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おきく's第3波フェミニズム

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semスキン用のアイコン01沖縄のハルモニsemスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 26日

 関係者である特権で、『沖縄のハルモニ』を公開前に観ることができた。製作当時は色々と批判があったと聞いていたからどうなのかなと思って観たが、映画に厳しいわたしにしても、非常に良かった。
 「慰安婦」問題の記録としても重要な証言がたくさんあった。なんとなく、ハルモニがひとりで語る映像を予期していたのだけど、そうではなく、周辺の人々の証言も充実していた。韓国取材もあり、「慰安婦」問題に取り組む研究者や市民運動の人々はこれは是非観た方がいい。
 また、そういう史料的価値を超えて、作品としてもよくできていた。監督とペ・ポンギさんの関わり合いがみどころだが、一定の先入見をもって語りかける監督と、ゆらりゆらりとかわしながら応えるハルモニの会話の間合いは絶品だ。
 
 年を取った女性、それもかなりの貧困層である女性がひとりで生きている空気感。世間から、社会から陽の当たらないところで、病を抱えながら、でもしっかりと生きている瞬間。

 暴力や差別のただなかを生き抜いてきながら、今は静かな沈黙をたたえていた。
 それから約10年後、「慰安婦」問題はどんどん政治化していくが、その直前の、まだ沈黙が支配していた時代。

 沈黙とは死ではないのだと実感させられる映画。是非、観てください。








# by anti-phallus | 2012-01-26 22:18 | シネマレビュー | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01さるくびとシネマ第7回semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 15日

★ずっと観たかった映画が、きっとここにある。

2月3〜6日(金〜月) 京都市東山いきいき市民活動センター
さるくびとシネマBlog内にチラシPDFあります
http://amenic2011.cocolog-nifty.com/blog/files/2.pdf

【四日間の上映作品】
●「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」(山上千恵子監督、2011、76分)
 日本で初めて女性で労働省婦人少年局長(片山内閣)になった山川菊栄のたどった戦前戦後。
 映画の冒頭のデモで参加し、発言をしている栗田隆子さん(女性と貧困ネットワーク)のトークあり。

●「妻はフィリピーナ」(寺田靖範監督、1993、100分)

●「セックスと障害とビデオテープ」
(制作・ビヨンドメディアエデュケーション&エンパワード・フェフェス、2007、アメリカ、35分)
 障害を持つシカゴの若い女性たちの当事者団体のメンバーが語るセクシュアリティ。

●「In God’s House 」 (リナ・ホシノ監督。※日本語字幕付きは22分。原語のみ90分。‐‐年)
 アジア系アメリカ人の性的少数者はキリスト教教会や家族からどう扱われたのか。
 堀江有里さんトーク&会場ギャザリングあり。日本語字幕なしの90分は解説を加えて紹介。

●「沖縄のハルモニ~証言・従軍慰安婦」(山谷哲夫監督、1979、)

●「ルッキング・フォー・フミコ」(栗原奈名子監督、1993、57分)

【参加費(鑑賞料)・トークまたは感想交流会込み】
(事前予約)1本1,000円(当日)1,200円
(複数割引)当日・事前予約とも割引あり

お得な事前お申し込み⇒http://cotocoto.jp/event/60338

【トークあり映画】
◆2月4日(土)『ルッキング・フォー・フミコ』/小澤かおるさん「被災地とセクシュアルマイノリティ」
◆2月5日(日)『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』/栗田隆子さん「現代の女性労働と山川菊栄」
『妻はフィリピーナ』『沖縄のハルモニ』/菊地夏野さん「フィリピンの移住労働」「日本軍戦時性奴隷」
夜=交流会
◆2月6日(月)『In God's House』『セックスと障害とビデオテープ』/堀江有里さん、菊地夏野さん

【日別】

【3(金) 16:00-21:00】    
18:00-19:00 ⑥ルッキング・フォー・フミコ
19:15-20:35 ①姉妹よまずかく疑うことを習え

【4(土) 10:00-21:00】
10:30-③セックスと障害とビデオテープ
11:30-②妻はフィリピーナ
14:00-⑥ルッキング・フォー・フミコ
16:00-⑤沖縄のハルモニ
★18:00-小澤かおるさんの「被災地とセクシュアルマイノリティ」報告

【5(日) 10:00-17:00】
10:30-①姉妹よ、まずかく疑うことを習え
12:00-トーク+休憩(栗田)
13:00-13:45 ③セックスと障害とビデオテープ
14:00-②妻はフィリピーナ
15:45-トーク+シェア(菊地)
終了後、交流会

【6日(月) 12:00-21:00】
14:00-⑦女と孤児と虎 (500円)
15:30-⑤沖縄のハルモニ 
17:00-トーク(菊地)
18:00-④イン・ゴッズ・ハウス
19:30ートーク+シェア(堀江)


# by anti-phallus | 2012-01-15 21:43 | イベントの案内 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01小人の饗宴semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 09日

 ヘルツォークの『小人の饗宴』はすごかった。観ているのが苦痛だったはずなのにいつの間にか快感になっている・・・。シュヴァンクマイエルの『アリス』を観たとき以来の衝撃。
 同じく障害者が出てくるという意味で例えば原一男の『さよならCP』と比べて考えれば、ヘルツォークがどれだけぶっ飛んでいるかよく分かる。原はあくまで運動(障害者解放運動)と伴走しようと撮っている。しかしそのなかで被写体がそこからはずれていく瞬間があって、それが魅力にもなっている。『ゆきゆきて神軍』もぶっとんでるけど、あれはあくまでぶっとんだ被写体に監督が振り回されている構図。
 『小人の饗宴』はもう全てがぶっとんでいた。悪罵と暴力と虐待の中で、観客は自分の枠組みが崩れていくのを感じ、理性や正義がいかに薄いものであるか実感させられる。理性や正義が人を解放するのではない。暴力や差別こそが解放なのだと言うように。しかし映画は、暴力や差別によって解放されているはずの人間たちの狂乱を映し続け、解放という言葉のむなしさを照り返すようだ。理性や正義が登場しない狂気の世界では、狂気こそがスタンダードとなる。そして人間たちは狂気に縛られ、運転手のいない車とともに廻り続ける。

 ニュー・ジャーマン・シネマの旗手と称されているが、フランスのヌーヴェルヴァーグより、こっちのほうがすごいんじゃないかと思った。正直、ゴダールは何作観てもわたしにはちっとも面白くなく、近年のものは特に単なる形式美にしか見えない。ルイ・マルやトリュフォーは大好きだけど、ヘルツォークのインパクトはないなあ。
 しかしヘルツォークをやってくれる名古屋シネマテークはほんとうにありがたい。どうかつぶれずに頑張って名古屋の文化ステージを引っ張ってほしい。名駅裏のシルバー・ゴールド劇場の閉館を迎えて、ますますそう思う。




# by anti-phallus | 2012-01-09 20:48 | シネマレビュー | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01被災地(のごく一部)を見てみたsemスキン用のアイコン02

  

2011年 12月 31日

 宮城県南三陸町、気仙沼、石巻の被災地を車で簡単に廻った。夏にも廻ったのと同じポイントなので少しは変わっているだろうと思ったが、ほとんど変化がなく驚いた。津波で建物がすっぽりなくなった地区、家の骨組みは残っているものの、サッシや戸、壁の部分はすっかりなくなった家々。ぐしゃぐしゃになった自動車の山。山間の一角に乗り上げている舟。海底の隆起によりなくなった海水浴場や、満々と水をたたえる河川。
 唯一大きく変わっていたのは、石巻の海岸に面した大きな工場を操業している日本製紙。夏には工場の建物も津波による被災のあとそのままだったが、今回は改築してきれいになり、大きな数本の煙突からは煙が出ていた。ものの本によれば、日本製紙は被災のため工場を閉鎖してしまうのではないかと住民は恐れていたが再開したため安堵した、という。
 あるひとによれば、被災者たちは義援金等小金が入ったが、それではどうにもならずやりきれなくてパチンコや酒に使っているひとも多いという。地域の飲屋街はにぎわっているという。
 そういうなかで操業再開した大工場。もともと大きな産業のない港町。被災の打撃によってさらに大企業依存が深まらないといいのだが。
 気になるのがTPP水産特区構想。地域の漁業権を解体して市場開放するらしいが、おそらくこれも大企業による漁業利権確立に道を開くものだろう。
 アメリカのハリケーンカトリーナによる被災地域で、ネオコン企業が復興を担い地域が解体することが問題になっているが、東北でも同じ危険に直面しているのではないだろうか。

 福島市内も歩いてみた。個人的にゆかりのある土地だがずっと訪れていなくて、このままだと自分の中でタブー化しそうだったのが怖くてとりあえず行ってみることにした。大晦日だというのに、駅前は人気少なく、活気がなかった。若干の印象だが、幼児の姿が少ないように感じた。
 食事したデパートのレストランでは、客がちらほらしか入っていないが、雰囲気は東北の街らしく、穏やかでおっとりしている。隣のテーブルで年配の女性が、帰省してきたらしき息子たちとしゃべっている。そのなかで「子どもには線量計持たせてんの。月に一回回収されて。モルモットだない」という言葉が聞こえる。穏やかに流れる会話の中でそんな発言がありどきっとさせられる。
 人気少ない通りを歩き、雑貨屋に入った。お店の女性が色々話してくれた。「除染をしても雨が降ると山から(放射性物質が)降りてきて線量が上がる」「福島だけ税金を少なくする等してくれないととても人が住まない」「避難所でストレスのたまった男性が女の子をレイプして妊娠してしまった」「ほかの地方の人たちはきれいなことは言うけど岩手のがれきを嫌がったり」「(日本の)南の方は別世界みたいだって」涙ぐみながら話してらした。
 福島の街はどうなってしまうのだろうか。静かで、諦めきったような空気が、ひとびとの怒りと絶望を隠している。


 きちんと調べて時間をかけて廻った訳ではないのでわたしの印象に過ぎない。だから誤解もあるだろうし、知らないことはあまりに多い。だけど自分の記録のためにも、また不十分だったとしても多くの人に東北のことを忘れないでほしい、考えてほしいと思ってアップします。


元・南三陸合同庁舎(2011年8月撮影。今回は行っていない)


元・公立志津川病院(8月撮影。今回も行ったがほとんど変わらない状態だった)




 これまでは沖縄と日本の関係性のように大きなものは別として、あまり「地域」という枠組みで社会を考えることは少なかった。逆に、「地域」についての語りや研究は、ジェンダー・ブラインドなものが多いため、避けていた。だが、今回の震災に遭って、自分自身の思考枠組みの修正を迫られているように感じる。修正というのは、自分の仕事とは思っていなかったことに関わっていかざるを得ないのではないかということだ。
 おそらく、沖縄の基地にしても、釜ヶ崎にしても、震災で浮き彫りになっているような東北のおかれた状況と無縁ではないどころか、深く関わっているのだと思う。自分の仕事と思っていなかった訳でもないのだが、自分の生まれ故郷について明示的に考えたり書いたりすることはないだろうと思っていたというのは確かだ。
 現在たずさわっているDVサバイバーのヒアリング調査にしても、暴力が地域性と深く関わっていることを実感する。安易に、東北が「家父長制的」だというような単純化してしまうのではない、地域とジェンダー/セクシュアリティの関わりについて考えていく必要がある。
















# by anti-phallus | 2011-12-31 21:10 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01幸せsemスキン用のアイコン02

  

2011年 10月 31日

 結婚=幸せだったり、研究=幸せだったり、ひとによって幸せが何によって得られると考えるかは別だけど、そういう、ひとが幸せを求める力に興味がわく。
 わたしは、幸せ自体の存在に懐疑的になってしまうので、ひとびとの幸せを求める心に感嘆するところがある。

 結婚=幸せだと思ってネットで出会い系サイトに登録して、異性に会ってお付き合いを始める。けっこう大変なことだと思うけど、多くの人がそういう努力をしているらしい。

 幸せを求める力は巨大だからささいな危険信号には目をつぶってしまったりする。それがたまりにたまってDV被害に遭ってしまうこともあるだろう。幸せを求める力によって、暴力にあってしまうこともある。

 研究に夢中になって、はっと気づいたらプレカリアートだったり。研究で世の中を変えられると信じて、はっと気づいたら単なる白い巨塔の王様になっていただけだったり。

 ひとびとの幸せを求める心の裏にあるのは、孤独なのか?向上心なのか?うつになっているときは幸せを求めるなんて考えられないだろうし。それとも単なる利己心?
 けっこう面白いテーマである。「ずっと独身…ひとりより二人」という結婚相談所の広告バナーを見させられながら。

# by anti-phallus | 2011-10-31 00:04 | つれづれ | Trackback | Comments(0)

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