菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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ブラック・スワン2

 去年、悲痛な出来事があって、そのときにカウンセラーの方から聞いた、印象的な言葉がある。「人は誰しも闇の部分と光の部分をもっている。世の中は、光の部分だけ見ようとするから、自らも闇の部分を押し込めようとする。だけど、光ばかり見ようとすると、闇に食われてしまう」。
 ブラック・スワンも、この言葉に当てはまる。主人公は、親にかわいがられる、真面目で純粋な優等生。それが、バレエの役をめぐる葛藤の中で闇の自分と闘い、殺してしまう。そして最終的には自分自身が死んだ。
 しかしそう考えているうちに解釈は反転し、光の彼女が闇の彼女を殺したのは、光自身を生かしていた欲望だったということに気づく。承認されたいという欲望。多くの女性を突き動かし、自らを偽らせる承認への欲望。それが社会の規範と合致している場合には光と見えるが、少しずれた途端に闇と化する。
 女性規範は、欲望に突き動かされるというあり方を否定するから、その欲望はどんどん内向し、屈折していく。女性が欲望を持つのは良くないこと、恥ずかしいこと。でも止められない、自分を認めてほしいという欲求。それは他者との関係性への欲求となり、他者への支配欲へと変転していく。
 映画の中で、彼女が自分を認めてほしかった他者は、女性から男性、男性から女性へと移り変わり、果てしなく転移していく。最終的には死と引き換えに、彼女は社会からの承認を経る。それが彼女の頂点だった。

 彼が言っていたという、「おれ、今が自分の頂点でもいいかもしれない」と言う言葉。二十歳の子が言う言葉だろうか。
 何が頂点で、何がどん底かは本当には分からない。どう意味付けするかも自分にしか決められない。それを自分が決めるのか、親が決めるのか、友人が決めるのか、上司が決めるのか、社会が決めるのか、この問いは永遠にひとのなかで続くのかもしれない。せめて、問いの答が絶対的に固定されずに、問われ直されていればよかったのに。いっしょに、問うことのできる者がそばにいればよかったのだが。
 一番の問題は、今の社会が、その問いを問い返す余裕すら与えず、光と闇を明確に定義し、本人が闇と光、頂点とどん底を定義する自由を奪っているということか。しかし、どんなに余裕のある社会でも、光と闇を完全に本人に決定させてくれることはないだろう。では、その圧力に抵抗できる力を育てるのが教育や学問の目的なのだろうか。教育や学問にそこまでできるのだろうかという疑いが頭をもたげるけど、それ以外にできることも、すべきこともないようにも思える。
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by anti-phallus | 2011-06-08 23:05 | シネマレビュー | Comments(0)