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カテゴリ:クィア/LGBT( 4 )

反婚とヘテロセクシズム

 反婚について書きます。
 世の中同性婚に向けていい感じの雰囲気のようです。もちろんそれほど社会的に認められ、日本でも実現!というほどのものではないですが、各地の自治体で同性パートナーシップに関する条例が作られ、「同性でも結婚できていいんじゃない?」というゆるい意識が広がりつつあるのではないでしょうか。

 ただ、わたしは、賛成している人の多くは積極的に絶対同性婚認められるべき!という強い意見というわけではないだろうと思います。多くの人は同性婚そのものというより、同性婚が認められたらLGBTの可視化も進み、平等になるだろうという思いから賛成しているのではないかと。

 確かにそれはそうかもしれない。じっさい、LGBTのメディアでの報道は増えてる(その一方で未だテレビのお笑い番組などではセクシュアル・マイノリティを差別しているのか?というものも多くてうんざり)。また、現実問題として自分の親や親戚に同性パートナーを紹介するとき、同性婚制度が実現していたら言いやすいでしょう。それは大きな効果だと思います。

でも、フェミニズムの視点から見ればこれは非常に苦しい。フェミニズムが長年主張してきた結婚制度の問題があいまいにされてしまいかねないからです。
もちろんフェミニズム的にいって、同性婚がよくないわけではありません。そうではなくて、同性婚の是非という問題の立て方が疑似問題に過ぎないのです。
結婚制度が問題なのは、それが同性愛者を排除しているからではないのです。それが、女性に対する差別を構成しているからであり、ひいては全ての人に対する管理につながっているからなのです。

 結婚制度は、女性を男性中心社会に従属させるための最も重要な装置なのです。多くの女性は、経済的必要から結婚を必要とします。男女の賃金格差を示すデータはたくさん出ていますので調べてもらうとして、女性は年をとればとるほど資本主義市場から安く見られ、排除されていきます。それは無情なほどです。働いている人も、多くの場合職場は女性に優しくないので、辛い労働についていけないひとは「結婚」や「出産」で仕事を辞める方向に流されていきます。わたしは主婦になるという選択を否定しているわけではありません。主婦というライフスタイルはやり方次第では魅力的でしょう。ですが問題は、それがたいていの場合女性に優先してあてがわれているポストだということです。男性も女性も自由に主婦・主夫を選択しやすい社会なら問題は小さいですが現状はそうではない。そして主婦であることの最大の問題は経済的自立がなくなることで、夫の収入に依存する弱さを抱えることになる。DVの温床です。

 女性の資本主義市場での弱さを正当化しているのが結婚制度。「夫に養ってもらっているのだから」というのが女性を解雇したり、女性を低く評価する場合の経営者の言い分。全ての女性が夫に養われているわけではない、という当たり前の事実は経営者にとっては意味がないのです。
 そして、女性自身が、今の日本の雇用システムの中で仕事をもち、家事・子育てをすることの大変さを予測しているので、胸を張って「わたしは定年までばりばり働きます」といえるひとは多くない。わたしの見ている学生の多くも、仕事と家庭の両立の負担を感じています。

 逆にこのような労働のジェンダー不平等のない社会であれば、結婚するひとはがくっと減るでしょう。(子ども、家族の問題は残りますがこれは後日。)そのとき結婚制度の価値は下がっているので、社会の様々な面が変化していると思われます。ジェンダーの意味が大きく変わっているので影響は計り知れない。
 ですが、わたしは結婚制度と資本主義の結びつきは限りなく深いと考えているので、そのような仮定は成り立たないように思う。詳細はマルクス主義フェミニズムのような話になりますので割愛。

 フェミニズムは結婚制度を批判し続けてきたのだけど、この20年くらいの社会の貧困化の中で、結婚制度が生存のための戦略的価値を最大化しているので、結婚制度批判はしにくくなっている。結婚しないで済む人はある意味エリート、ということになってしまっている。お金のある人はひとりで生活しても楽ですが、貧しいと生活資源をシェアしたほうがいいですからね。

それから男性と結婚制度ですが、男性の多くは家事をしてもらいたいというニーズから結婚制度の必要性がある。ですがそのかわり、妻子を養わなければならないという負担が出てくる。わたしはあまり分かるとはいえないのだけど、その負担感はかなり大きいのではないだろうかと思います。この男性の扶養義務は、労働者を企業のいいなりにさせる大きな要素でしょう。

そして男女どちらにしても、「結婚しないと寂しい」という心理的問題が以上の社会経済的な結婚への圧力を総仕上げしているわけです。ですがこれも、結婚制度がそれだけ社会を支配していることの効果であって、結婚が価値を下げれば別様の感じ方になるでしょう。

というような結婚制度の社会経済的分析が、同性婚やパートナーシップの議論には欠如している。みなさん、自分の性的なパートナーを国に認めてもらうなんてどれだけ「わいせつ」なことか、気づいてください!
・・・なので、わたしは同性婚自体には賛成でも反対でもないです。問題はそこではない、という立場です。そういう意味で反婚、です。















 
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by anti-phallus | 2016-02-23 17:56 | クィア/LGBT | Comments(0)

渋谷区同性パートナー証明条例について思うこと

 渋谷区のいわゆる同性パートナーシップ条例の件が大きく取り上げられている。東京レインボーパレードが4/26に開催されたこともあり、盛り上がっている。パレードも渋谷の条例を意識した演出が多かったようだ。

 こんな雰囲気の中で違ったことをいうのはためらわれるが、わたしはこの盛り上がりに危惧している。

 もちろんほかにもこの条例に批判的な声はあるが、それは「同性婚や同性パートナーシップの公認自体には賛成だが、今回の条例は進め方に問題がある」というものだ。条例を推進した議員が、渋谷区の野宿者排除や「ナイキ公園」設立を推進したのと同一人物であるということが指摘されている。また、条例で定められるパートナーシップの認定手続きに高額な費用がかかることや、実質的に認定されることのメリットは小さいことなどが批判されている。ただし、これらの批判にしても「本来の正しい手続きにのっとった同性婚や同性パートナーシップ」であれば賛成、という点は大勢と変わらない。

 いつからみながこんなに結婚制度賛成派になったのだろうか。
 確かに、1歩退いて、結婚制度そのものの賛否ではなく、現状の結婚制度が男女のカップルにのみ認められていて同性カップルに認められないのはおかしい、という点のみに絞って同性婚に賛成しているのかもしれない。しかし、どんな制度であってもすべてのひとに開かれるべきだと、いつどんなときにでもいってよいものだろうか。
 連想されるのは、フェミニズムにおける女性兵士の問題である。長く男性のものであった軍隊に、女性が参入していくことの是非。軍隊とは基本的に殺人のためにある国家組織である。そこに女性も参入して、暴力を行使する権利を認められることが男女平等、あるいはフェミニズムの目標なのだろうか。少なくとも、フェミニズムでは長い議論がある。簡単に結論を出していい問題ではない。

 結婚制度が軍隊とは違って非暴力的なものだとしても、結婚制度と女性差別は切り離せない。いくら法的に見れば男女平等に規定されているからとはいえ、性役割分業を固定化し、公認するのが結婚制度である。女性は、妻・母役割を理由に賃労働では一人前の労働力とは見なされず、安い賃金に甘んじている。職場は家庭責任のない男性労働者を標準化して構成されており、「競争力のない」非男性的労働者はどんどん追い落とされて仕方ないと見なされている。しかも日本では、強い「家意識」や「家族規範」のため、結婚圧力が強く、また「ヨメ」「主人」といった上下関係を色濃くにおわせる役割名が現在でも生きている。結婚制度を利用せずに自由に生きる道はまだまだ険しい。経済的にも、精神的にも。

 そのような息苦しい制度に参入する権利を非異性愛男女にも認めるのがそんなに良いことなのだろうか。
 確かに、結婚制度に賛成なのではなく、同性パートナーシップや同性婚を認めることでLGBTの存在が可視化・公認されることが素晴らしいのだと反論されるかもしれない。だが、LGBTというありかたを否定するのがそもそもの結婚制度なのではないだろうか。男女の非対称なカップルである結婚をすることが「人としての正しいあり方、生き方」とでもいうかのように結婚制度に依存した現在の社会そのものが、それ以外の生き方を周縁化し、否定しているのである。その排他的な制度に参入することで存在を可視化されたと勘違いすることの危うさを、もっともっと自覚するべきではないだろうか。
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by anti-phallus | 2015-04-30 15:45 | クィア/LGBT | Comments(0)

虹パレ

 昨日は虹色パレードでした。名古屋で行われるレインボー・パレード。雨が強く降っていて、どのくらい来るかな〜と心配でしたが、行ってみたらけっこう来ていて、主催の方々も安心したことでしょう。名古屋ではこれで3年目。これまでわたしは毎年別の仕事が入り参加できなくて、今回は初参加で嬉しかったです。
 たぶん道行く人々からは、何の催しか分からない人も多かったのでは。雨のせいもあってか、仮装も少なめ、プラカード等も持っている人も少ないし、普通のデモのようにシュプレヒコールみたいなのもないので、何を訴えているのかがぱっと分からないと思うんですよね。
 それといつものことですが、警察が、管理がうるさい・・・マラソンなら通行止めにするというのに、デモやパレードでは自動車優先・・・なんとかならないのでしょうか、この日本社会の人権意識の薄さ。
 デモやパレードは、一般市民にできる数少ない政治的活動。警察や公共機関はそれを尊重すべきなのです。せめてマラソンと同等くらいには尊重してほしい。。

 その後は某クィアーズで法律セミナー。弁護士の方々がセクシュアル・マイノリティーにまつわる諸問題についてレクチャーしてくれました。大盛況で店内はいっぱい。こういうイベントもいいですね〜。
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by anti-phallus | 2014-11-02 10:21 | クィア/LGBT | Comments(0)

結婚の平等を求める運動における不平等

 ある文章を紹介します。エミー・スエヨシさんというサンフランシスコ州立大学の研究者のものです。同性婚の運動を批判したもので、もとは2009年に書かれたものですが、アメリカで同性婚が認められた今、この批判はさらに大きな意義を持っていると思います。
 日本では、アメリカと当然ながら背景がかなり異なりますので、すぐに当てはめることはできません。ですが、LGBTの運動が大きくなりつつあり、政治家や企業との関連が目立つようになった昨今、エミーさんの批判が同様に生きる部分があるように思います。
 同性婚の主張は分かりやすく、マジョリティに訴えかけやすいです。ですがその後ろで見落とされる問題も大きい。結婚制度は、基本的に今の社会のありかたの中にあるもので、マジョリティーマイノリテイを生む構造に逆らうものではありません。個人の財産を守る制度が結婚なのであり、逆に言えば守るほどの財産を持っている人、多くの場合は人種的マジョリティで、階層の高い男性たちのための制度なのです。結婚についてずっと考えてきて、たどりついたのがこの結論ですが、いきなりこう書いてもよく分からないですよね、すみません。また頑張って論じますww。
 とりあえず、エミーさんの了解を得て文章を訳しました。わたしは英語はダメな人間で自信はないです。問題がありましたらご連絡下さい。

(原文はこちら

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結婚の平等を求める運動における不平等


新聞や教会、オンラインのブログなどでは結婚の平等について熱い議論が交わされている。全国のクィア団体は同性カップルのための努力を倍増させている。結婚はゲイとレズビアンの正常化と包摂に向けた更なる前進の一歩になるだろう。だが皮肉にも、結婚を求める運動はこれまで、包摂あるいは平等に関するものであったことはほとんどなく、コミュニティを超えた連合を築く貴重な機会を妨害したり、より立場の弱いクィアたちの周縁化を生んだといわざるを得ない。活動家や抗議者、ボランティアたちが同性婚の闘いのために街に出て、合法化の主張が平等と社会正義を促進するにつれて、より大きな憎悪や貧困の問題や、支援を必要とする人々は放置された。

連帯が崩壊する最も明らかな瞬間は、カリフォルニア州で同性婚を禁止するプロポジション8が通過した瞬間に起きた。メディアはアフリカ系アメリカ人やラテン系、アジア系などの有色の人々を責めたが、後に、有色の投票者たちは、当初信じられていたほどとくに大きくプロポジション8を支持していたわけではないことが判明した。その現象は、平等の失敗を有色の人々のせいにするという白人のアメリカ人の姿勢を反映していたし、また白人のクィアたちがいかに、有色の人々のコミュニティだけでなく、よりひどいことには、有色のクィアたちまでを長く遠ざけてきたかということを浮き彫りにした。有色のクィアたちは、よりうまくそのコミュニティを進展させていたかもしれないというのに。

批評家もまた、同性婚は白人で中上層階級のレズビアンやゲイたちの優先権を特権化していると指摘している。とりわけ、ある調査によれば、アメリカのアジア系LGBTたちは、結婚する権利を得るよりも重大なこととして、移住や医療保険、レイシズム、ヘイトクライムなどの問題に関心を示している。まったく、結婚の平等が議論されているこの瞬間にも、性労働者やホームレスの人々、HIV陽性者たちのような、より周縁化されたクィアたちのための生死に関わる問題をめぐるサービスは、後ろのコンロで煮えこぼれないまでも、煮え立ったままである。

それにもかかわらず、資力のある全国組織は、後ろにあるものを十分振り返ることなく、結婚をめぐる舞台に弾丸のような早さで突き進んでいる。政治学者や法律家たちが、連邦レベルで同性婚が合法化されるのは時間の問題だと言っているにもかかわらず、クィアの団体は、生死に関わる問題でもあるかのように結婚の運動に取り組んでいる。この種のシングル・イシューへの傾注は、他のクィアに関する課題に否定的な影響を与える。昨年、全てボランティアで運営しているサンフランシスコ・ベイエリアの組織「アジア太平洋地域のクィア女性とトランスジェンダーのコミュニティ」(APIQWTC)は、毎年の資金活動のためのスポンサーとしてある全国のクィアの団体に呼びかけた。その団体は断った。その団体は、結婚の平等のために積極的に活動していないグループには一切支援を拒否している。APIQWTCを排除するだけでなく、同性婚のキャンペーンは、クィア・コミュニティにおけるあらゆることよりも一方的に優先されているのである。

経済悪化よりも前から、最も周縁化されたクィアたちに社会サービスを提供していた機関や組織は弱体化しており、一方で結婚の平等を求める社会活動は、スパークリングワインと、長い付き合いの恋人に退職後の年金を譲れない不愉快さについてのおしゃべりでいっぱいになっていた。今や経済危機のまっただ中で、コメンテーターは、サンフランシスコにおけるHIVサービス提供者の3分の1が9月までに活動を終了するだろうと予告している。何年も前から、−−−−有色の人々の間でHIV罹患率が上昇しているとき(そして白人の間での罹患率は低下している)−−−−あらゆるレベルでのHIVの調査や予防活動のための資金提供は減少していることはたぶんおどろくべきことではないのだろう。恐らくエイズは、もはや危機ではないのだ、有色の人々は文字通り死につつあるとしても。どれだけ多くの同性婚のために闘っている組織が9月までに終了するというのか?

「全ての人々のための平等」を掲げる結婚の運動の、ひとつのことしか考えない決意は、より緊急の不平等に苦しんでいるより多くのクィアたちのことを忘れてしまっている。これらの不平等は、「特殊な事柄」とか、「より大きな」コミュニティには関係ないと見なされてしまうかもしれない。これは真実から遠いことではないだろう。最も遠い事柄は私たちの生活に密接に影響を与える。例えば、食料の提供や他の社会サービスに資源を投入してきた教会は、今はそのすべてのエネルギーを結婚を守ることに傾けているといえるかもしれない。その転換は、地域レベルでの社会福祉の資金集めに影響を与えるだろう。より大きいスケールでは、完全に正当化されない戦争に何十億も費やすことは、緊急の国内の問題から資金をそらしてしまう。疑いもなく、戦争の推進や反移民、反フェミニスト、レイシスト、ホモ/トランスフォビアの運動をめぐる問題は常に共通の課題だった。海の向こうのさざ波は、私たちの浜辺で大きな波となって打ち寄せるだろう。社会正義の運動の未来に向けられたわたしたちの挑戦は、私たちの闘いの全てが本質的に結びついており、絶対的に関心を必要としていることを私たち自身の中に思い起こすことにあるのだろう。結婚は、私たちの最も緊急の社会悪に対する解答ではないのかもしれない










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by anti-phallus | 2014-05-04 16:08 | クィア/LGBT | Comments(0)