菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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2015年 09月 16日 ( 1 )

フェミニズム理論のネオリベラリズム/ポスト植民地主義批判

 10月に群馬で発表することになりました。その要旨を載せておきます。
他の報告の要旨はこちら

 唯物論研究協会って不勉強にしてよく知らないので、どんな会なのかちょっと楽しみです。
 フレイザーやバトラー、スピヴァクを読んで発表できるというのは幸せですね。


******************
唯物論研究協会テーマ別分科会「文化研究の両義性」
「フェミニズム理論のネオリベラリズム/ポスト植民地主義批判
           ナンシー・フレイザーのフェミニズム批判から」

                                        菊地夏野

1 フェミニズムにおける「文化」とそれ以外のもの

 本報告では、フェミニズムの視点から「文化研究」について考えてみたい。
 フェミニズムの歴史において、「文化」は常にといってよいくらいに中心的な位置を占めていた。近代初期において女性運動の大きな課題となったのは、法的な平等、政治的な平等の達成だった。日本でもまた欧米諸国でも、女性は「遅れてきた市民」と処遇され、そのことの是正が喫緊の目標とされた。この運動は、また大衆的な文化の成長とともに、広く女性の支持も得ていった。しかし一方で、「非文化」的なところでのフェミニズムも常に存在していた。政治や法律などの文化的な面での課題を訴えるに止まらず、労働や資本といったより硬質の問題に対して「女性」の立場から抑圧を批判していく運動や思想も確かにあった。
 むしろフェミニズムはそのように相異なり対立も含む思潮が、「女性」の名の下に渾然一体となって集合して構成されていることが力であり、可能性であろう。そのような混淆の中で、「文化」は常に問題含みの鍵となる言葉だった。
 日本社会でフェミニズムが大きな影響力を持っていた時代、論争されたのも「文化」に対する態度だった。当時のフェミニズムに対する「商業主義」という批判は「文化主義」へと読み替えられ、上野千鶴子は大越愛子らのフェミニストを「文化還元主義」として批判した。今はほとんど顧みられることもないこのフェミニズム内部の論争は、現在の日本社会の状況から振り返ると、一定の意味をもって感じられる。
 さらに、上記の論争のモチーフは、英語圏のフェミニズムにおいてより理論的に精緻な形で再演される。それは、今回取り上げるナンシー・フレイザーとジュディス・バトラーの論争から始められた。フレイザーは、フェミニズムやLGBTらの運動が文化的な面での承認にばかり重点化してしまっていると指摘し、それ以外の分配をめぐる政治の再評価と承認と分配の均衡が必要だと論じた。それに対してバトラーはフレイザーの文化と経済の区分が恣意的であると反論したが、論争はいったんそこで止まっている。
 このように、フェミニズム研究は、文化研究を中心としながらも、常にそれに対する内在的な批判をはらみつつ歴史を織り上げてきた。そのせめぎ合いを考えるとき、これを単なる左翼からの女性運動への批判として整理できるだろうか。できないとしたら何が理由だろうか。「文化」対「それ以外」とされた対立軸は何を隠しているのか。これを明らかにするのが本報告の第1の目標である。


2 ネオリベラリズム下のフェミニズム−−−−批判とオルタナティブ

 バトラーとの論争後20年近くを経て、フレイザーはさらに重い批判をフェミニズムに投げかけている。
 各国の公共セクターは縮小し、格差は拡大しながらもそれらに対する怒りは政治的に結実し難い。差別を前面に掲げる言説が跋扈し、オルタナティブを構想すること自体が力を奪われ、まるで全てのものが資本のためにこぞって自発的に動員されていくかのようである。
 フレイザーはこのような新自由主義的変化を嘆くだけでなく、この事態にまさにフェミニズム自身が手を貸してしまったのではないかと問う。フェミニズムはその革新力を失い、逆に体制の構築に加担したというのである。
 もしその批判が正しいとしたら、それはこれまでフェミニズム内で展開されてきた論争とどう関わっているのか。フレイザーのバトラーへの批判は、この事態を予見していて、バトラーの限界が露呈していたといえるのだろうか。
 ネオリベラリズム下で女性にとっての国家と資本のありようは変更され、その結果ジェンダー/セクシュアリティ秩序の再編がなされた。フレイザーやバトラーはこの再編をどのように認識しているか、ポストフェミニズムの議論を参照しながら整理する。
 また、フレイザーやバトラーとは少し違う位相からフェミニズムの抑圧性を批判してきたのがガヤトリ・C・スピヴァクである。スピヴァクの植民地主義批判からのフェミニズム観は、文学教育の可能性を展望する現在の立場のなかにどのように位置づいているのか。
 本報告では第2の目的として、これらフェミニストの現在の議論をネオリベラリズム批判の観点から読み直したい。そして何らかの形で引き出し得る示唆を明らかにしたい。
 分科会のテーマに立ち返っていうと、資本の抑圧を明示しながらも文化を記述するための方法、さらには文化の内部に潜む資本の暴力の跡を直視しながら、同時に抵抗を生み出す文化の可能性をも記述する方法を、フェミニズムの立場から探ることを試みたい。

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by anti-phallus | 2015-09-16 16:19 | イベントの案内 | Comments(0)