごく抑圧的な環境なのでは。なんだか幾重にもずらしがあるように見えるが、例えば筆者が何か自分の経験に関わることをゼミ等で発言すれば、「女性としての経験」と見なされ、それが「フェミニズムの歴史」に照らしてジャッジされ、正当性や価値を判定されてしまうのだろうか。うーむ。

 それと、末尾のほうでも感じることなのだけど、この論文では、フェミニズムの研究の定義が、「女性の経験を理論化すること」と前提されている。だが、この定義はフェミニズムというよりは女性学の発想だと思う。わたしは、フェミニズム研究というのは、いわゆる「女性の経験」に限定されるものではないと思う。「女性」と見なされない存在だったり、「女性的な経験」と認知されなくても、それがジェンダーやセクシュアリティ、あるいは性差別と関連のあることであれば、研究するに値すると思う。

 なんだか「女性の経験」という錦の御旗に振り回されている空気を推測してしまう。そんななかでも真摯に関わろうとしている姿勢には好感を感じるが、もしわたしの推測が幾分か当たっていたならば、そういう空気はごく一部の大学にしかないものだし、他の研究室ではまた違った空気があるのだから、少し環境を相対化して考えてもいいのではないかと思うのだけれど。どうでしょうか。
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by anti-phallus | 2010-08-20 21:03 | ブックレビュー | Comments(0)

ツイッターで教わった

ツイッターで話題になっていた以下の論文。

「フェミニズムに対する違和感」
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-10.html

『女性学』12号に書いた拙論が引用されていて嬉しいし、しかも「菊地」の漢字も
「菊池」になっていないし良いのですが、大きな事実誤認が・・・・・!!

菊地夏野はリブを経験し、大学院に在籍していたこともあることになっています。
あの~わたしいまは何を隠そうアラフォーですが、あの論文を書いていた頃は
アラサーでしたし、リブが真っ盛りだった70年代前半頃は生まれてたか生まれてないかくらいで、
リブに参加するどころかまだ言葉も覚えてなかったのですが・・・

(※アラフォーって35歳から45歳くらいの幅だよね??)

なぜにこういう誤解が・・・・?態度が大きいから??汗
上間さんって会ったことないけど。。。

まあそれはいいとして、内容のほうは結論部まではおおむね納得できるものでした。
結論が弱いというか、何を言いたいのかもっとはっきり書いた方が面白いと思った。

フェミ批判は、多少されているんだけど、どうも奥歯に挟まった物言いが多いですね。
言いたいことは言わないとストレスたまるし、運動も研究も前に進まないよ。

とりあえず今日はそれだけ。
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by anti-phallus | 2010-08-19 21:17 | ブックレビュー | Comments(0)

『セクシュアリティの障害学』

 最近読んで面白かったもの。倉本智明編『セクシュアリティの障害学』。
 とくに松波めぐみさんの章が興味深かった。障害を持たない女性の立場から、障害とジェンダー・セクシュアリティについて論じたもの。
 ロマンティック・ラブ・イデオロギーを基軸に、障害女性と非障害女性が異なる位置に置かれていること。とくに非障害女性がそれらの価値観から比較的自由だとしてもそれはある種の女性ジェンダー的特権性の裏返しではないかということ。
 鋭い分析と同時に筆者本人の問題意識がはっきり出ていてどんどん読める。
 ほかにも瀬山さん、土屋さんなどそれぞれの問題意識が感じられて面白かった。
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by anti-phallus | 2010-04-04 23:32 | ブックレビュー | Comments(0)