菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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カテゴリ:フェミニズム( 24 )

フェミニズムの冬

 今、フェミニズムの冬に突入しているように感じます。みんな気づいていないんだけど、社会運動の中でも、とくにフェミニズムは冬期を迎えている。いつ終わるともしれない冬に。
 人間の、自由を最も敏感に感じ取り、受け止め、表現するのがフェミニズムのはずで、だからこそフェミはひとびとの期待を受けています。
 もともと日本社会は「自由」に対しては抑圧的な性質がありましたが、311の後、様々な動乱を経て、ひとびとの叫びを塗り込める形で「危機管理」対応的政治が求められてしまっています。それは、この10年近くの間に、フェミが封じ込められ、制度化され、権威化される過程の総仕上げともなってしまいました。
 現代日本を支配しているのはニヒリズムです。何をやっても無駄、正しいことを言っても損するだけ、そんな気持ちが私たちの「日常」を形作っている。やっぱり人間の幸せは性別役割分業家庭の中に入って、結婚して、子どもを育てて、死を看取ってもらうこと。活動家や学者が何を言ってもそれは売名行為。そういう批判的な気持ちに共感するところは多々あるんですが、それではこの閉塞はどうやったら変えられるのでしょうか。
 表面的な正しさや無垢さを超えて、ニヒリズムではない、何かもっと自由なもの、共有できるものを作らないと、冬はいつまでも明けない、そんな気がします。
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by anti-phallus | 2012-12-25 00:16 | フェミニズム | Comments(0)

国家を歌うのは誰か?+沖縄県知事選

 ここ最近は忙しかったから今週は少しおとなしくしよう。
 バトラーとスピヴァクの『国家を歌うのは誰か?』を読み返している。随所に示唆的な言葉がある。言語のこと、運動のこと。何カ所も書き留めておきたいところを見つける。
 例えば次のところ。

ここで立ち止まって、この発話は、国民のただなかに翻訳という仕事を設定しているのではないかと考えなければなりません。隔絶や裂け目こそが平等の可能性の条件となり、したがって平等は、国民の同質性の拡大や増大にはつながりません。(P44-45 一部省略)

 ここでの隔絶や裂け目は、私が前から使っている分断という言葉に重なる考えによるものだと思う。平等が既にあるものと語ってしまえば、その場の抑圧性はものすごく大きなものになってしまう。だがバトラーにとって、効力のあるエージェンシーは「わたしたち」でしかない。そして、平等でない限り、わたしたちは語り得るものとならない。
 平等と自由は密接につながっている。

 この冒頭で、バトラーはアーレントの公私区分がもつ抑圧性について批判している。そこはアーレントが男性中心主義的思考と訣別できていない側面を象徴的に表しているのだろう。その男性中心主義的思考は人種主義や民族中心主義、階級主義とも連動していることが、古代ギリシアの理想化から見て取れるかもしれない。
 社会領域を公私に分けて、私的世界に暗さや秘匿性をあてがう思考や行動、人間的あり方を、言論だけでなく、実践の中で運動の中で批判するのは相当に難しい。その批判が必然的に関係者の私的領域を他者の目にさらしかねないから。そこまでする必要性を批判者が引き受けられるかどうか。



 沖縄の県知事選結果にがっくりきている人は多い。だが、一つの国家の「国益」とやらをいち地方自治体の首長選で選んでもらうというのはそれ自体暴力的である。
 どうして沖縄の人々ばかりが選択を迫られるのか。自分たちの身近な毎日にとっては迷惑の大きなものが、自分の国家の利権というよりは自分の国家に支配的な影響力を持っている他の国家の利権の拠点となっていて、それを遠くにやるかそのままにするかをなぜか選ばなければならない。本当に選ばなければならない責任をもっているひとびとは遠くから見やるばかり。選択せねばならないことの圧力を「わたしたち」は沖縄に押しつけることをやめなければならない。
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by anti-phallus | 2010-11-30 11:52 | フェミニズム | Comments(0)

ジェンダー研究をすること

 以前あるところで、自分はできるだけジェンダー色が薄いふりをしてきた、という言葉を聞いた。そのひとは社会学関係の研究者だった。
 薄いように見せかけなければいけないくらいにはそのひとの研究はジェンダー視点をそなえたものだったようだ。
 そのひとのなかでは、ジェンダー研究者は損をする、色眼鏡で見られる、就職先が見つからないなどのイメージがあるのだろう。似たような発言は時々聞くし、そういう印象を持っている人も多いかもしれない。
 思い返せばわたしも院に入る前に、井上俊氏に「ジェンダー研究者は不利なんですか」と聞いたことがあった(笑)。今思えばずいぶんとストレート。
 そんなバカな私の質問に井上氏は「研究方法や分野でそのような差別をされることはない」というような感じで答えたと思う。それに対して私は、まあ実際のところは分からないけど、社会学という世界はいちおうはそういう良識的な建前はあるのだなと思った。

 しかし自分の中にジェンダー視点がある人がそれを隠しながら研究活動をするというのはどんな状態なんだろうか。研究活動というのは自分の視点や認識を明るみに出しながら検証していくものだから、自分の頭の中の一部を隠しながら行っていては、検証作業が中途半端にならざるを得ないのではないだろうか。それは、結局のところ自分の研究の質を下げることになってしまうのではないか。

 と、こういうようなことを知人にしゃべっていたら「あなたは特別だから」と言われた。特別というのはこの場合、周りを気にしないとか迎合しないとかの意味だろう。わたしのなかでは、自分の視点を隠して研究をするということに対して批判的意識があるから、「あなたは特別」と言われてしまうと、批判を無効化されるように感じた。

 その知人の発言について考えていたのだけど、こういう反応も仕方ないのかもしれない。「特別だから」という発言にはどこか切り捨てられるような感じがあるけど、もしかしたらそのひとは何かを防衛するために言ったのかもしれない。でもそれはそのひとの問題であり、わたしの問題ではない、はず。

 すべてのひとに同意してもらうのは無理だから、だからこそ自分は自分の言葉を発さなければならないのだろう。それが嫌なら、言葉で何かを伝える仕事をしてもあまり意味がない。そういう覚悟が自然に持てるようになりたい。
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by anti-phallus | 2010-11-08 23:57 | フェミニズム | Comments(0)

上野千鶴子という現象について

 ゆうべふと思いついたことなので書いておきたい。
 実は『おひとりさまの老後』を読んでいなくて、というのは最近の彼女の書くものにあまり興味がないし、たぶん読んだら腹が立つだろうなあという思いで。
 とはいえ最近新刊も出て多少話題にもなっているし、何よりわたしのなかで彼女の存在はとても大きくて、そろそろ口を開かなきゃなあと思うので。
 何を隠そう、わたしが社会学に進んだのは彼女のひとことのため。2回生の頃に集中講義で彼女がやってきて、『家父長制と資本制』の講義をした。それが面白くて、休憩時間に、勇気を出して人生相談。

わたし「ジェンダーをやりたいんですけど哲学か社会学かで迷ってます」
上野氏「哲学なんてマッチョな学問じゃなく社会学で自由にやった方がよろしい」

 わたしは哲学に興味があって某K大学文学部に入ったんだけど、上野氏にそういわれたので社会学に。今考えると主体性ないですね・・・。まあ当時聞いていた哲学関係の講義や読んでいた哲学の本が面白くなかったせいもあるんだけど。
 と、こういうライフヒストリーもあるし、その後、知識が増える中で、フェミについて色々問題点も感じていく中で、結局ぶつかるのは彼女の足跡。フェミに関して、決定的な何かを発言している人って、彼女くらいしかいないんですよね。そしてそれらの発言があまりに問題含みなのでぶつかってしまうという。

 で、『おひとりさま』もまた自分中心的な語りなんだろうなと思い敬遠してたら、やっぱり周りから聞こえてくるのは、「あれはエリートシングル女性の恵まれたお話」などの批判が多い。同時に一部のインテリ男性は意外に評価している、というのもなるほどな感じ。
 彼女はこういうふうに批判されながらなんで注目され続けるんだろうと考えて、腑に落ちたのが、彼女は研究者というよりアイドルなのかもしれない、ということ。
 優れた研究者であれば、自分の経験であったり他人の経験を対象化して、ある程度一般化も行った上でその時代の社会全体のマップを作ることが求められるけど、彼女の場合はあくまでも自分中心。自分の経験がそのままフェミになっちゃうし、自分と異なる立場の存在は必要最低限しか尊重しない。そして恐ろしいことに、そのような彼女の生き方はなぜか時代の一部の趨勢と重なって、今の空気をすくいとってしまう。一部の趨勢というのは、やはり新自由主義的時代の中のエリート女性というイコン。
 こういうふうに時代の一部の趨勢と一体化してしまうのは研究者としてはあまり望ましくないことだと思う。でもアイドルとしてなら許される、むしろ必要な資質。アイドルが東大教授になっちゃうのはどうかという意見はありだけど、それもそういう時代の流れ?

 でも、わたしとしては、フェミはアイドルのものであってはいけないと、あくまでも思うのですよね。
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by anti-phallus | 2010-10-22 22:58 | フェミニズム | Comments(2)