菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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堀江有里「性の自己決定と〈生〉の所在」

 表題の論文は以下に載っています。

仲正昌樹編『自由と自律』御茶の水書房

 分かりやすく、一気に読んでしまった。先行研究をレビューしながら筆者自身の主張がよく出ている。
 女性のセクシュアリティについてレズビアン・スタディーズとフェミニズムの知見から分かりやすく、鋭く論じている。
 性的欲望が常に男性的なものとしてイメージされてしまい、そのなかで性を語る言葉もを持たない女性たち。あえて男性的なスタイルを借りて性を語ることに希望を見いだせないし、だからといってわたしたちにとって性が大事なものでない訳ではない。名付けられない何かを共有している点でレズビアンという名前を選択した女性とそうでない女性の間の「境界線』は明確ではない。
 だが同時に、筆者はそこに横たわる溝についても論じる。異性愛的な生き方から積極的に出ようとはしない女性たちがレズビアンへの親近感を語ることで、レズビアンは消費されていく。
 筆者はこの両義性を丹念にほどいていくことが課題だとして結ぶ。

 最近、セクシュアリティを語ることは、結局のところ、豊かな関係性、豊かな生き方を目指さない限り、あまり意味がないような気がしてきた。同性愛と異性愛の境界線を明確にするのも必要なことだけど、それによってどちらに権威がある訳でもない。異性愛中心主義が「よくない」のは、それは貧しい関係性、貧しい生き方しか導きださないからではないだろうか。
 この社会で異性愛は限りなくジェンダー化されており、欲望までもがジェンダー化されていて、自由な空気は実現しにくい。だからといって異性間の関係がすべてだめなわけではなく、それぞれの個別なところでジェンダー規範から自由になるべく工夫や努力はされている。しかし結婚制度や家族単位社会があるので、異性愛はどうしても支配的なスタイルへ流されやすく、窮屈になる。
 だからあえて同性間の性関係を選択すればそのような圧力からは自由になるが、もちろん差別はあるし、すべての同性間の関係が自由な訳でもない。

 つまり、豊かな関係性を求めれば、自ずと異性愛中心主義的な生き方からは外れざるを得ない。それは制度から外れるという意味でプレッシャーはあるけど、個別の瞬間で、制度から自由な人の優しさに触れたり、自分や他人の意外な顔を見ることができたりとかけがえのない喜びを得ることができる。
 レインボーグッズを見ていたらそんなことを考えた。
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by anti-phallus | 2010-12-28 15:02 | ブックレビュー | Comments(0)