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菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:つれづれ( 49 )

選挙結果

 二つの選挙を経て、しみじみと時代を感じている。負けたのは、日本の政治的良心なのだろうか。

 しかし同時に、この結果が意外ではなく、当然だと感じる自分の心もある。日本は今うまくいっていない。日本社会の悪い面が前面に出ている。
 普段相手にしている若い人々から、今の社会の意識が伝わってくる。とくに男性は、「国家」の魅力に惹きつけられている。全員が総動員されて、一つの目的に向かって、敵に向かって戦う世界に憧れている者が多い。その思想内容がいかに単純で軽いものであっても。女性も、一つの枠に入れるように必死になり、遠くを見る余裕が失われている。
 若い人々のこういう意識は、社会の閉塞と自分自身の生き難さと不安を根拠にしているが、運動のイニシアティブを持っている60歳代くらいの活動家層はあまりわかっていないのではないだろうか。世の中がこれだけ不安定化していれば運動など関わる力は出てこないし、支配的な価値観に対抗できない。私の世代ですら、というかこそ、仕事や子育て、介護でいっぱいいっぱいで、政治や社会を考える余裕など残されていない。

 世の中は短い時間にあっという間に変わるんだなあと不思議である。私の学生時代にはまだまだ社会は余裕があった。不景気ではあったが運動はまだ元気で、日本を変える可能性もまだ現実的に感じられていた。それがどんどんきつくなっていった。労働環境は悪化し、社会的連帯のようなものは失われていった。
 とはいえ、日本社会の全員が改憲して「戦争のできる国」にしたがっているとか、拝金主義に染まっているわけではない。多くの人は平和を心から望んでいるし、憲法も変える必要を強く感じてはいない。だがそのような声が政治勢力として結実する仕組みが失われている。

 戦後の左翼運動が政治的に、また思想的にうまく継承されなかった損失は大きい。最近注目される左派的な運動が見事に「左翼」的なものを否定して差異化しているのは悲しい光景だ。
 それからマスコミが政治的圧力によって空洞化されてしまったこと。朝日新聞の「慰安婦」報道バッシングが総仕上げだったろう。今では学生に「新聞を読みましょう」と言いたくても言えない。インターネット上でましな情報を探す方が有益だからである。

 フェミニズムへの市民の共感が、都知事選の小池氏当選に利用されてしまったとすれば、フレイザーの悪夢の日本版である。鳥越氏は戦後左翼を象徴するような存在でもあったから、構図としては分かりやすい。
 日本はどんどん戦前のファシズムに似た状況になってきているが、そのまま昔を繰り返すことはないだろう。新自由主義という新しい意匠を伴っている。
 どちらにしても、しばらく平等や自由を愛する者にとっては苦しい状況が続く。暗闇の中、できることをやるしかないだろう。
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by anti-phallus | 2016-08-01 16:13 | つれづれ | Comments(0)

最近読んだ小説のことなど

 鬱々として追いまくられる(こういう書き方するとよほど暗いひとと思われるからやめなさいと言われたので削除)日々の中、なんとか生き延びていけているのはひとつには小説のおかげ。小説というものがあって、またそれを読める環境があってほんとによかった。

 わたしは漫画や音楽も好き、映画も好きですがそれらは楽しめる条件みたいなものがあって、ある時期には触れられなくなったりする。だけど小説はいつでも読んできた、と思う。比較的安くて、持ち運びしやすくて、体にも負担が少なくて、時間も自由にできて場所も選ばず・・・という様々な条件。
 というわけで最近読んでいたのはひとつには津村記久子という作家。このひと、結構前からよく知られている人みたいで、たまたま読むことになったのだけど面白くて大体全部読んだかな。でも当たり外れも大きい感じで、個性的なひとです。面白いのは「お仕事小説」とかいわれているらしいが、OLやサラリーマンが主人公の、仕事や日々のあれこれをだらだらっと綴った系統でしょう。瑣末なことが神経症的なまでに語られるのだけど、これって私たちの日常そのものだな、となんで今までこういう小説ってなかったんだろうと、確かに新しいジャンルの発見的な喜びがある。

 ただ、1点だけこの人の作風に違和感を感じたのは、たまに出てくる「救いたい欲求」みたいなもの。上記のお仕事系にはあまり出ていないのだけど、リーマンやOLではない若い世代を主人公にした系統のものにあります。毎日いろいろある中で、主人公が友人や誰かの問題を解決する、ということで終わる作品が何個かあるのだけど、少々それには乗れなかった。女が女を救ったり男が男を救ったりもあるのだけど、範型にあるのは男が女を救うヘテロセクシュアルなロマンであるようにも読めるのも悲しい。女性作家がヘテロセクシュアル・ロマンを描くということの意味を考える。

 救いたい願望は誰にでもある。救うというのは確かに絶対的な良いことではある。でも長年生きてくると、その願望の裏には権力への志向もあるよな、とも思わざるをえない。わたしが小説で読みたいのは、その両面を含めた世界なんだろうなと思う。
 まあそういうことを思わせてくれたことも含めてこのひとは嫌いじゃないし、新作が出たら読みたくなると思う。

 で、ツムラはだいたい読み尽くしたので本棚で眠っていたレイモンド・カーヴァーを読む。村上春樹が翻訳、編集したという。春樹にはわたしは微妙な感情を持っているので、まゆつば物で読み始めたけど、なかほどでギブアップ。やっぱりカーヴァーにしても春樹にしても良い作家だよね、と。男性の悲しみ、女性のむなしさをあるぎりぎりのところまで見つめているような。

 そして最近考えたのは、どの小説にしても、それが書かれた時代、場所にどっぷり埋め込まれているな、ということ。ツムラなどは典型だけど、今の日本じゃないとこれはありえない。カーヴァーも、この時代の他のアメリカの作家にも共通する、軽くてソリッドな世界の中で立ち尽くし、たまに立てなくなる瞬間のことを書き続けているようなところを感じる。それでもこのひとびとは立とうとし続けるし、誰かが誰かを救うことはできないのだけど、ほんの些細な小さいことを提供して、それで肩を抱き合っている。知らないもの同士が。そんな世界の悲しさと素敵さが描かれている。
 アメリカは国家としては強大で、ある場面では暴力的になるけれど、こういう作家がいるということはなんともいえない。
 小説が書かれるというのはたいていはごく個人的な欲求から始まるのだろうけど、それが最終的には作家を取り巻いているものの表現に終わっていくというのは不思議な感じ。私たちってどこまで埋め込まれてしまっているのか。。埋め込まれたくないという思いで人は書き出すのだろうに。
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by anti-phallus | 2016-04-30 13:47 | つれづれ | Comments(0)

昨夜の地震

 久しぶりの更新になってしまった。締め切りは重なってるし、新年度だしでバタバタもはなはだしい。
 そんななか昨夜の熊本の地震の報道で、なんだかとてもパニックになってしまった。自分でもびっくりしたが、やっぱり311のトラウマまでいかないにしても何か傷が残っているなあと実感。
 震災後の志津川(今は南三陸町になってる)の海辺を車でまわったときの記憶がよみがえる。こんなところまで波が来たのか、と恐怖を感じたあのときの記憶。去年、愛知のある温泉に泊まった時、海辺の宿だったのだが、夜になったら波が怖くて眠れなかった。バカみたいと自分で思いながら。
 海辺で育ったわけではないし、311のときに宮城にもいなかったが、それでも子どもの頃海水浴に行った志津川の海で起きた津波は、なぜか自分自身が体験したことだったかのように思えてしまう。本当の被害に遭われた方には申し訳ないけれども。
 故郷というのはそういうものなのだろうか。311以来、心のどこかにふたをして生きてきているような気がするときがある。そして5年経って、やっと目を向けられるようになってきたような気もする。今後、何ができるのか、また日本がこれからどうなっていくのか本当に分からない。ただ、原発の問題に背中を向けていってはいけないだろうとは思う。こんなに地震の多い国で、一体どうしようというのか。。。これ以上不安と悲しみを増やしてほしくない。
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by anti-phallus | 2016-04-15 20:58 | つれづれ | Comments(0)

理想のからだ

 ヨガをやってるとインストラクターの方が「理想のからだを目指しましょう」というようなことを言っているのを耳にする。
 改めて考えると、理想のからだって何でしょう。たいていの場合、有名な〇〇さんのスタイル、などが例に挙げられているのですが・・・。しかし、みながそういう誰かのからだを目指してそれに近くなるようにそれぞれのからだを変えていったら怖いことになるのではないでしょうか。どこを見ても同じような体型の人ばかり・・みたいな。

 人間はロボットではないので、それぞれの個性があってあたりまえ。わたしもからだに対して色々思いはありますが、やせようとするにも太ろうとするにもそれにしてもまず大事なのは、自分のからだを愛する、大事にするということではないかと。
 どこをとっても競争の激しい現代社会。とくに女性は顔やからだまで競争の対象になりがち。女を生きるっていうのはけっこうたいへんなことです。
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by anti-phallus | 2015-11-16 14:17 | つれづれ | Comments(0)

理解できていないこと

 この間ずっとイスラム国のことを考えていた。去年からその組織についてはネットで調べ出していて、中田考さんの著書を注文したりしていたところだった。
 最初の後藤さん、湯川さんの動画の公開は1/20だった模様。2週間くらい経つのですね。
 なんと言ったらいいのか分からない状況である。多分、わたしが何も知らないからだろう。イラクやシリアの現状について、とくにひとびとの思いについて知らない。パレスチナ問題についてだいたいの構図は頭に入れていて(つもりで)も、なかなかリアルに身を入れて学ぶことは出来ていなかった。

 しかしこの事件の「リアルさ」は何だろう。湯川さんや後藤さんの人間性や経歴についてある程度のことがネットを見ていれば分かってしまって、本人(と思われる)のツイッターやブログも簡単に出てきて、ふたりの「キャラ」について好き嫌いを述べるひとがいて、さらにふたりが拘束され、「殺害」されたとする動画が世界中に公開されている。
 また、「処刑人」といわれる人物についても情報が飛び交っている。

 わたしは、正直、今のこの状況をまだ理解できていない。

 この、暴力が「さらしもの」になっている世界をどうやって捉えたらいいのだろうか?
 もちろんそういった情報や映像、文章を隠すべきだとは思わない。一部の本当に残虐なものを除いて。例えばネットで情報の流通を禁じて、マスコミのみの報道に頼れば、全くほとんど何も分からない、「無知」の立場におかれるだろう。それで満足できるわけがない。

 そしてそもそもの、このような暴力組織を生んでしまったこの世界を、理解できていないというのがいちばん重要なことだ。
 今回の一連の事件の流れの他方で、イラクやシリアでは空爆や戦闘によって多数の人々が殺されているという。
 さらに日本政府は、ますますこの暴力の応酬に参戦していこうとしているようだ。

 「植民地主義」の恐ろしさを、今回は改めて感じることとなった。近代世界はその発端から侵略、征服という暴力によって成り立っていて、その傷跡はずっと残っている。この矛盾が最も大きく現在でも噴出している地域のひとつが中東だろう。
 現地の人々の絶望、諦め、叫び、 先進国に住むイスラム系住民の苦しみ。

 植民地主義から自由になれる者はいないと言わざるを得ないだろう。現在日本で起きている「慰安婦」バッシング、ヘイトスピーチなどの問題もこの次元から捉えられなければならない。
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by anti-phallus | 2015-02-05 18:05 | つれづれ | Comments(0)

ミソジニーの実例

こんなにもくだらない、女性の身体をあげつらったメディアが普通にあふれているのに、女性が女性の性器を表現したら逮捕、起訴する国って、どれだけ女性をバカにしてるのか。これがミソジニー(女性嫌悪)の実例です。あるコンビニで。


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結局この国は、女性が男の「欲望」みたいなものにしたがって可愛くしたり、たまにちょっと「色っぽく」してたりすれば、ご褒美を上げて「守って」やるよってそういう国だっていうことが今回のろくでなし子さんの事件ではよく分かる。

女性がそういう秩序に従わず、ちょっと自分で自分の身体を自律的にコントロールしようとするととたんに権力発動。
あまりに分かりやすい。

これはその他大勢のわたしたち女性への見せしめです。女はこの国の男性中心的秩序に従っておけ、さもなければ・・・という。みな逮捕されたり責められたり白い目で見られたりするのはごめんだから、おとなしくせざるを得ない。
今の日本は女性にとって恐怖と危険で満ちている。
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by anti-phallus | 2014-12-25 13:24 | つれづれ | Comments(0)

ジェンダーの意味

 最近思うこと。
 ジェンダー論を長年やってると、ジェンダーやフェミニズムの学問的な深化が当然のことになってしまって、そこからしか考えなくなっちゃう危険がある。

 わたしは『ジェンダー・トラブル』のあたりから入っているから、ジェンダーは社会構築物だということが当たり前できちゃってるんだけど、たまに、学問や研究関係でないひととそういう話をすると、改めて、ジェンダー論って全然浸透してないな〜と感じ入る。(注:いやよく考えれば、学問関係の人と話しててもそうだ。単に、ジェンダー論について詳しくない人と話すと、ということですね)

 当たり前なんだけど、でもセクシュアリティ関係の集まりでもそういうことがあると、けっこう愕然としてしまう。セクシュアリティの運動と、ジェンダー論の進展が切れてるのかもしれない。

 世の中のたいていの人は、男女の性差は自然に決まっている生物的なものと考えている。その性差というものの中身は、「女のコはフリルやかわいいものが好き」とか「男はむきむき」とか「男は女が好き」とかジェンダー論的にはかなり第一歩的な内容。

 性同一性障害という「疾患」に関する認識がそういう傾向を後押ししたのかもしれない。そう思うとなんともいえない気持ちになるが。

 ジェンダーの認識は個人によってばらばらでありながら、改めてそれが表に出されることは少ない。みな「男の人は〜よね」とか「女は〜だから」とかぶつぶつ言うだけで、それが本当にそうなのか、どうやったら検証できるのかなどまでは考えない。
 このように身体化された言説だからこそ支配力も大きい。

 ジェンダーは社会的につくられる、内容は恣意的でその時々で変わる、それに縛られる必要はない、ということを何度も何度も言っていかなくてはいけないのだろうか。










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by anti-phallus | 2014-05-29 10:28 | つれづれ | Comments(0)

ギラギラしていないけど輝いていたサンフランシスコ

 サンフランシスコに行ってきました。もうこれで5回目くらいになるかと思います。わたしはサンフランシスコが大好きで、移住したいくらいです。行くたびに街の人々の生き生き活動しているところに触れることができる。地理的にも経済的にもちょうどいい規模。LGBTが堂々と暮らせそうな雰囲気。適度におしゃれだけどギラギラしていない。行くたびにホッとして、楽しくなります。

 今回は、向こうに滞在している友人に案内してもらえたこともあり、より深くサンフランシスコを知ることができました。
 それで感じたのは、今は「権利」を認められたように見えるLGBTの闘いも、これまで偏見や暴力に囲まれ、また内部にもはらんで、それでも変化してきて今があるということ。
 日本に暮らして、滅入ることの多い日々。息が詰まりそうですが、少し外の空気に触れて、楽になりました。

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 写真は、市庁舎です。ホテルがたまたま近くで、食事に出た最後の夜に歩いていたらレインボーにライトアップされていて、驚きました。友人に聞いたら、2004年にサンフランシスコで一時的に同性婚が認められた時期があり、それから10年経ったことを記念したものだそうです。
 LGBTの運動にもさまざまな矛盾があります。とくにわたしは同性婚をめぐる状況は複雑だと考えています。ですがこんなふうに行政が公的にマイノリティのシンボルを身に纏うのは、単純に素晴らしいなと思います。名古屋で、市役所がこんなふうに美しくなる日はいつくるのでしょうか。
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by anti-phallus | 2014-02-22 10:35 | つれづれ | Comments(0)

 この前海に行きました。
 福井の方の温泉に泊まり、少し足を伸ばして日帰り湯にも行こうということになりました。思いつきの旅程でしたが、それは正解でした。
 電車に乗って、雪道を歩いて温泉施設に着きました。入り口から入って突き当たりを眺めると、そこには激しい波が見えました。大きな一面張りのガラス窓の向こうには、悪天候の下で強く打ち寄せる波の重なりが見えました。
 それは何度も何度も白い歯を見せながら、噴出しては消えていき、しかしなくなることはありませんでした。
 次に驚いたのは、そのガラス窓の手前はロビーのようになっていて、いく人かのお客さんがソファーに座っていましたが、その人たちは平然として普通の顔をしていることでした。驚いているわたしがバカみたい。もちろんそのひとたちは波を見た初めは驚いたかもしれませんが、すぐ普通にもどってしまうんですね、当たり前ですが。こういうとき、人間って、不思議な気がします。自分の思いを隠したり、すぐに心を切り替えたりできる。
 わたしがとくに海に反応しやすいのかもしれません。子どもの頃から海が好きで、ぼんやり波を見ていると時間が経つのを忘れる。
 久しぶりに海の近くに行ったので余計に印象的だったのでしょうね。あの瞬間を忘れたくないなと思います。
 それから、ガラス窓の近くには説明板があって、明治か大正時代に、オランダ人技師の協力で堤防が作られたことが記念されていました。そのオランダ人の方の似顔絵入りで。彼らの子孫がいるとしたら、子孫たちはこのことを知っているのですかね。日本の片田舎の温泉で、先祖の名前と似顔絵が飾られていることを。
 海は植民地主義の歴史を運び、また回想させる。クッツェーの小説を読んでいるので余計にそう思えます。
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by anti-phallus | 2013-02-28 18:14 | つれづれ | Comments(0)

角田さんセミナー感想「まやかしいくさ」

 先日土曜の角田由紀子さんセミナーはとても面白かったです。
 「法とフェミニズム」ではなく「フェミニズムと法」と題されて、フェミニズムが法にどのように関わってきたか、戦後の歴史を振り返ってくださいました。角田さんご自身の人生や活動がそこにそのまま絡む形で、なかなか興味深かった。
 近代法はもともと男性中心的な公私二元論的発想から作られたこと。
 弁護士の男女比が10%を超えたのはやっとこの10年ほど。
 全国初のセクハラ裁判を支援した経験や池袋買春男性死亡事件の支援に関わった経験。とにかく貴重な経験談ばかり。
 最後に、現在のフェミニズムの状況ということで、フェミニズムという名前からジェンダーや男女共同参画という受け入れられやすい言葉に変わったこと、それ自体は否定できない意義があるとしながら、「わたしはどこか“まやかしいくさ”をやってる気がしてしようがない」と語っていたのが印象的でした。
 角田さんは、ご著書やインタビュー記事等紙面で見るよりずっと柔らかい雰囲気の気さくな方でした。
 大学の年報に講演録を掲載する予定ですので乞うご期待。
 余談ですが、普段は教授会をやっている部屋で、角田さんや杉本さんのばりばりフェミニズムな言葉が響くのを聞くのはとてもスリリングでした。
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by anti-phallus | 2013-02-25 23:22 | つれづれ | Comments(0)