菊地夏野のブログ。こけしネコ。


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クィア学会日本語要件について個人的見解

 今年のクィア学会総会で問題になったことの一つに、大会報告・学会誌投稿における日本語要件があった。これは規約レベルではなく、報告や投稿の申し込み時の条件レベルのものだが、第1期幹事会のころから幹事会判断で付されたものらしく、現在まで生きている。これが、一部会員から批判を受け、幹事の越権行為だから謝罪せよという声まであった。それに対して代表幹事から一部不十分な決定だったと認める言葉もあったものの、同時に日本語要件の必要性を主張する論が現・旧幹事から二・三発された。最終的には幹事会で持ち帰って再議論することになった。
 わたしは現在幹事だが、総会では書記を任じられていたので発言には自制的になっていた。この議論の際も発言の必要は感じたのだけど、次々に手が挙がるような状況で気後れもして手控えた。
 総会の後も友人たちとの会話の中でこの問題についてたくさんの話をしたし、現在までツイッター上でも様々な人が論じている。そんななかでは他の問題とも絡んで混乱したやり取りになっているところもあり、わたしとしては少し心配になっている。
 現幹事としてのあせりもあるし、この議論の運びようによってはクィア学会の印象も大きく変わりうるんじゃないだろうかなどと憶測している。
 そこで、現幹事という慎重になるべき立場であり、またわたしの在任している限りではこの問題について幹事会できちんと話し合ったことはない中でためらいもあるが、私個人の見解を書いておきたいと思う。だけど、これはあくまでも個人的見解であり、幹事会の見解とは違うことをここに明記しておく。


 結論から言えば日本語要件は撤回した方がいい。
 要件を付した側からいえば、クィア研究における英語中心主義の現状があり、日本語要件がないと英語話者の報告や投稿が中心になり、日本語話者が周縁化される恐れがあるという。これは、研究に携わるものとしては心配して当然のことであり、アカデミズムにおける英語中心主義はほとんど疑問に付されることなく、例えばジェンダー研究でも自明になっていることを考えると、重視すべき点である。
 だが一方で、この論点から日本語要件を課してしまうと、日英だけではない問題が生じる。世界には日英以外のたくさんの言語があり、アジアだけでも数えきれない言語が存在する。また、日本社会においても日本語をネィティブとしない話者はたくさん暮らしている。わたしの関わっているフィリピン人コミュニティでは、日本語の簡単な会話はできるけれど読み書きはできない女性たちが多い。彼女たちは英語はある程度できるが、もちろんタガログ語(フィリピノ語)がいちばん便利であり、同じフィリピン人でも出身地によってだいぶ言葉が違う。名古屋に多数存在するブラジル人・ペルー人は日本語の話せない、読めない人たちが多い。総会で例示された在日のひとびとやアイヌ人の存在も大きい。ちなみに名古屋にはアイヌ出身者の会もあり活発に活動しており、決して遠い過去の存在ではないことに注意しておきたい。
 このような立場から見れば、日本語というのは日本社会におけるマジョリティ言語であり、彼女・彼らは日本人が英語圏で感じるのと同じように、常に周縁化されているのだ。彼女・彼らからすれば、クィア学会における日本語要件は、日本語や英語というエリート言語、帝国主義的言語のネイティブたちが自分たちの存在は勝手に忘却して上の方で覇権争いをしているに過ぎない、と見えてもおかしくない。
 また、この日本社会は、近代を通じてアジアの他社会に自らの言語を押し付け、日本語を広めようとし、あげくの果てに日本語以外の言語をつぶそうとした歴史をもっている。沖縄しかり、朝鮮半島然りである。そのときの日本側の認識が、欧米に対して自国の独立を保持し、アジアの覇者となるという欲望だった。言語は、そのような帝国主義的欲望の重要な武器となり得るのだ。
 英語が覇権を持っている現状に対して日本語のみ使用させるという手段で対抗しようとするのは、どうしてもこの日本の歴史と重なってこざるを得ない。戦前の沖縄で、学校で子どもたちが沖縄語を使うと「方言札」というものを掲げさせられて罰されたという史実はわたしの頭を離れない。
 確かに、一般社会と違って、研究者レベルでいえばクィア学会に参加し得る層では日本語か英語はしゃべれる人ばかりだろうから、他のマイノリティ言語のことは考慮しなくていいのではないかという気分もあるだろう。だがそれを認めてしまえば、そもそもの学会趣旨である、アカデミズムに閉じない、研究とコミュニティ・運動の開かれた関係性への志向は失われてしまうだろう。

 問題の背景について述べたが、日本語要件を正当化する側は、おそらく多少はこのような背景についても知らない訳ではない。だが、彼女・彼らの考えの中には、もしそのようなマイノリティ言語を使うことを認めてしまえば、通訳などの措置が必要になるが、学会の財政的・人的限界がありそこまではとても措置できず、措置できない以上そのまま認めるのは逆に無責任だという判断がある。
 これについては、まず、それらの措置があくまでも日本語話者のための措置を想定しているのであればそこにも日本語中心主義は忍び込んでいるということがいえる。次に、マイノリティ言語を用いることを望んだ人が、そのような措置を必ず求めるかどうかは分からないのに勝手に忖度しているということがひとつ。最後に、どうしてそもそも幹事会が勝手にそこまで判断し、決定し得るのかということ。
 実は、このことがあるレベルでの問題の核心だろう。言語については様々に物理的制約がある。すぐに理想的な状況を実現しようとしても無理だ。だが、そういう判断を、どのような形で誰が行ったのかということが問題なのだ。
 言語の問題はこれだけ大きい。総会でひとつ批判の声が上がっただけで、今に至るまで各所で論じられているほどに。にもかかわらず、幹事会は総会にかけることなく日本語要件を課してしまった。
 仮に総会にかけて、日本語要件を課すべきだという総意が得られたのならば、たとえ問題含みであったとしてもそれは現在のクィア学会の認識状況を表しているのであり、幹事会にはそしりを受けるところはない。その手続きを得ることなく重要な問題について決定し、執行してしまったのだから、よくなかっただろう。
 ただ、当時の幹事会がそのような判断になったのは、学会設立の大変な中で幹事として責任をもって対処しようとしたことの結果であり、それ自体が糾弾や謝罪要求の対象になるとは思わない。学会設立というなかなか立ち向かえないことに関わり、時間とエネルギーを費やしてくれたおかげで今この場-------クィア学会を中心とした言説空間・ネットワーク------があるのであり、このような議論ができている。それは誰も否定できない功績だ。
 日本語要件に戻れば、これを撤回したとしてどうしたらいいかといえば、大会報告については以下のようなオプションあるいはその組み合わせが考えられるだろう。

 1全く規制しないし、通訳等の措置もとらない
 2英語の報告は認めない
 3マイノリティ言語については通訳等の措置を報告者個人の責任で用意してもらうことをお願いする、あるいは課する
 4英語について3同様の措置とする

 学会誌については査読の負担があるので、もう少し慎重に取り扱い、当面は日本語のみとしても仕方ないかもしれないが、それについても一考したほうがいいだろう。

 どちらにしても、総会で会員の判断にゆだねることが最も大事だと思う。ここまでわたしの、言語についての見解を述べたが、この見解に基づいて学会が行うべきだとは思っていない。一会員として意見を述べたのであり、学会では、総会やその他の機会を通じて多くの会員によって決定されるべきだと思う。
 幹事会はそのための条件、会員が十分討議できる場・回路を用意するのが仕事だろう。
 私は今まで、ジェンダー・セクシュアリティ研究や運動と、人種主義・植民地主義に関する運動や研究の両方にいて、双方の交流が少ないことに問題を感じてきた。どちらも日本社会/グローバル社会の核心にある問題なのに、それぞればらばらで、交流が少ない。このふたつの運動・研究がもっと混じり合えば非常に大きな可能性が生み出されるのに、と歯がゆく思ってきた。
 幹事として、今回の課題に協力できれば、今までの歯痒さを少し乗り越えられるかもしれないと思うと、とても嬉しい。
 ジェンダー化された異性愛中心主義社会の中で名付けられない存在に生の可能性を与えたのがクィア・スタディーズだったはず。言語の植民地主義のなかで周縁化される存在に、可能性を与えようと努力することも、課題の一つのはずだと私は思いたい。
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by anti-phallus | 2010-11-25 11:24 | 仕事 | Comments(0)